「中村雅俊はビックリするほど汚なかった」小椋佳がヒット曲誕生の裏側を暴露!「シクラメンのかほり」は自分のレコードに入れたくない曲だった!?

「中村雅俊はビックリするほど汚なかった」小椋佳がヒット曲誕生の裏側を暴露!「シクラメンのかほり」は自分のレコードに入れたくない曲だった!?

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誰もが知る数々の名曲を世に送り出した小椋佳さんが9月9日の「くにまる食堂」にご来店。銀行に勤めながらシンガー・ソングライターや作詞家・作曲家として活動を続け1971年に歌手デビュー。大ヒット曲を生んだ裏側を伺った。

――1975年に「シクラメンのかほり」が大ヒット――

野村邦丸アナ「小椋佳さんが作った「シクラメンのかほり」は1975年に布施明さんが歌われて大ヒットしました。こんなに売れると思っていなかったですって?」

小椋佳「自分でもびっくりしましたね。そもそも当時はシングルにA面B面がありましたよね。布施明さんの所属事務所に新しい曲を2曲作ってくれって言われて「淋しい時」っていう歌を作ったんですよ。そのB面用に、前の年に作った中から自分のレコードには入れたくないと思っていた曲あって、それが「シクラメンのかほり」だったんです。それをまあこれでいいやと思って、お渡ししたんですよ。僕、そのとき銀行からの派遣でニューヨークに長期出張に行ってたんです。そしたら東京から電話がかかってきて「大変だよ、君の書いた歌がヒットしちゃってるよ」って言われて、「淋しい時」ってそんなヒットするような歌じゃないはずなのにと思ったら、B面の方の「シクラメンのかほり」がヒットしているっていう話でびっくりしました。(海外での)研修が終わって予定通りデンマーク経由で日本に帰ろうと人事部に電話したら「予定通り帰って来るな」って言うんです。シクラメンの歌は銀行員が作ったと週刊誌やなにかで評判になっていて「君が帰ってきて大騒ぎになると面倒くさいから予定通り帰ってくるな」ってね。じゃあいつ帰りましょうかって聞いたら「それは言うな」って。人事部が知っちゃうと言わなきゃいけない。「いつ帰ってくるか分かりません」って言いたいんですね。それで一週間ぐらいコペンハーゲンでぶらぶら遊んで、こそっと帰ってきました。」

――1975年には中村雅俊さんが歌った「俺たちの旅」が大ヒット――

邦丸「中村雅俊さんが小椋さんのファンで、曲を作ってほしいとオファーしたそうですね。」

小椋「レコード会社のディレクターさんから「一人若者を紹介するからこの人のための歌を作ってあげあげてくれ」って言われてね。「俳優さんです」って言うから素敵な青年と会えるのかなと思って、初めて雅俊さんに会ったときはびっくりしましたね。汚なかったんです。」

邦丸(笑)

小椋「頭はボサボサだしね、安いジーパンに下駄はいてましたね。こんな汚い人が俳優さんのはずないだろうとか思いました。でもあの人は不思議な人ですね。男って普通、年を取っていくとだんだん汚くなっていくじゃないですか。雅俊さんは年を取るごとに綺麗になってきましたね。」

邦丸「この曲はテレビの主題歌としてヒットしました。」

小椋「番組が良かったんですよね、あの時代の青年像にピッタリして。「俺たちの旅」というテレビ番組は10年後も20年後もやってました。」

まだまだ続く小椋佳さんの裏話がきになる人はradikoのタイムフリー機能でご確認下さい。

「くにまる食堂」は平日朝11~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。

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