【お天気気象転結】追悼 菅原孝さま

【お天気気象転結】追悼 菅原孝さま

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文化放送メールマガジン(毎週金曜日配信)にて連載中の「佳子・純子のお天気気象転結」。気象予報士の伊藤佳子記者・鈴木純子アナウンサーが、毎日にちょっと役立つお天気情報をお届けしています! この記事では全文をご紹介。

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▼10月3日配信号 担当
鈴木純子

先月11日、兄弟デュオ、ビリーバンバンのお兄さん菅原孝さんが亡くなりました。81歳でした。
私は2001年春から「菅原孝のコケコッコー」という早朝5時からの番組をご一緒しました。先週9月24日の「長野智子アップデート」で初回の放送の一部を皆さんにお聴きいただきましたが、パワーにあふれていて、やりたいことがいっぱいあって……。
四半世紀前のことが鮮やかによみがえりました。箱根小涌園でのイベントでは孝さんと私がデュエットさせていただいたり、シンガポールから生放送もありました。リスナーさんとの交流を大切にしていらして、四ツ谷にあった文化放送の会議室でリスナーイベントをやったような。番組終了間際には、「さあいくぜの会」というリスナー参加のイベントもやった覚えがあります。

またこの時期は気象予報士になりたてでした。
番組で私がやったこととは……「この日の天気を五七五で表す」かなり苦しい川柳?で、コケコッコーの後の番組を担当されていた水谷加奈アナウンサーが、
「純ちゃんの川柳は、うまい下手じゃない。頑張った。という感じが伝われば、それでいいんだよ。」と励ましてくださったことを覚えています。


△菅原孝さんと

この写真は、番組をご一緒しているとき、孝さんのお父様の卒寿のお祝いを、ご両親のお宅で開催したときの一枚。後ろに写っているのは孝さんのお父様です。番組スタッフを皆招待してくださり、孝さんのお子さんたちともここで初めてお会いした覚えがあります。番組が終了してからも交流を続けてくださり、私の結婚のパーティーにもいらしてくれて、娘が生まれたときには、自宅の留守電にお祝いの言葉を残してくださいました。長い長いメッセージ。とっても温かくて。残してあるんですよね。すぐに聴き直そうと思ったけど、まだ聴けていません。
番組が終了してからも「くにまるジャパン」や「ゴールデンラジオ」のゲストでいらしたときには色々とお話しました。脳出血で倒れられて、車椅子でおいでになったときにお話したのが最後だったかもしれません。話題はほとんど「ラジオ」について。「この前の放送聴いたよ。」から始まって色んなご意見をくださいました。ラジオが大好きだった孝さん。落ち込んだり、泣いたりしてたら、怒られそうです。
孝さん、本当にお疲れ様でした。私、孝さんが大好きだったラジオで、これからも頑張りますので、良かったら、空から突っ込み入れてください。

気象予報士 鈴木純子

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