内田樹「16~17歳の頃はお腹が減ったっていう記憶しかない」
思想家の内田樹は高校を中退した後、大学入学資格検定を経て東大に入学。その後、大学で教鞭をとり、思想家となった。12月9日の「大竹まことゴールデンラジオ(文化放送)」では内田樹が若き日の思い出を語った。
内田「色んな事ができないんですよ。忖度とか全くできないですよね。あと空気読んで、その場の空気に合わせるってことが全くできない。すぐ浮いちゃう人なんですよね」
大竹「その自覚ができたのはいつくらいから?」
内田「すぐ浮いちゃうっていうのは高校くらいからですかね。それまで色々キャラクターを演技していたので、優等生とか虚弱児とかやってて、高校に入ってボンクラ不良高校生っていうキャラクター設定を採用してやったら大変居心地が良かった。それがどんどん暴走していったんです」
小島慶子「高校を途中で辞めて家出しちゃう。何で辞めちゃったかというと、時代の雰囲気を高校生なりに感じたっていうことですが、どういうことですか?」
内田「1967年ですからね、どんな時代だったか、大竹さんはご記憶でしょうけど、本当に地殻変動的な地獄の窯の蓋が開いたみたいな感じでしたからね。これから世界的な激動の時代に入っていくのに砂被りで見なきゃっていう感じでした。受験勉強なんてやってられるかよっていう感じだったんですよ」
小島「そこからアルバイトして、飢えの極致までいって…」
内田「16~17歳の頃って、とにかく1日5食くらい食べたい時に本当にお金がなくて食べられなくて、お腹が減ったっていう記憶しかないです。家出の間は」
大竹「どうやって食ってたの?」
内田「バイト先に行くとトースト1枚食べさせてくれるんですよ。あとは給料もらって、しばらくのうちはパン買ったりラーメン買ったりして食べてました。外食なんかしたことなかったです」
大竹「外食は高いから」
内田「トースターもなかったからパンをバターもつけずに、そのままかじる。そういう生活してました」
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