キンタロー。が「内気な小学生」から「生き急いで」前田敦子のものまねにたどり着くまで
大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送・月曜日~金曜日11時30分~15時)、12月24日の放送に、ものまね芸人の「キンタロー。」が出演。ブレイクするまでの経緯や、お笑いの道を志したきっかけを語った。
大竹まこと「ものまねをいつ始めたの?」
キンタロー。「2012年にデビューして、そのころからです。上京して、(当時所属していた)事務所の松竹芸能のライブがあって。いろいろ養成所で試していたんですけど、自分のカテゴリー的に、ものまねが笑いをとりやすいな、というのを肌で感じて。最初はデヴィ夫人をやってみたんです。何か次のレパートリー、となったとき、このゴールデンラジオにも出られている光浦さんに似ているとよく言われていて」
大竹「なるほど」
キンタロー。「まず顔から入って。声も練習して。『どうも光浦靖子です。ゴールデンラジオ……』と。そうしてどんどんレパートリーを増やしていった感じです。(光浦靖子のものまねを披露する)。同じ愛知県出身なんですよ。大成功されて、憧れています」
大竹「ものまねで最初にバズったのはなんだったの?」
キンタロー。「光浦さんのあとにつくった前田敦子さんのものまねでした。ゴーン! と行きましたね。オーディションも受かりやすくなって。事務所ライブでもピラミッド型のトップに行けて。あっちゃんのネタでごぼう抜きしましたね」
大竹「すごいねえ。子供のころからやっていたわけじゃないんでしょう?」
キンタロー。「子供のころは、鏡の前の自分を怖がらせる、という遊びをしていました。5歳まで1人っ子だったので(5歳時に妹が誕生)。裕福な家庭ではなく、普通です。ビジネス旅館を営んでいて、自営業なのでカツカツでした」
大竹「将来は何になろうと思っていたの?」
キンタロー。「最初はケーキ、パン屋さんでした。だいたいそうじゃないですか。もともとは内向的な性格で。さんざんやっておいてナンですけど、陰キャというか。お友達づくりに苦戦していて、それが悩みでした。でも小学3年生のころに転機が訪れて」
大竹「うん」
キンタロー。「担任の先生が変わった人で。いまから『五匹のこぶたとチャールストン』の曲をかけるから、おまえら一心不乱に踊れ、と。デキのいいやつらは、ようかん台(黒板の下の台)に乗せていく、と。男子が『イエ~!』って踊る中、女子で私だけ『ウア~!』って踊っていたら、女子で1人だけ乗せてもらえて。その瞬間、ドン、と笑いが起きた」
大竹「ほう」
キンタロー。「1回笑いをとっただけで『あの内気な志保(本名)ちゃんが!』『何あれ!?』『おもしろいんだね!』と。大笑いを浴びて『快感!』と。苦戦していた友達づくりが楽勝になって。おもしろい志保ちゃんでいるといっぱい友達ができる、おもしろくいればいいことづくめじゃん、と思って。そこからハマって、いかに笑いをとるかの人生になりました」
大竹「食えるようになったのは?」
キンタロー。「社会人になったり結婚したかったりした時期もあって(現在は結婚し、2児の母)。いろいろ悟って『やっぱり、この夢だ』と飛び込んで。上京してきたのも30歳手前なんです。出だしが遅いので生き急いでいて。ありとあらゆるものを、みんなより凝縮してトライしてきて。芸人を志してからは、割と早い段階で前田敦子さんのものまねで世に出ることができたので、ラッキーでした」
このあとは、ものまねが批判されたときの心境や、話題を呼んだ「ねぶた」のものまねにまつわるエピソードなどが語られた。詳しくはradikoのタイムフリー機能で確認してほしい。
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