武井壮 トップランナー大迫傑に迫る!~「武井壮と大迫傑のガッとしてビターン」

武井壮 トップランナー大迫傑に迫る!~「武井壮と大迫傑のガッとしてビターン」

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東京五輪をはじめ、様々なことがあった2021年。文化放送では年末に、東京五輪マラソン男子日本代表で6位入賞を果たした大迫傑さんを迎え、「武井壮と大迫傑のガッとしてビターン」を放送しました。

そして2022年2月7日、大迫傑さんは「また走ろうかなって。」とSNS上で新たに走りだすことを発表。



2021年年末に放送した「武井壮と大迫傑のガッとしてビターン」でのお二人の対談を改めて振り返ります。



 

トップランナー「大迫傑の作り方」に迫る!

武井 大迫くんとはマラソンで日本記録を出した直後に、1度食事をしたことがあるんだけど、あのとき僕、脚を見せてもらったじゃないですか。

大迫 そうでしたね。

武井 無駄なものが何ひとつついていなくて、長い距離を速く走る能力を突き詰めた驚愕の仕上がりだったんですよ! あれには衝撃を受けました。もう一回見せてくれないかな?

大迫 いいですよ(笑)

武井 引退しても、このふくらはぎかよ! 今も走ってるの?

大迫 はい。昨日の夜は32km、今朝も16kmぐらい走ってきました。

武井 昨日の夜走って、今朝も走ったの?

大迫 はい。皇居をまわって、浅草寺に行って、スカイツリー見て……。観光ランというか、散歩みたいな感じです。

武井 なんか東京マラソンのコースみたいだな(笑)。大迫くんにとっては走ることが心地いいということ?

大迫 そうですね。あとちょっとむくんでいるときも走ります。走り終わるとシュッとする感じが、気持ちいいというか、うれしい(笑)

武井 どういう体になっているんだ。こうなるとどうしても聞きたいのが「大迫傑の作り方」。大迫くんは世界で一番速く走りたいと思って、能力を伸ばしてきたわけでしょ? その意識はいつ頃から芽生えたの?

大迫 ぼんやりと考え始めたのは高校生ぐらいからですかね。

武井 中学のときは?

大迫 単純に走ることが好きで、他の人に負けたくなさすぎて、練習をしまくっていました。先のことは全然考えていませんでしたね。

 

2度と戻りたくない佐久長聖高校時代

武井 そこから超名門の佐久長聖高校に進学するよね。なぜそこを選んだの?

大迫 色々な高校を調べてたのですが、本当に陸上に打ち込みたいと考えたら、あえて厳しい学校に行った方がいいと思ったんです。

武井 厳しいというのは俺も聞いています。みんな坊主頭で、クロカンコースをバンバン走りまくるんだよね。実際厳しかった?

大迫 朝起きて、練習して、学校で授業を受けて、お昼を食べて、授業をして、終わったら走って寮に戻って、練習の用意をして練習。帰ってきたらお風呂入って、夕食を食べて、勉強会みたいなのがあったのでそれを受けて。21時半か22時には消灯。1日の自由時間が1時間あるかないかで、ずっと忙しくしていました。とても濃い時間でしたけど、もう2度とやりたくないですね(笑)

武井 あの大迫傑が2度とやりたくないというぐらい厳しいのか(笑)。佐久長聖高校からすごいランナーが多く輩出されているというのは、ハードな練習をこなしていることが理由だと思う?

大迫 もちろん練習はハードでしたが、ただ厳しいだけじゃなくて。当時の監督だった両角速先生(現・東海大学陸上競技部中長距離駅伝監督)が「ある程度自分で考えなさい」と余白を残した指導法をされていて。両角先生が決める練習メニューもあるのですが、自分たちで考えた自由練習もあって。自分で考える習慣が高校時代に身についたことも大きいと思います。

武井 自由練習はどんな感じなの?

大迫 みんなライバル心がパチバチで、ゆっくり走る練習なのに、結構スピードが上がってしまったり(笑)。最初の頃はそういう競争が続くことにやっぱり疲れるんですけど、3年間やっているとそれが当たり前になってきます。

武井 そこから早稲田大学に入学して。当時の監督の渡辺康幸くんは、僕と同じ歳なんですよ。

大迫 そうなんですね! 驚きました。

武井 大学に入ってからはいかがでしたか?

