「『おめでとう日本列島』1970年代の年始番組に迫る!【アーカイブの森 探訪記#69】
11月に入り、今年もあと2カ月足らずとなりました。
冬の寒さを感じさせる日も増えて来たということで、
今回は1970年代に放送されていた年始の恒例番組「おめでとう日本列島」を取り上げる。
「おめでとう日本列島」は1月1日の早朝に放送された生ワイド番組で、
初回の1971年の番組概要には
「空陸の機動力を駆使、71年元旦の胎動を伝える。
放送史上初の日本の古典楽器生演奏による電リクを軸に。」とある。
ということで、まずは初回の1971年1月1日放送を取り上げる。
内容はこうある。
「電話・トピッカー(ラジオ・カー)・ジャンピー1号(セスナ機)をフルに活用、
日本各地はもちろん、世界各地を結び、その表情や話題を追って、
多角的に1971年元旦の胎動を伝える(中略)」

「空陸の機動力」とはこういうことで、
セスナ機での富士山・箱根などの上空からの中継もあったというから驚きである。
さらに、この番組ではもう一つ面白い試みがある。
「この間に使用する音楽のすべてを、聴取者のリクエストにこたえる、
尺八・琴・三弦の生演奏で古典からポピュラーまでを聴くという画期的な試みで送る」

なんと、この回ではリスナーからの電話リクエストのすべてに
和楽器の生演奏で答えたのである。
古典はもちろんだが、ポピュラー楽曲まで和楽器での生演奏。
一体どんな趣になっていたのか…お正月らしい面白い試みである。


次に取り上げるのは、1974年1月1日放送
『おめでとう日本列島』”芥川隆行・麻実子と初詣でに行こう!”
内容はこうある
「まず前7・30、芥川隆行・麻実子・鈴木隆太の3人が、
聴取者代表50名(飛び入り参加歓迎)と共に、文化放送前を出発、
元日の朝の街の模様や参加者の声をハンディ・トーキーで伝えながら
明治神宮へと向かう。」


この年の企画は、メインパーソナリティの芥川隆行・芥川麻実子(芥川龍之介の長女/当時の番組アシスタント)・鈴木隆太が、リスナー50人と一緒にハンディ・トーキー(小型の無線機)で現地の様子を伝えながら、当時四谷にあった文化放送から明治神宮へ歩いて向かうというものであった。
初回とは打って変わって、人や土地に密着した企画である。
さらに、元旦を過ごす一般家庭からの中継もあったようで、
これもまたお正月らしいゆったりとした放送だったことだろう。
最後は少し趣向を変えて、1970年1月1日放送、
『日本列島1970年』
を取り上げる。
内容はこうある。
「初詣・”初日の出”に出かけるドライバーを主な対象とした
5時間の生ワイド番組「日本列島1970年」
音楽と、日本を代表する各界の人物30人へのテレフォン・インタビューを中心に
エアロ・スバルによる上空からの交通情報”QRスカイ・レーダー”(中略)
等々。ラジオの機能を集中、1970年の幕開きを生々しく伝える。」


これは「おめでとう日本列島」の前身となった番組で、
このときは年始の特別番組として単発で放送されたようだ。
5時間の生ワイド、テレフォンインタビュー、上空やFMカーからの中継など
「おめでとう日本列島」初回との共通点もいくつか見られる。
ということで今回は、過去の番組資料から
1970年代の年始番組「おめでとう日本列島」をテーマにピックアップした。
今後も文化放送に眠る資料から、
気になる話題をピックアップしていきますので、更新をお楽しみに!!
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