大竹まことが聞く 難病の子どもたちの夢を叶える「かなえびと」大野寿子さんの活動
お笑い芸人の大竹まことが同世代や全世代の男女に向けてお送りしているラジオ番組『大竹まことゴールデンラジオ』(文化放送・毎週月〜金曜11:30~15:00)。12月1日の放送は、文藝春秋から発売中の『かなえびと 大野寿子が余命1カ月に懸けた夢』を著した、毎日新聞記者でノンフィクション作家の小倉孝保氏を招き、月曜パートナーの阿佐ヶ谷姉妹とともに話を伺った。
大竹「ご本のタイトルですが、この『かなえびと』っていうのは何かを指してるんですか?」
小倉「そうですね。大野寿子さんっていう人が難病の子どもたちの夢を叶える活動をずっとされてきたんですよ。94年からされてきたんだけど、その大野さんが携わった難病の子どもは、3000人ぐらいって言われてるんですけど、子どもって例えば白血病とか脳腫瘍とか筋ジストロフィーになると、みんな、これしたいあれしたいって言いにくい空気があるんですね。病院に行ったら、まずは病気を治そうよ、病気を治してからディズニーランド行こうよとか。病気を治してからウルトラマンに会いに行こうみたいな。でも、そうやって亡くなっちゃったり、体がどんどん悪くなっていく子も多いわけですよ。で、大野寿子さんはそれを見て、体が悪いんだったら悪いなりに夢をかなえる活動をしない?っていうふうに思われて、病院を訪ねてそういう夢を持ってる子がいるんだったら、私、お手伝いしますよっていうところから始まった活動。この『かなえびと』っていうのは、子どもの夢を叶えます、叶える人っていう意味でつけさせてもらったタイトルなんです
大竹「ご本では、大野さんが病気に侵されて最後の講演を行うところから始まってますね。大野さんは今まで何千人もの人たちの道しるべみたいな活動を…なんて言うんですか、この団体は?」
小倉「メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパンっていうんですね。メイク・ア・ウィッシュっていうのはアメリカを中心に1980年にできた団体で。それの日本支部。1992年に沖縄にいたアメリカ人が設立して、2年後に東京に本部を移して日本人で運営して行くことになって、その時に大野さんが最初にやりだしたんですね」
大竹「メイク・ア・ウィッシュは何をきっかけに活動が始まったんですか?」
小倉「これはね、1980年にアリゾナのクリスっていう白血病の少年が、警察官になりたいっていう夢を持ってたんですね。でも、それはなかなか難しそうだなって、どんどん体調が悪くなっていく。でもね、それを知った地元の警察官が、クリスが警察官になりたいんだったら、今、警察官になってもらおうよって言って、クリスに警察官のユニフォームを着せて駐車違反の取り締まりをしたり、ヘリコプターに乗せて上空から監視をしたりっていう活動をさせたんですよ。で、だからクリスはお母さんに「僕、警察官になれたよね」って、お母さんも「そうよ、あなたはこれからもずっと警察官なのよ」って言った数日後に亡くなってるんですよ。
大竹「何歳だったんですか?」
小倉「9歳です。そのお母さんが「私とかクリスのような子がもっとたくさんいるんじゃないの」って。実は、それを新聞とかが報じたから、クリスの家族にすごくお金が集まったみたいなんですよ。そしたら、それをもっと広げていったらどうだって言うんで、クリスのお母さんたちが作ったのが、このメイク・ア・ウィッシュなんですよ。それがだから1981年にアメリカでできて、日本に来たのが92年。大野寿子さんが加わったのが94年。でも94年に彼女がやりだした時には全然知られてなかったわけですよ、日本では。ほとんど実績がなかったからね。でも寿子さんはクリスの話を聞いて、これ日本でもやりたいなと思って飛び込みで訪ねて行くんですよ。でも、全然、お医者さんに言っても知らない。だから、夢をもってる難病の子どもがいてもメイク・ア・ウィッシュに連絡することもできないわけですよ。そういう事自体知らないから、みんな。だから、大野さんは最初に何をやったかというと、チラシとかパンフレットを作って、NGOとか小児科の病院を訪ねていくんですよ。その中で、大野さんが活動を続けようと思ったある子と出会ったんですね。それは子どもというよりもね、ある事象だったんですけど、築地の国立がんセンター中央病院に行った時に、94年に彼女が活動を始めて本当にすぐだと思うんですけど。こういう活動をやり始めましたって言ったら、小児科の先生が、あと2週間だったか1週間ね、早く来てくれたらよかったと。ある子が高知県から入院してたんだ。兄弟が高知に残ってて、この子はどんどん体が悪くなって最後にお兄ちゃんとかお姉ちゃんに会いたいって言ったんだけど、重病だから高知に運ぶにはすごいお金かかるんですよ。それで、お母さんが諦めたら亡くなっちゃった、っていう子がいたんだよ。だから大野さん、あともうちょっと早く来てくれたらね。お金を、大野さんたちが集めててくれて、その兄弟と会えたのにって言ったんですよ。それを聞いた時に、寿子さんって実はその頃離婚をしたばっかりで、自分自身がお金に困ってたんですね。それで、子どもが4人いたんだけど、友達と同じようなコートを買って欲しいとか子どもに言われて、それを、うちは貧乏だからねって明るく言ってたことがあって。でも、明るく言いながらも、親としてはすごくつらかったと。でも、私はその高知県の親は直接は知らないんだけど、ものすごくつらい思いして、帰れないんだよって言ったんじゃないか。本当は兄弟に会わせてあげたいのに、ちょっとお金が足りない。それで諦めざるを得なかった、という話を聞いた時に、この活動を広めていこうと思ったって寿子さん言ったんですよね」
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