大迫 大学1年生の時は「自分はどうしたらいいんだろう」と少し迷走していました。ただ大学3年生の時にナイキ・オレゴン・プロジェクトを見学して、「身体ってこうやって作るんだ」と思ったんです。

武井 体の動かし方へのアプローチが違った?

大迫 僕らは練習でも1〜2時間走るので、一歩一歩を意識するのは難しいんです。だから高校時代だとアップダウンのあるクロスカントリーコースを走ることで、腰高で、体の真下に近い接地のフォームを身につけていきました。

武井 短距離だと100m走るのに50歩弱しかないから、一歩一歩技術にフォーカスして、力を入れる向きなどを考えるのですが、長距離を走るとなると、頭で思っているようじゃ追いつかないわけですね。

大迫 もちろん走る前に動き作りをしたり、自分がいかに楽に走れるかということも意識しますが、無意識に走れるようにするというのは大切です。

 

なぜオレゴン・プロジェクトで速くなれるのか

武井 オレゴンプロジェクトは違った?

大迫 外部からウエイトトレーニングのコーチを呼んだりすることで、フォームは作れるんだと知りました。もともと僕は自分の感覚を信用していなくて。その日の状態によって感覚は違うものだし、調子が悪いと思っていても走っている時の写真を見ると、いつも通りのフォームだったりする。だからフォームは意識だけで作るものじゃないと知ることができたのは、僕にとっては大きかったですね。

武井 その後、オレゴンプロジェクトに正式加入するわけですが、僕、最初に会った時に「オレゴンって何が違うの?」って聞いたじゃないですか。あのとき大迫くんが最初に言ったのが「何も変わらないですよ」だった。

大迫 はい、覚えてます(笑)

武井 「え!? 何も変わらないの!? 技術とかコーチングとかすごいものがあるんじゃないの?」って聞いたら、「いや、シンプルに走るスピードが速くて、量が多いだけです」って。俺、あれもう衝撃だったんですよ!

大迫 先ほどウエイトトレーニングの話はしましたけど、やっぱり速く走る上で一番大事なのは、いかにたくさん速く走るかです。

武井 その速くて多いってどれぐらい違うの?

大迫 例えばインターバル走は、日本だと多く走っている選手でも1000m×8〜10本を2分36~38秒ペースぐらいです。ところがオレゴンだと10~11本を2分30秒ペースで走る。しかも1600mくらいの高地で走るんです。

武井 トラック1周で1秒ぐらい変わるのか。しかも高地となると負荷はだいぶ違うよね。

大迫 そうですね。最初は「マジか!」って思いました(笑)。ただ、プラスに捉えると自分たちがやってきた練習方法の延長線上にトップランナーがいるということ。「ここまでやらなきゃいけないのか」と思う反面「この練習をこなせたら世界のトップを取れるかもしれない」という考えになりました。

武井 なるほど。自分たちがやってきたベースに大きな間違いはなかったと。いや、すげえ、俺なら絶望するわ。

大迫 あと一概には言えませんが、ハードな練習をした翌日、日本だと休むことが多いんです。ところがオレゴンはシーズンが始まると完全休養は1回もなくて、ずっと走り続ける。ペースなどは少し軽めになりますが、基本的にボリュームは落とさない。

武井 その考えは分かるなぁ。俺は大学で陸上部に入ったんですよ。短距離の練習で夏はスピード練習をして、着々とタイムを縮るんだけど、シーズンオフの冬になると急に400m×10本を60秒ペースみたいな、遅くて長いメニューになる。当然、冬になるとみんなタイムが落ちる。100mを速く走るために練習しているんだから、冬もスピード練習をするべきでしょと、途中から自分で考えたメニューをこなすようにしたんだけど。なんか慣習みたいなものに捉われていて、無駄な練習をしていることが多いですよね。

大迫 そうなんですよね。本当に必要な練習をしていれば、無駄に長く走ることもないですから。思うのは、自分の目標を決めたときになぜみんな真っ直ぐに進めないのかということです。海外の選手は一度決めたら真っしぐら。体格や能力に優れた選手たちが一直線に進んでいるのに、僕らが寄り道をしていたら勝てるわけがない。

武井 じゃあ逆に言うと、日本人もきちんとやれば可能性はゼロではないということですか?

