イラン映画「白い牛のバラッド」不思議なタイトルに込められた怖さ  鈴木びん

イラン映画「白い牛のバラッド」不思議なタイトルに込められた怖さ  鈴木びん

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イラン映画は本当に質が高く、そして多彩だ。静かに淡々と時間が過ぎてゆく映画もあれば、実験作も多い。映画史に残る名監督アッバス・キアロスタミは世界で様々な賞を獲っているが、個人的には「クローズアップ」という風変わりな作品が好きだ。「カンダハール」などで知られるマフバルハフ監督に成りすまし詐欺の容疑で逮捕された男の実話をベースに描いた作品なのだが、何とその詐欺師役を逮捕された本人自身が演じていた。そして結末にとても感動した。イランには頭を使った映画が多い。そして子供の愛らしさを描かせると世界一なのではないか? イランの人は本当に映画が好きなのだと思う。フランスに亡命した漫画家マルジャン・サトラピの少女時代の自伝「ペルセポリス」。漫画も映画も素晴らしい作品だったが、祖父と一緒にゴジラ映画を観に行くシーンがあって驚いた。映画をモチーフにした映画や、映画館のシーンが出てくる映画が実に多い。



18日公開の「白い牛のバラッド」も主人公の娘で耳の聴こえない7歳の少女ビタが大の映画好きという設定だ。言うまでもなくイランは抑圧社会だが、映画人たちは暗喩、隠喩表現を駆使して、表現の制約の隙間をかいくぐるような作品を作り続けてきた。花瓶ひとつに、鉛筆一本にすべて意味があると言える。表現の不自由さがあるからこそ針の糸を通すように表現にこだわる。
この「白い牛のバラッド」はそんなイラン映画の特質をすべて凝縮したような作品だと思う。昨年のベルリン国際映画祭のコンペティション部門に選出された世界的な話題作だ。夫が殺害容疑で逮捕され死刑になる。しかしそれから1年後に、冤罪だったことが判明。司法側は「うむをいわせず」賠償金で解決しようとするのだが、主人公のミナは判決を下した判事に謝罪を求めて訴訟を決意。新聞に意見広告を載せるなど闘いを始める。そんな時に現れた謎の男は親身になってミナを支援してくれるのだが、隠された真実に驚く日が来る。普通にスマホを使い車に乗り、バレンタインデーの準備をする。欧米や日本と変わらない風景が展開される一方、男が部屋に姿を見せただけで大家に部屋を追い出されたり、工場でストライキを行うと当局の弾圧で半数が逮捕され、半数が解雇されるといった不条理なシーン、パラレルワールドのような「異世界」を織り込ませる手法で、監督はイランの真実を世界に発信する。主演のシングルマザー、ミナを演じているのが、監督のマリヤム・モガッダムだと知って尚更驚いた(ベタシュ・サナハイとの共同監督)。上記のサトラピやマフバルハフはフランスに亡命している。イランに身を置きながら、女性差別、死刑制度などの政治問題を果敢に表現をする覚悟は並大抵のことではないだろう。亡命を余儀なくされた監督もいれば、キアロスタミ監督のようにイラン国籍であるというだけでアメリカへの入国を拒否されたような人もいる(フィンランドのカウリスマキ監督は米当局の対応に抗議して自身も渡米を取りやめた。気骨がある)。イランで監督業をすることは大変だ。この「白い牛のバラッド」もイランでは早々に検閲を受けて上映禁止処分を受けてしまった。けれどもこうして海外では上映される。だからこそ我々は映画館に足を運んで、勇気ある活動へのエールを送らねばならないのだと思う。すると、この映画が突きつける社会的な課題が、日本社会にも横たわっていることに気づくのだ。

もちろん、そういった難しいテーマを抜きにしても、この映画にはハラハラドキドキさせるサスペンスの要素や人情あふれる場面があふれている。滅多に見ることのないテヘランの街の、どちらかと言えばヨーロッパ的にも映る景色の意外さも興味深い。そして何と言っても子役が可愛い!耳も聴こえないし話すこともできない彼女は、イランにおける女性の立場を表現しているのだ。やはりここにも強烈な暗喩があった。そしてタイトルになっている白い牛。牛乳工場や牛乳も登場するが、このタイトルがそのままメタファーであり、サスペンスでもあることを観た人は知ることになるだろう。ニュース映像や観光VTRでは感じることのできないリアルがある。小説は嘘で真実を語ると言うが、映画もまた同じことが言えると思う。イラン映画は一度観ると、必ずはまります!

「白い牛のバラッド」は、TOHOシネマズシャンテほかで2月18日から全国公開。


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