「僕って今日で引退ですか?」予選会で涙にくれた法政大学・大島史也の原点「箱根駅伝2区を見て転部しました」

「僕って今日で引退ですか?」予選会で涙にくれた法政大学・大島史也の原点「箱根駅伝2区を見て転部しました」

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10月18日、立川・昭和記念公園。よく晴れた公園に似つかわしくない緊張感が張り詰める。第102回箱根駅伝予選会。オレンジの伝統校・法政大学は、17.4km通過時点で9位、10名のフィニッシュも5番目。しかし——

「10位、立教大学——」

10位までに法政大学が呼ばれることはなかった。10との差、わずか17秒の11位。オレンジの襷が途切れた瞬間、選手たちは表情を失くした。

報告会終了後、涙に暮れたエース・大島史也(4年)は筆者にこう尋ねてきた。

「僕って今日で引退ですか?」

このチームで、このメンバーで、まだまだ走っていたかった——。話すそばからまた涙があふれた。

予選会の敗戦から、すぐに気持ちを切り替えられたわけではない。それでも、大島には前を向かなければいけない理由があった。それは、関東学生連合チームの一員として箱根路を走ること。予選会の結果はチーム内2位だったが、1位の野田晶斗(3年)が過去2度の出走経験があるために走ることはできない。12月10日のエントリーまでアクシデントがなければ、一度も出走経験のない大島をチームの代表にすることを坪田智夫監督から告げられた。

高校時代は5000m13分50秒04で当時の千葉県高校記録を更新。鳴り物入りで法政大学に入学してきた。3年生になるとその才能が開花し、秋に5000m13分35秒33、10000mは28分10秒01をマーク。ともに法政大記録を塗り替えた。

2024年、幾度と故障を繰り返しながらも、9月の絆記録会で5000m法大記録を樹立。このあと11月には日体大長距離競技会で10000mの大学記録も塗り替えることになる。

「記録を更新できたのはいい意味でのきっかけにもなったし、プレッシャーにもなりました。あの走りを基準に考えて比べると、それに勝る走りができなかったこの1年間は苦しかったです」

結果が出ないときは周囲の心無い声が突き刺さった。それでもチームのエースとして、走り続けなければいけなかった。“エース”の看板の重圧に押しつぶされそうになる大島を支えたものは、チームメイトの言葉だ。

「他大のエースと比べられたりすることがあっても、『史也は史也なんだから、他人と比べる必要ないよ』と言ってくれていて。その言葉が支えになったし、自分が自分にプレッシャーをかけすぎていたのかなと気付きました」

仲間への想いが強いからこそ、箱根だけは譲れない。伝統ある「H」のユニフォームは箱根路で輝かなければいけない。

「中学2年のときに両親に箱根の2区に連れて行ってもらって、それがきっかけでサッカー部から陸上部に転部しました。当時目に焼き付いたのが相澤晃さん、伊藤達彦さん、坂東悠汰さん。坂東さんは後ろの方を走っていたのですが、身長が高かったので目立っていて、そこで法政を知りました。すごくかっこいいなって憧れの選手になりましたし、自分も中学生や小学生、子供たちの憧れの対象になれるような走りがしたいです」

来シーズンからは実業団へ進み、トラックで世界を目指す大島にとって、箱根駅伝は陸上の原体験だ。あのとき輝いて見えた舞台に、今、ようやく立とうとしている。

法政の襷をつなぐことはできなかった。その悔しさが消えることはないだろう。それでも大島は走る。仲間に託された想いと、箱根に憧れた原点を胸に、見えない襷を次へとつなぐために。

学生連合チームのスタッフ。左から専修大・長谷川淳監督、法政大・坪田智夫監督、明治大・大志田秀次監督。大島にとって長谷川監督は高校の大先輩、坪田監督はチームの監督、大志田監督はHodnaのスカウトとしてのつながりがある。
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