アナ歴40年!野村邦丸が様々なエピソードを語る連載企画㊴

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【野村邦丸 ワタシの履歴書 ~アナウンサー歴40年記念特別連載企画~】

『第39回 ラジオは日常。異常になっちゃいけない』

季節は流れ、2010年の夏。
私は秋の改編で「くにまるワイド ごぜんさま~」が
終わることを告げられました。

やった! これで長年の早起き生活から解放されると思いきや…。
「後番組もお前の担当だから、よろしく」
(ガーン!)

「で、番組タイトルだけど『くにまるジャパン』に決まったから」

最初はアホかと思いました。
「なんとかジャパン」って、流行ってたけど、
いくらなんでも大きく出過ぎだろうって…。

それでも社命とあらば、私としてはやるしかありません。
最初は、朝8時半からひる1時までの4時間半…
途中からは現在と同じ4時間。

長丁場ではありますが、ま、なんとかなるだろう…と
腹をくくってスタートしたのが、2010年の10月4日のことでした。

そして、5か月とちょっと過ぎた2011年3月11日。
東日本大震災が起きたんです。

忘れもしない金曜日の午後2時46分。
いつもだったら「くにまるジャパン探訪」の取材に
出ているところでしたが、その日は取材先が
「三菱一号館美術館」で、お客様のいない夜に
来てほしいとのことでしたので、
私は仮眠室で仮眠を取っておりました。

いきなりの大きな揺れ。
これはタダゴトじゃない。

もう、取材も何もあったものではありません。
とりあえずその日は局に泊まり込み、
局アナが交代でマイクの前に座り
ずっと情報を届けることになっていたので、
私は午前2時から2時間くらい担当。

土曜日になって、電車が動いたので、
なんとか相模原まで帰りました。
週が明けて、3月14日の月曜日。

当時、音楽を担当してくれていた押谷沙樹
(おしたに・さき)さんが、自分に何かできることは
ないか…と、2日間必死に作業、自らレコーディング
して音源を送ってくれたテーマ曲の別バージョン
「がんばれジャパン」がオープニングで流れました。

私は、いつものテーマが流れるものとばかり
思っていたので、不意打ちをくらった訳ですが…
涙が流れてしまったのを覚えています。今でもあのバージョンが忘れられないリスナーさんは多いようで、2015年の浜祭で押谷さんのテーマソング集を販売したときも、「がんばれが聞きたいんです」っていう声が多かったですね。

話を2011年3月14日に戻しましょう。
放送エリアである関東は、震源地から少し
離れているものの、深刻な被害を受けた
地域もあります。

さらに東京電力福島第一原発の事故で、
関東一円の不安がこれから始まっていく
というタイミング。

いったい、どう始めたものか…と、
ずーっと考え続けていて。

ふと、阪神淡路の取材に行ったときに、
現地のラジオが言っていた言葉を思い出したんです。
「ラジオは日常。日常が異常になっちゃいけない」

そうだ。
ラジオは日常なんだ。
テーマが流れ、キューが出て、私はいつものように、
ゆるーい挨拶、ゆるーいトークで番組を始めたのです。

後に、それを聞いていたえのきどいちろうさんが
「あれ、覚悟いったでしょう」と言ってくださって、
あれでよかったんだな…と思いましたね。

その後も震災の不安が続く中、
ずーっと、情報を入れながら、
その「ゆるーい」番組が続いていくことになります。

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野村邦丸:1957年1月17日生まれ。川崎生まれ、
日大明誠高校・日大法学部新聞学科を経て
1981年茨城放送入社。
フリーを経て1991年文化放送入社。2017年定年退職、
再びフリーとなる。
「くにまるジャパン極」パーソナリティ。
家族・高校野球・シカゴ(ロックバンド)、
そして酒と肴をこよなく愛する。
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