プラザ合意から40年

プラザ合意から40年

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今年でプラザ合意から40年になる。923長野智子アップデート(文化放送)」は、双日総合研究所チーフエコノミストの吉崎達彦がプラザ合意後に大きく変わった日本について語った。 

吉崎「1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルに日本、アメリカ、イギリス、西ドイツ、フランスの5か国の財務大臣が集まり合意したのがプラザ合意です。この時の為替レートが大体1ドル242円くらいだったんですね。1割から2割ドル安にしたいってことになってたんで200円くらいになれば目標達成なわけじゃないですか。それが一気に150円くらいまでいっちゃって世の中が変わって見えるようになった。そういう時代だったんです」 

長野「改めてプラザ合意とは一体何だったのか教えて下さい」 

吉崎「為替の協調会議です。つまりグローバルマネーの結果で決まる為替を政治の都合で誘導したいという話し合いでした。大体こういう試みって失敗するんですよね。ところが、1985年のこの時代だけは上手くいっちゃった。プラザ合意は成功体験として残っているんです。ただ日本の立場として見てみると、あれがまさしく日本の産業構造を変える転換点になったんです。例えば日本国内では生産コストが合わなくなるってことでアジアシフトが始まった発端でもあります。それから円の力が物凄く強くなりました」 

長野「円高ドル安ですね 

吉崎「私の印象だと80年代前半の1ドル250円くらいの時の世界と80年代後半の1ドル150円くらいの世界は全然世の中の見え方が違ってくるし、それまでは明らかに世界の中でミドルパワーだった日本が準グローバルパワーみたいになってくるきっかけになったんですよね。まず外国に気軽に行けるようになりました。それまでは『海外旅行?』っていう感じだったんですが、90年代は結婚したら海外旅行は当たり前になったでしょう」 

長野「新婚旅行はハワイみたいな時代ですよね」 

吉崎「今から考えると、よくそんなことできたよなって感じですけど」 

長野「あと企業がゴッホの『ひまわり』とか名画を買いまくってませんでしたか?」 

吉崎「そうですね。通貨の力ってこんなに変わるんだっていうこともあったし、その当時、日銀が低金利にしなきゃいけなくなったんで、バブルの原点はプラザ合意にあるっていう見方もあるんですよね」 

 

番組では他にも吉崎達彦がプラザ合意について語っています。もっと聴きたいという方はradikoのタイムフリー機能でお聴き下さい番組の「ニュースアップデート」のコーナーでお伝えしています。 

 

「長野智子アップデート」は平日午後3時30分~5時00分、文化放送(FM91.6MHz、AM1134kHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。 

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