「いた証を残したい」家族7人を失った父親がバッティングセンターを建てるまで
大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送・月曜日~金曜日11時30分~15時)、3月11日の放送に『夜明けのバッティングセンター: 3・11で7人の家族を失った息子と私の15年』(販売中)の著者であり、宮城県気仙沼市で乳飲料販売業を営む「千葉一商事」代表・千葉清英、その息子である瑛太親子が出演。震災の発生から、バッティングセンターの建設に至るまでの思い、エピソードを語った。
大竹まこと「(千葉)瑛太くんはいま24歳ですか。お父さん、良かったですね。瑛太くんがちゃんと大人になって。子供のころ、遠くの街にはバッティングセンターがあるけど自分のところにはなくて。お父さんになんて言ったんですか?」
千葉瑛太「当時、週末にクルマで1時間半かけながら、岩手のバッティングセンターに通(かよ)っていました。そのとき『バッティングセンターつくってよ』という会話をして。日常会話だったので実現の可能性は考えていませんでした」
大竹「(実現した)バッティングセンターは全部で7つ、打席があるそうですね」
千葉清英「亡くなった家族(妻、妻の両親、妻の妹とその息子、自身の娘2人)を忘れたくない、というのが強くありました。いたんだよ、という証を残したいなと。そのために7つの打席となったんですね」
大竹「その打席に瑛太くんは立った?」
瑛太「立ちました。正直、7打席にどんな意味が込められていたか、というのは、あとあと知るんです。ただ、何もない更地から少しずつネットが立って、バッティングの機会が置かれ始めて、という過程を見てきたので。本当にできたんだ、形になったんだ、と感動したのはすごく覚えています」
大竹「気仙沼ですよね。震災があって、バッティングセンターはどこにつくったんですか?」
清英「少し山のほうですが、中心部からクルマで7、8分ぐらいの距離です」
大竹「山を削るなどした?」
清英「ゴルフの練習場があるんですよ。たまたま経営者と同じ町内会だったんです。先方から『使わないか』と声をかけていただいて。ゴルフ場の延長にあるので、そこを造成しなければいけない。仲間を入れて自分たちで。7、8人いましたかね。毎日のように。中心になってくれた建築会社の社長がいて。無償で奉仕してくれました」
大竹「いくらかかったんですか?」
清英「やはり、億は近かったです」
大竹「会社も再建しなくてはいけない。そちらも厳しい環境だったと聞きます。そこに1億円。どこからそのエネルギーが出てきたんでしょう?」
清英「今やれ、と言われたら怖くてできません(笑)。当時は従業員が10人残ってくれていて。家族を守らなければ、と思って動き始めたんですね。ただ会社の再建、実家の再建、先が見えないんですね。どうすればいいかわからない状況の中で悶々としていました。その矢先、息子からの一言があったので。ある意味、そこに救われたというか。やることが見つかった、みたいな」
大竹「やってやろう、と。会社も従業員がいて、そんなに黒字ではなかったんですよね?」
清英「そうですね。ただ当時は震災前を超えよう、という目標を持っていたので。皆、毎日、声がけをして。1年で超えてきたかなと」
このあとは会社の再建の道のり、野球にまつわるエピソードなどが語られた。詳しくはradikoのタイムフリー機能で確認してほしい。
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