錦織一清「少年隊のニッキを“お笑い担当”にしたのはジャニー喜多川さんの教育」〜 10月18日「くにまるジャパン極」

錦織一清「少年隊のニッキを“お笑い担当”にしたのはジャニー喜多川さんの教育」〜 10月18日「くにまるジャパン極」

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少年隊の“お笑い担当”ニッキこと錦織一清さんは、デビュー当時、ジャニー喜多川さんに「ユー、つまらないよ」と言われる存在だった。10月18日「くにまるジャパン極」(文化放送)では、ニッキがどのように“お笑い”に目覚めていったのかを熱く語った。

野村邦丸アナ「少年隊の3人でいえば、ニッキが“お笑い担当”ですよね?」
錦織氏「死んだオヤジがそういうの大好きな人で子どもの頃、寄席によく連れてってもらったんです」
野村アナ「やっぱり!ニッキの話聞いてると落語のマクラみたいだもん」
錦織氏「噺家さんっていうのは芸能の仕事の中で一番偉いと思っているんです。一人で何役もこなして“間”だけで勝負する。マイムでも扇子を使って箸に見立ててソバを食べたり…そういうのに憧れていたんですよ」
野村アナ「少年隊のニッキもいいですけど、出囃子で出てきて落語をやるのもありじゃないですか?」
錦織氏「やってみたいですね噺家とか講談とかも…」

そんな錦織さん、デビュー当時のことを振り返り…
錦織氏「実はデビュー当時、僕は面白い人間じゃなかったんです。ジャニーさんに『コンサートのトークが面白くない』って怒られてたんです。」
野村アナ「一番最初は『ユー、つまんないよ』って言われてたんだ」
錦織氏「つまんなかったですね。その頃は歌って踊ってカッコつけてればいいのかなって思ってたらジャニーさんに『トークでもお客さんを喜ばせなきゃいけない』って…」

錦織氏「よく言われたのが沢田研二さんの話で、ある収録の時、ジャニーさんが『ジュリーを見てごらんよ。あんなにきらびやかに歌っているのにあんなに面白い事やるんだよ。牛乳ビンの底みたいな眼鏡つけたり、自分から率先してやるやるっていうのは本業の歌に自信があるあらわれだよ。そういうところは見習わなきゃダメ』って言われました」
野村アナ「ジャニーさんの目の付け所ってホントに違うんですね」
錦織氏「ジャニーさんはアメリカ育ちですから、アメリカントークが根底にあるんです。皮肉から入ったり、質問に対しては必ずジョークで返すとか、僕はそういう教育を受けて育ちました」

「くにまるジャパン極」は平日朝9~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。

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