42年前、吉田照美に「白羽の矢」が立った理由 文化放送を変えた「てるてるワイド」

42年前、吉田照美に「白羽の矢」が立った理由 文化放送を変えた「てるてるワイド」

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2022年3月31日、文化放送は開局70周年を迎えた。それに伴って3月28日から4月3日までを「開局70周年ウィーク」とし、70時間特番が編成された。その中で4月3日の14時から16時まで、1980年10月から87年4月まで放送されていた、平日夜のワイド番組「吉田照美のてるてるワイド」が復活した。

ーリスナーとの距離感の近い企画がトップの理由

今回の特番は文化放送、齋藤清人社長が総合プロデューサーとして参加。齋藤社長は中学、高校からの、てるてるワイドのヘビーリスナーで、文化放送の入社動機にもつながる番組だったという。

そんな番組の幕開けから水谷加奈アナウンサーが「照美さんいつもギリギリなのに、今日は結構早くいらっしゃいましたよね?」と質問を投げかけた。

それに対して吉田さんは「持つべきものはリスナーだね。村上君というヘビーリスナーがいるんだけど、先週から出待ちしてもらって『来週(文化放送のある浜松町まで)送って行きますよ』とか言ってて。半信半疑だったんだけど、乗ったらあっという間だよ。30分かからないで着いちゃった」と、リスナーとの距離感の近さを感じさせた。これには水谷アナも「リスナーに送ってもらうってどういうことですか!? 良いリスナーさんですねぇ」と笑いながら困惑していた。

また、当時のコーナーや楽曲を振り返りながら進んでいく中で、吉田さんが当時を語る場面もあった。

「当時12歳だった水谷アナは知らないかもしれませんけど、42年前まで文化放送は夜の時間帯に『大学受験(ラジオ)講座』とか、『百万人の英語』とか、受験生には非常にありがたい番組を続けておりました。僕も受験生の頃に何回か聴いたりしましたけれど、でもそのせいで他局に負けるという事態が残念ながら続いたわけです。ずっと低迷しておりました文化放送の“夜”を変えようと始まったのが『吉田照美の夜はこれから てるてるワイド』。お金もそんなに使えない時代だったのね、バブルはまだきてないですから。(当時は文化放送アナウンサーだったため)安上りで局アナで変なのがいるなとか、深夜放送や表周り(リポートなど)でバカやってる吉田にやらせてみようか、みたいなので白羽の矢が立ったと思う」と番組の成り立ちを話した。

そして取材からイベントまで数々のコーナーを行い、放送開始から半年で、夜のラジオ界のトップに就くことができたという。今回の復活特番には、当時スタッフだった劇作家の宮沢章夫さん、放送作家の小山薫堂さんもゲスト出演して、思い出話に花を咲かせた。

「吉田照美のてるてるワイド」はradikoのタイムフリー機能で、4月10日(日)まで聴取できます。

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