「行くとこなくて新宿で野宿」「パチンコの釘をグーッと!」今では信じられない“ヤバい昭和”の思い出を山本譲二が明かす

「行くとこなくて新宿で野宿」「パチンコの釘をグーッと!」今では信じられない“ヤバい昭和”の思い出を山本譲二が明かす

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来年でデビュー50周年になる演歌歌手の山本譲二さんが9月4日のくにまる食堂にご来店。歌手に憧れ1人地元から旅立ったデビュー前の思い出を伺うと、今の常識からは信じられない“昭和”の破天荒な出来事なかりだった。

山本「当時1万4千円の給料だったけど、「譲二が歌手になる」ってご祝儀もらって、一番下の寝台で封を開けて数えたら23万円あったよ。東京に着いて、新宿っていう街に出て、でも行くとこも全くないし。新宿で2日間野宿しましたからね。それでお袋に電話したんだですよ。「誰か東京に知ってる人おらんかね」って。それで紹介してもらった大学生のツレが俺の23万全部使った。」

邦丸「うわっ!」

山本「譲二なんぼ持ってきた?って聞かれて、23万あるって言ったら「ワシに預けとき、飯も食べづらいやろ」って。それもそうだなと預けたら、あの人らもうソープランド行ったり、そんなことばっかりしよった。」

邦丸「それから数年間は譲二さんにとって苦しい時代で、色んな職を転々としました。」

山本「パチンコ屋さん、ちりがみ交換、ガードマン。まあ夜のお店は多々やりましたね。」

邦丸「でも歌手になるってことだけはずっとあきらめずにいたわけですよね。」

山本「いや、もうあきらめてたっていう感じ。もう怖い親父の目も届かないし。お金はないけど勝手気ままにね、東京で生活できて、これでいいやって。そっちの方が強かったですね。」

邦丸「ええ、そうなの?」

山本「だってもう遊びまくるわけじゃん。パチンコ屋に勤めてる時はツレに「明日の10時、開店と同時に来い」って言って。それであの…(笑)こんな話していいのか分からないけど、店に入ってきたら俺が後ろから台開けてドル箱出して「これで打て」みたいな。でもこいつらが下手くそで。」

邦丸(笑)

山本「なくなるんよ、玉が。生活できないわけですよ。それである日、ステテコ履いて、裾を輪ゴムで閉めてね。で帰る時、中にドル箱バーって2箱入れたって。まだ入ると。3箱目入れて歩いた瞬間、ドバーッ!店内、玉だらけ。」

邦丸(笑)

山本「ほいでスタッフが3人くらい来て裏に連れて行かれて。でも殴られはしなかった。それでクビになって、今度は客で行くわけじゃん。パッと見たら台が半分開いてんの。それをちょっと開けて、チューリップの上にある釘を2本グーッっと。あの釘ね、ものすごい硬いんよ、ものすごい開かんのよ。それでも生活が困ってるからグーッと開けて、それで打ったら入る入る。」

邦丸「(笑)そのまま山本譲二さんは悪への道をひた走るかと思ったんですが、レコードデビューをするんですよ。」

山本譲二さんはどうしてデビューできたのか?大ヒット曲「みちのくひとり旅」とどうして巡り会えたのか?この続きはradikoのタイムフリー機能でご確認ください。

「くにまる食堂」は平日朝11~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。

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