大迫 そうですね。ただ、体格的にはやっぱり劣るので、僕は日本人はチームで戦っていかないと太刀打ちできないと思っています。僕は、状況に応じて我慢できること、一歩引けることが日本人の良さだと感じていて。ツール・ド・フランスのように、科学的に強い選手をチームメイトがサポートをして勝たせるような戦い方が日本人ならできると思っています。

武井 大迫くんが主宰している、日本人が世界と戦うために枠組みを超えて集結するという「シュガーエリート」の活動も、そこにつながっていくわけですね。

大迫 そうですね。これからの選手に世界のトップに近づいて欲しいというのが、プロジェクトの始まりでもあるので、今後もしっかりやっていきたいですね。

 

アスリートに求められるプロダクトとパッケージング

 

武井 ところで箱根駅伝についてはどうお考えですか? トラックをメインに強化するのか、世界に行くために強化するのか、箱根駅伝をメインにするのか。色々なテーマがある中で大迫くんはどのように捉えていましたか?

大迫 箱根駅伝に関しては、当時はあまり好きではありませんでした。箱根駅伝は大会そのものとしては確立しているけれど、そこが最高地点で、極めたところで競技として世界と戦えるものではないですから。だからみんなでワイワイできるイベントとして捉えていました。

武井 その後に続く長距離人生のほんの一部で、とにかく自分が速くなるためのことをこなすだけという捉え方?

大迫 そうですね。使い方だと思うんです。僕の場合は、当時はトラックを主軸にしていたので、20kmという箱根駅伝の距離はマイナスでした。ただ、プロになった時に、箱根駅伝の知名度はスポンサーを獲得する上でとても役に立って。トータルで考えるとプラスになっているんですよね。

武井 トラック競技に比べるとハーフマラソンの距離の箱根駅伝は、スピードが遅くなるから、そこに関しては少し遠回りした可能性はあるけれど、その後スポンサーを獲得したりするブーストとして、箱根駅伝の知名度は大きな武器になったと。

大迫 間違いないですね。ただ、たまたま僕が恵まれていただけだと思います。僕はよくプロダクトとパッケージングの話をするのですが、いかに物が良くても、パッケージングがしっかりされていて、丁寧に売られていないと誰も手に取らないと思うんです。例えば、ルイ・ヴィトンのバッグが、その辺りのマーケットでポンと売られていても誰も手に取りませんよね。これからの選手は、競技を伸ばしていくことだけでなく、どうやったら自分を売っていけるのかを考えるべきだと思っています。

武井 いつ頃からそういうことを考えるようになったの?

大迫 プロになった頃です。当時はナイキ以外にスポンサーがいなかったので、どうやって他のスポンサーをとっていくべきかを考えるようになったんです。

武井 大迫くんの目から陸上界はどう見えているですか?

大迫 瀬古(利彦)さんや高橋尚子さんの時代は、日本のマラソンが圧倒的に強かったので、パッケージングが最小限でも売れていく世界だったと思うんです。だけど僕も含めて今の日本人が(エリウド・)キプチョゲ選手(世界記録保持者で東京五輪金メダリスト)に勝てるかと言うと、難しいですよね。先輩方ほどの絶対的な力が得にくい現在は、いかにして自分の価値を最大限に見せていくか考えないといけない。これは陸上選手に限った話ではなくて、他のスポーツに関しても、オリジナリティを持って自分を世に出していかないと、日の目を見ないんじゃないかと、僕自身を含めてすごく感じています。

武井 僕も今、フェンシング協会の会長をやっているので、自分の能力を高めつつも、パッケージングやブランディングをしていく大切さは本当に感じています。大迫くんは昔からもっと陸上界に貢献したいと言っていたけれど、陸上だけでなく、スポーツ界全体にとっても大迫くんのような視点を持った人が必要だと思っています。

大迫 そう言っていただけるとありがたいです。

武井 今度一緒に何かしたいですね。本当に今日はありがとうございました。

大迫 ありがとうございました。

 

( 構成&文: 林田順子 )

 

お二人の対談の模様はPodcast「武井壮と大迫傑のガッとしてビターン!」で聴けます。

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