2018/8/07

被爆73年、広島で平和式典 核なき世界へ役割果たせ

 広島は6日、被爆から73年の「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園では午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれた。松井一実市長は平和宣言で、日本政府に対し「憲法の平和主義を体現するためにも、国際社会が核なき世界へ向けた対話と協調を進めるよう役割を果たしてほしい」と主張。一方、核兵器禁止条約への批准を直接的な表現では求めなかった。
 昨年、核禁止条約が国連で採択され、核廃絶への機運醸成につながると期待された。しかし、米国の「核の傘」の下にある日本政府は否定的な立場を取っており、被爆者から批判が相次ぐ。

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国際ジャーナリスト
高橋浩祐
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広島の原爆投下から73年。無念にも犠牲になった方々の死に報いるためにも、日本は歴史に学ぶ国、そして、日本人は歴史に学ぶ民族でありたい。アメリカによる広島と長崎への原爆投下は日本のみならず、世界中で広く知られていることだ。


しかし、アメリカ軍の当初の計画では、東京湾や横浜、川崎、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡、熊本など17カ所が原爆投下目標の研究対象としてリストアップされていたことはあまり知られていない。日本の降伏が長引き、アメリカがさらなる原子爆弾の開発に成功していれば、これらの都市のいくつかも原爆の爆心地になっていたかもしれない。


この件について、東洋経済オンラインに記事を書きました。
◎ 京都や横浜も原爆投下の有力候補地だった東京湾や川崎もリストアップされていた


振り返れば、先の大戦の日本人犠牲者は310万人に上った。戦争終結が半年早ければ、全戦没者の3分の1が救われたとの見方がある。吉田裕著『日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実』によると、310万人のうち、9割が1944年以降に亡くなったという。同年7月のサイパン陥落後の1年間に集中している。サイパンやテニアン、グアムなどマリアナ諸島を制圧したアメリカ軍は、ここを拠点にB29で日本本土への長距離爆撃を始めたのだ。


そして、日本の場合、特殊なのは戦地での病死や飢餓が異常に多かったこと。1944年3月からのインパール作戦や同年4月からの中国の大陸打通作戦など補給を無視した無謀な作戦に日本兵が大量動員された。最後の1年に犠牲が集中するなか、それでも戦争をやめなかった。なぜか。誰の責任か。原爆投下に至った原因と責任、回避可能だった策をしっかりと究明し、次世代へと伝えていかなくてはいけない。

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