文化放送の平日ワイド、野村邦丸さん、西川文野アナウンサーがパーソナリティを務める『くにまるジャパン 極』。7月12日の放送では、「極シアター」にタレント・俳優のなすび さんが登場。
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テレビ番組『進ぬ!電波少年』の「電波少年的懸賞生活」への出演で一躍、全国的にその存在が知れ渡ったなすびさん。その後、高校時代まで過ごした福島のテレビ番組で福島のありとあらゆるところをレポートしていく中で、2011年の東日本大震災が起きました。なすびさんは復興を祈願して、2013年にエベレスト登頂に挑戦。4度目の挑戦となる2016年についに登頂を果たします。今回は、復興支援の方法としてエベレスト登頂を選んだ経緯や想いを語りました。
エベレスト登頂を選んだきっかけ
福島県いわき市でボランティアを始めたというなすびさん。当初は「自分一人でできることなんか何もないんじゃないのかなと思っていた」と話します。そんな中、ある被災者の方から言われたことがきっかけにあるようで――
なすび がれきの撤去とかお手伝いしていた中で、「なすびさん、あなたがそういうことやるのももちろん偉いけれども、それは他の人、普通の人にもできることで......。あなたは顔と名前が世の中に知れてる人。あなたにしかできない福島応援、東北応援の形ってなにかあるから、絶対そういうのがんばってやってほしい。で、福島の風評払拭だったり風化を防ぐみたいなことで、あなたの力が絶対必要になるから。もう福島のみなさんは、なすびくんのことをずっと応援してるから。んーなんか頑張って!」っていうようなことを言われたので。そこから少しづつ、じゃあそのボランティアとか物資を届けたりお金を届けたりっていう直接なにかすることだけじゃなくて、間接的になんかその風化を食い止めたり、風評払拭できたりするような、そういう間接的に応援することも必要になってくるんじゃないのかな、ニーズの変化もしてくるんじゃないのかなって思えたときに......。実は僕、2011年の8月にお遍路、四国八十八ヶ所の(へ参りました)
お遍路をする中で、"間接的な支援"としてエベレストの登頂挑戦につながるきっかけが――
なすび (お遍路を)一から八十八まで行ったときに、普通の人が5、6時間かかる峠越えとかを、僕2、3時間とかで歩けたりして......。で、その香川県で支援してくださってた方達から「なすびさん、なんでそんな早く歩けんの?」って言われて「いや~、もう気合と根性で頑張りました」としか言いようがなかったんですけども。「なすびさん、もしかしたら山登りとか向いてるんじゃないの?」ってその時にちらっと言われたのが、まぁ点が線になっていくきっかけというのか......
その他、「最初は意味がわからないって言われて、売名行為だ便乗商売だってさんざん叩かれもした」「正直、最初は0から。むしろ(今)考えるとマイナスからのスタートだった」と苦労話もこぼれました。
トラウマ化していた懸賞生活のプロデューサーからも支援が
2013年の春、エベレスト登頂に挑んだなすびさん。頂上まであと100メートルというところでしたが、酸素の残量が足りないとガイドさんと相談している間に天候も一気に悪化。これ以上は危険と判断し、残念ながら断念したそうです。
2014年4月。2度目の登頂に挑む際には、『進ぬ!電波少年』の懸賞生活企画でなすびさんを追い込んだプロデューサーから「俺にも力を貸さしてくれ」と連絡があったそうで――
なすび それまで正直、僕もほとんど会ったことがなかった。っていうのが、やはりその、どっかで僕の中で懸賞生活トラウマの部分があって、なかなかそのプロデューサーさんとも、意思疎通を図る機会がなかったんですけども。あの......そのプロデューサーさんの方から、「葉書一枚一枚コツコツ積み重ねていたあの懸賞生活と、山に向かって一歩一歩登っていくその登山とが、リンクしてくるかもしれない」っていうようなことを感じてもらえたみたいで。なにか、そのなすびがエベレストへ向かって(被災者を)応援していく姿をサポートさせてくれないかっていう風に言っていただいて......。
邦丸 そこまで追い込んじゃった、どこかで罪滅ぼしの気持ちもあったのかもしれません。
しかし、サポートがありながらも、ヒマラヤ登山史上最悪規模の氷河の崩落が発生したため、2度目の挑戦も諦めざるをえませんでした。
山頂で酸素マスクを外してでも言いたかったこと
3度目に挑んだ2015年4月25日には、ネパールの大地震が発生。なすびさん自身もベースキャンプで巻き込まれます。登頂は断念せざるをえませんでしたが、「困ったときはお互い様」と1ヶ月ネパールに残ってボランティアをしたそうです。今でもネパールの復興支援は続けていると言います。
4度目は、5月19日現地時間正午過ぎ。さまざま大変なことはありながらも、ついにエベレストの頂上にたどり着きます。
邦丸 (頂上で)酸素マスクを外して、自撮りムービーに向かって「きましたー!」って。その時の気持ちはどうでした?
なすび 正直ほんとにあの、ガイドさんからは、「山頂では絶対酸素マスク外すな」(と言われていた)。まぁ、その時に別に即死するわけではないんですけども。下山中に何がおきるかわからないっていう風に(言われた)。登山の事故って7割8割は下山中って言われてるんで、そういったところも含めてで。まぁ、うーん、ほんとは、禁止はされていたんですけども。それでも、やっぱその感謝の気持ちをなんとか記録に残したいと思って。まぁ、もちろんその山頂から叫んだからって、福島に、東北に直接届くわけではないんですけど......。「みなさんのおかげで登れました。不可能なことはあるかもしれないんですけど、奇跡は起こせます! だから、東北、福島、絶対復興します。これからもみなさん、福島を、東北を、一緒に盛り上げていきましょう!」って叫びました
なすびさんは、被災した東北の高校生と富士山へ登る活動にも参加しているそうです。これは、震災以降に福島県出身の田部井淳子さん(女性登山家)が始めた活動で、次世代を担う若者に元気や勇気を養ってほしいという想いからのもの。なすびさんは3年前から毎年参加しているといいます。
なすび これからも東北の高校生たちに成功体験というか、"山を通して伝えたい!"と田部井さんが思われていたことを、僕もなんか引き継いでいけたらなという思いをもって、サポートというか応援させていただいてます
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番組概要
●番組名
『くにまるジャパン 極(きわみ)』
●放送時間
毎週月~金曜日 午前9時00分~午後1時00分(生放送)
●パーソナリティ
野村邦丸
●パートナー
西川文野アナウンサー(月-水曜)
水谷加奈アナウンサー(木-金曜)
●Webサイト