
戦後80年、被爆80年。 私たちへ過去からのメッセージ【アーカイブの森 探訪記#56】
今年の8月6日は、広島の被爆から80年。8月15日には戦後80年を迎える。「広島原爆の日」である8月6日の文化放送アーカイブスは、過去の文化放送の戦後の特集番組の中でも特に原爆特集について掘り下げていきたい。
まず、文化放送の一番古い資料を探してみた。昭和27年の8月の資料には、特集番組の情報こそなかったものの、『話のデッサン』という番組で、滝沢修(劇団民藝創設者・俳優)さんの語りによって、原子力(爆弾)の将来的な使われ方への思いを伝えている。
さらに、戦後10年となる昭和30年には、終戦十周年の特集番組として、広島で被爆してから10年後、白血病のため18歳で亡くなった東京の高校生を記録した映画「無限の瞳」を製作した学生たちについて伝えた内容の再放送を行っている。
戦後15年となる昭和35年は「マイクの広場」という番組で、広島の市民の声を中心に原水爆禁止の悲願に燃える科学者、文化人らの声を取材した内容を紹介しているようだ。
戦後20年は「原爆一号」として世界に紹介された吉川清氏に取材し、あらためて平和とは何かについて考えていた。
戦後25年では、四半世紀が過ぎたことから大きな特集を組んでいる。戦争を知らない子供たちが大人になった頃で、特に戦争の悲惨さ、原爆のこわさを後世に伝えようという強い思いが特集番組の多さからうかがえた。
戦後30年では、現在も放送中の番組『ニュース・パレ―ド』内で組まれた特集“戦後30年シリーズ”のひとつとして、広島・中国放送制作の「よみがえった記録~ある被爆少年の30年~」という番組を放送した。東京の放送局である文化放送では迫れない深いところまで迫ったある種の生々しさを伴った放送であっただろう。
戦後40年。今年が戦後80年であることを考えると、ちょうど半分の年だ。この年は、被爆体験を正しく復刻するため被爆者の証言を3日にわたって放送したようだ。
今回は、当時の思いが適切に伝わればと考え、資料写真を多めでお届けした。今年も文化放送は戦後80年となる8月15日に特別番組を予定している。
戦争を知らない私たちは、こういった日に戦争について考えを巡らせることが戦争を忘れない、原爆を忘れないためにできる第一歩なのだと思う。
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