「トルコ・シリア地震」による被害への義援金 総額485万9858円をトルコ大使館に寄託

「トルコ・シリア地震」による被害への義援金 総額485万9858円をトルコ大使館に寄託

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文化放送は、番組等を通じて募集した『「トルコ・シリア地震」による被害への義援金』の全額4,859,858円を、4月18日(火)にトルコ大使館に寄託いたしました。

 リスナーの皆さまには、心温まる多くのご支援を頂戴いたしました。ここに厚くお礼申し上げるとともに、ご報告とさせていただきます。

 2月6日に発生し、甚大な被害をもたらした「トルコ・シリア地震」で被災された方々を支援するため、同局では、2023年2月9日(木)から3月31日(金)までの期間、月曜日から日曜日の各ワイド番組、ホームページ、そしてSNSを通じてリスナー等に義援金募金を呼びかけました。

 そして集まった義援金 4,859,858円を文化放送代表取締役社長・齋藤清人より「文化放送聴取者一同」として、義援金目録をコルクット・ギュンゲン 駐日トルコ大使に寄託いたしました。義援金はトルコ大使館を通じて本国のトルコ災害緊急事態対策庁(AFAD)に送られ、被災者の生活支援に充てられます。

 駐日トルコ大使のコルクット・ギュンゲン氏は今年2月に、『ニュースパレード』(文化放送をキーステーションに、他全国32局の制作協力で月曜日から金曜日の午後5時から放送中)の独占取材に応じた際、「物資の支援はトルコ国内での配送に時間と労力がかかってしまうため、その時々のニーズにあわせた適切な使い方ができるという観点から、我々としては義援金の受け入れを前提にさせて頂いている。」とリスナーに向けて呼びかけをしました。
 この放送を機に、同局にはリスナーから「トルコ大使館宛てに、ぜひ義援金を送りたい」というメッセージや問い合わせが相次ぎました。文化放送ではリスナーから寄せられた義援金をまとめ、このたびトルコ大使館宛てに寄託をしてまいりました。

 コルクット・ギュンゲン 駐日トルコ大使は、文化放送・齋藤清人社長と30分に及び会談を行い、以下のようにコメントしています。

 トルコと日本は地理的にはかなり離れているにもかかわらず、義援金募集の口座を開いた際に、多くの義援金を皆さんが寄せてくださいました。
こういった義援金全てをトルコのAFADという組織に送金させていただいております。ちなみにこのAFADという組織は、トルコの自然災害からの緊急事態対策などを行う公的な機関でございます。2011年の東日本大震災の際に、トルコから派遣された救助隊も所属している機関です。

 支援物資を被災地域に送りたいというご希望がある方は、必ず事前にトルコ大使館に問い合わせていただきたいです。私達がそういった問い合わせをいただいて、まずその内容について本国担当機関に被災地域で本当に必要とされている物資かどうかを確認いたします。その中で、被災地域で必要とされていない、あるいは使えそうでもないものが送られても、これはせっかく頂いた支援がもったいないからです。
 そしてもう一つの支援の仕方としては、当館で開口した義援金口座がありますので、そちらからの送金がいただけます。当館としましては定期的に集まったその義援金を本国に送金をさせていただいております。義援金を送金してくださる方々も、一定以上の現金であれば、受領証の発行も可能ですので、当館まで問い合わせいただければ対応させていただきます。本当にありがとうございます。

在トルコ日本国大使館 お問い合わせ
https://www.tr.emb-japan.go.jp/itpr_ja/J_01_01.html

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<コルクット・ギュンゲン駐日大使・齋藤清人文化放送社長の会談内容>

齋藤社長)
今日はお忙しい中、ありがとうございます。トルコの現状は、いかがでしょうか?

コルクット・ギュンゲン大使)
ご存知の通り、今回の地震で5万人以上の国民が犠牲になりまして、2万戸の建物、建築物が崩壊し、10万棟の住宅が使えない状態になってしまいました。
被災地の至るところにコンテナ村が設けられて、そして被災者の一部が被災地域以外の国内の他の地域に移動しました。そしてこれからの復興復旧に長い道のりになるということが予測されています。

齋藤社長)
地震の1ヶ月ぐらいの後に雨の被害もあったと聞いています。今、天気は安定している状態でしょうか?

