パラトライアスロン銀メダリストの宇田秀生選手「次も表彰台で目立ちたい!」 ~11/30 ニュースワイドSAKIDORI

パラトライアスロン銀メダリストの宇田秀生選手「次も表彰台で目立ちたい!」 ~11/30 ニュースワイドSAKIDORI

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東京パラリンピックのトライアスロンで銀メダルを獲得した宇田秀生選手(立位/PTS4)が、30日、文化放送「斉藤一美ニュースワイドSAKIDORI!」内『応援!ユニバーサルスポーツ』に電話出演。金メダルも視野に入る3年後のパリ・パラリンピックに向けて、「日々、コツコツと積み上げて行きたい」と語った。

パラトライアスロンの日本人選手がパラリンピックでメダルを獲得したのは、宇田が初めてだ。パラリンピック初出場で銀メダル。ゴール後は人目をはばからず号泣した。レース中の野性味あふれる躍動感も観る者に鮮烈な印象と感動を与えたが、パラアスリートになるまでの経緯は、筆舌に尽くしがたい。

宇田は1987年、滋賀県で生まれ、小学校の時にサッカーを始めた。高校卒業まで県の代表選手として活躍し、別の高校の1学年下には、後に日本代表として活躍する乾貴士がいたという。大学卒業後、建設会社に就職し、2013年に結婚。だが、その5日後、大事故が起きた。右腕が職場の機械に巻き込まれ、生死のはざまを彷徨ったのだ。そこで斉藤キャスターが「絶望しかなかったのでは?」と尋ねたところ、宇田が「案外そうでもなくて、これは早い段階からパラリンピックを狙えるぜということを妻と病室で言っていたと思う。2人ともポジティブだった」と平然と答えた。これくらいのメンタルでないと、大舞台で活躍できないのであろうか。いや、宇田の発言に拍子抜けし、驚いたリスナーも多いはずだ。「小さい頃からサッカーをやっていたし、体を動かすのが好きだったので、(事故直後から)そっちの方向へシフトしたのだと思う」ということも振り返っていた。

宇田はリハビリの延長として水泳を始めたことがきっかけでトライアスロンと出会う。「練習もしたが、負けず嫌いということもあった。事故から2年後のアジア選手権で勝った時から、手ごたえがあった」と力強く言い切った。東京パラリンピックでは、最初のスイムが8位で、そこからバイクで3位まで浮上。最後のランでは2位まで追い上げた。


松井アナがどんな気持ちで戦っていたのかを訊くと、宇田は「スイムから焦っていたが、とにかく前の選手だけを見てガムシャラに走っていた。僕の場合はスイムが苦手なので、毎度毎度、あのような(追い込み型の)レース展開になる。僕の性格に合っているのかも」と答えた。宇田は大事故で右腕がない。スイムではその分、不利である。「負けたくない。もう少し練習頑張ります!」と意気込んだ。

宇田の妻は、大事故後も「なんとかなる!」と献身的に宇田を支え、しかも当時、妻のお腹には赤ちゃんがいた。こうしたことが踏ん張る1つの理由になったのかと斉藤が訊くと、宇田は「かなり大きな要因ではあったと思う」と、しみじみと当時の思いを噛みしめていた。


3年後のパリ・パラリンピックについて斉藤が振ると、宇田は「もちろん、出来るだけいい結果を出したい。やることは今までと変わらず、日々コツコツと積み上げていきたい」と地道にトレーニングに取り組むことを強調した。今後、得意のバイクとランをさらに伸ばすのか、苦手なスイムを強化するのかと斉藤が尋ねると、宇田は「どっちも!まだまだ3種目とも、伸び代があると思っている。次も表彰台で目立ちたい!」と締めくくった。宇田は口数こそ少なかったが、秘めた闘争心がにじみ出ていた。宇田秀生(うだ・ひでき)という名前、是非、覚えてほしい。

(構成 後藤)

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