丹野智文「すぐに態勢を整えて、これが俺の病気なんだなと思った」認知症による幻視があった。〜10月29日「大竹まこと ゴールデンラジオ」

丹野智文「すぐに態勢を整えて、これが俺の病気なんだなと思った」認知症による幻視があった。〜10月29日「大竹まこと ゴールデンラジオ」

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10月29日の「大竹まこと ゴールデンラジオ」(文化放送)に、39歳で若年性アルツハイマーと診断された丹野智文 さんがゲスト出演し、認知症当事者の 病との向き合い方を語った。

認知症になって困ることを聞かれた丹野氏は、

「私の場合は一番困っているのは人の顔がわからなくなること。TVを見ていても人の顔が変わってしまうので誰が誰かわからなくなってしまう。子供の顔が本当に合っているか、たしかさが無いので、ボーっと見ていても子供の方から誰々だよ~っと言ってくれて助かることがある」と、各人で症状が違い、丹野氏の場合は相貌失認の症状が強いと話した。

認知症発症当時は販売成績トップの自動車セールスマンで、若年性アルツハイマーを発症したことを会社へ報告するときはクビ覚悟だったという。

「検査入院も長かったので報告せざるを得なかった。会社には首になると思って若年性アルツハイマーと書いてある診断書を見せたが、社長に体は動くんだろ?なんでも仕事はあるから戻ってきなさいと言ってくれた」

丹野氏は退院後、主に事務関係の仕事に従事していたが、今現在は認知症関連の講演会等が多くなったこともあり、スポーツマンのように会社には所属しているもののほぼ会社の仕事はせず、認知症の啓発活動を行っている。

33歳くらいから人よりも記憶力が悪いなと感じていたという丹野氏は、仕事も多かったので仕事のストレスだと思っていたそうで、徐々に自分がおかしくなっていることに気が付いたという。

「お客さんが来たから後輩に行かせたら、丹野さんのお客さんですよという。知らないなぁと言ったら、昨日ずっと喋ってたじゃないですか、って。怖いですよ」

あの人偉い人っぽいけど誰かなぁ?と周りの同僚に言ったら社長ですよ!と言われたこともあったという。そんな時に周囲が笑ってくれるから今の自分でいられるという丹野氏。

しかしそんな環境も徐々にできあがったもので、最初の1年半ほどは腫れ物に触るような対応だったという。

「相手も自分が何ができるかがわからない。そんな時に新人の子としばらく一緒に仕事する機会があった。その子は自分の過去を知らず、偏見がない。だから、たとえアルツハイマーでも自分ができること、できないこと、やりたいことをきちんと伝えるようにしたら周りが変わってきた」

自分の環境を自分で作り上げた丹野氏だが、丹野氏のケースは丹野氏にしか当てはまらないという。

「認知症と言っても100人いたら100人症状が違う。本人に何をしてほしいのか、何がやりたいのか聞くのが大事」という丹野氏。

一番当事者が抱えている問題は何か聞かれると、丹野氏は当事者の多くは同じ問題を抱えていると話した。

「一番相談されるのは、診断された瞬間子ども扱いされる。遠くに行くのを禁止される。財布を持つのを禁止される。これがものすごく多い。これはご家族や支援者のやさしさ。道に迷うかもしれないから、一人で出かけないでという。迷ったら人に聞くとかグーグルマップを使えば済む話だし、道に迷うということに備えるのが大事だと思う。認知症の人を守るのではなく、応援してくれる人が増えたらいい」

「大竹まこと ゴールデンラジオ」は午後1時~3時30分、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。 radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。

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