コルクット・ギュンゲン大使)
地震が発生したその当時は非常に寒かったということが悩ましいことでした。
そしてその後に洪水が発生しました。この地域には普段こういった大雨が滅多にないところに記録的な雨が降ってしまい、洪水の問題が発生しました。
今だんだんと暖かい季節に入ろうとしておりますが、暖かくなると、これはまた衛生面で新たな問題の懸念があります。要するに時間が経つにつれて、その時その時の新たな悩みがでてくるということでございます。

齋藤社長)
ご存知のとおり日本も、2011年に大きな地震がありました。トルコへの支援はずっと続くとは思いますけれども、私達は放送局なので、今2ヶ月少し経って、日本のラジオを聞いているリスナーへのメッセージをいただけないでしょうか。

コルクット・ギュンゲン大使)
まず、地震が発生した当日以来、時間が経つにつれて、被災地で必要とされる必需品が変わってくるという状況であります。
そして今、被災地の被災者への対応がより組織的に順調に進むということ、落ち着いてくるという傾向もあります。しかし、瓦礫処理が今現在も続いております。それと同時に、新しい建物の建築・建設の段階になるところです。その新しい建物、あるいは新しいインフラはどの地域のどこに作るのか、そういった計画をして、一部については入札も行われて工事を開始している状況です。

今回の地震でトルコの11の県に広がる広大な被災地域が存在しています。
それぞれ11県の被害状況が異なるものの、一部ではかなり悪い状況であり、今も、テント村の生活、あるいはコンテナ村での生活を強いられる国民が大勢いらっしゃいます。その被災者への対応が依然として今も大きな課題になっています。

今現状を見ますと、被災地域で必要とされていることが、概ね二つ、説明できるかと思います。
ひとつが、新しい街作り、新しい建築物を建て直すということです。これは長い道のりになりそうと予想されます。
それと並行してもうひとつ、今現在の、避難所での生活を強いられている国民のニーズ対応
食料提供あるいは衛生面。衛生面の中でも様々あり、トイレやお風呂。住宅の施設のインフラの整備や、あるいは児童の学校とか教育のニーズ、あるいは医療機関の充実化、と、こういった側面での生活支援をこれからも続けていかなければいけないという状況です。

そして、この地震直後から日本政府が救助隊を派遣してくださいました。それに続いて医療チームを段階に分けて送ってくださいました。野外病院を日本から被災地域に設置して、その運営もしてくださいました。
同時に様々な支援物資、これはテントも含めて、日本政府より被災地域に送り届けられました。これは政府側で頂いたご支援でございます。さらに、日本の様々な企業、そして一般国民からも、義援金という形で、あるいは支援物資という形で様々な支援を頂いております。
その中で多くの義援金も集まりましたし、あるいは仮設施設で使えるようなトイレ等々も被災地域に送り届けられました。本当にありがとうございます。

ご存知の通り、トルコと日本は地理的にはかなり離れておりますが、それにもかかわらず、義援金募集の口座を開いた際に、多くの義援金を皆さんが寄せてくださいました。
こういった義援金全てをトルコのAFAD(トルコ災害緊急事態対策庁)という組織に送金させていただいております。
ちなみにこのAFADという組織がトルコの自然災害からの緊急事態対策などを行う、公的な機関でございます。2011年の東日本大震災の際に、トルコから派遣された救助隊も所属している機関です。

そこで、リスナーの皆さんにお伝えいただけるのであれば、支援物資を被災地域に送りたいというご希望がある方は、必ず事前にトルコ大使館に問い合わせていただきたいです。
私達がそういった問い合わせをいただいて、まずその内容について本国担当機関に被災地域で本当に必要とされている物資かどうかを確認いたします。
その中で、被災地域で必要とされていない、あるいは使えそうでもないものが送られても、これはせっかく頂いた支援がもったいないからです。

そしてもう一つの支援の仕方としては、当館で開口した義援金口座がありますので、そちらからの送金がいただけます。そして当館としましては定期的に集まったその義援金を本国に送金をさせていただいております。
義援金を送金してくださる方々も、一定以上の現金であれば、受領証の発行も可能ですので、当館まで問い合わせいただければ対応させていただきます。

齋藤社長)
ありがとうございます。大使の言葉にもありましたが、確かに日本とトルコの距離は離れていますが、私も、日本の明治時代のエルトゥールル号のエピソードを映画ですとか、本で知ったこと、トルコというのは、やはりすごく、日本の国民にとっても、「ものすごく遠いけれども近い」という思いがあります。先ほども言いましたが、支援はこれだけではなくて、まだまだトルコの復興のために支援を続けていくと、私達もラジオ局として、それをリスナーにメッセージをしていくことをお約束します。

コルクット・ギュンゲン大使)
心強いお言葉ありがとうございます。
エルトゥールル号の事件、その当時のことを考えれば、はるか遠い国からやってきた船がここ日本で海難事故を起こしてしまいました。その際に、日本の国民の皆さんの献身的な救助活動で大勢の乗員が一命をとりとめることができました。
しかも、その生存者を日本海軍の帝国海軍の2隻の軍艦を持って、祖国まで送り届けて下さった、という歴史があります。…そして今のお話をお伺いして思い出しましたが、私も先日、和歌山を訪れた際に、ひとつの展示会がありまして、そこで展示されているうちのひとつに、1890年にエルトゥールル号の使節団が天皇陛下にトルコの豪邸からお持ちした大きなテーブルクロスも展示されていたことを思い出しました。

齋藤清人)
私の友人の落語家が、今年の2月に、義援金のための寄席を開き、エルトゥールル号の噺をしていました。

コルクット・ギュンゲン大使)
(歓心しながら)ありがとうございます。

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