文化放送ライオンズナイター斉藤一美アナ WBC実況中継に挑む「2006年以来の夢でした」

文化放送ライオンズナイター斉藤一美アナ WBC実況中継に挑む「2006年以来の夢でした」

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侍ジャパン世界一で日本中を熱狂の渦に巻き込んだ2023ワールドベースボールクラシック(WBC)。今回のWBC実況中継をライブ配信したPrime Videoにて、文化放送ライオンズナイターの斉藤一美アナウンサーが実況を担当しました。その斉藤一美アナウンサーが改めてWBCを振り返り、今シーズンの文化放送ライオンズナイターへの意気込みを語りました。

文化放送ライオンズナイター
毎週火~金曜 17:45~21:00(最大延長21:30)
<解説> 東尾修/山崎裕之/松沼博久/松沼雅之/西本聖/笘篠賢治
<実況> 長谷川太/斉藤一美/高橋将市/寺島啓太

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――WBCの実況、お疲れ様でした。実況されてみていかがでしたか?

斉藤 WBCは重みが違いましたね。もちろんパ・リーグのペナントレースが軽いというわけではありません! 重みが半端じゃなかったっていうんですかね……。その重さに慣れるまでにちょっと時間がかかりました。
でも、何もしなかったら、もっと時間がかかったと思うんです。ラジオのようにしゃべり続けることで、その重みを少しでも軽くしたかった。そう思ったのが最初の日本代表対中日の壮行試合でした。『自由にやっていい』と言われていたので、私の中で考えうる映像付きの実況というのをやってみたんですけど……。ピッチャーやバッターの動きのどの部分を削ればいいのかが分からなかったので、いつも通りにしゃべったら、予想外のハレーションが起きてしまいました。
みんなが注目していて、リーチしている数が半端じゃない。それをまざまざと思い知らされました。ひょっとしたら、その空気の重さだったのかもしれないですね。現場に立った時の重みは自分の想像をはるかに超えていて、なんとも形容し難いんですよね。これは今までとは全然違うぞって、壮行試合で思いました。

――壮行試合、強化試合を含めると、10試合の実況をされました。

斉藤 19日間で10試合です。最初聞いた時はびっくりしましたよ。

――この短期間で10試合も、局アナだったらやりませんね。

斉藤 絶対にやらないですよね(笑)。実は、最初は“完投”できないんじゃないかと思いました。私の中ではラジオ実況のノリしか知らなかったので、19日間で10試合、しかも異国の地でも3試合ありますから、声と体力が最後まで持つのか、このスケジュールを最後までやりきれないんじゃないかっていう恐怖があったんです。お話をいただいた時から、その恐怖とずっと戦っていた感じがします。
ただ、1試合やってみて、これはひょっとしたらできるかもしれないなと思うことができました。不遜な言い方に聞こえたら恐縮なんですけど、量としては(ラジオと比べて)大してしゃべっていなかったですし、そんなに声を張らなくてもいい。『声を張るな』と言われていたぐらいだったので。1試合終わって“できる”と思いました。

――ずっとラジオで実況してきた斉藤アナにとって、壮行試合、強化試合は映像の実況のリハーサル的な位置づけだったのでしょうか?

斉藤 リハだとは思っていませんでした。むしろ予行演習のように思われていた2試合で、視聴者の皆様から相当な洗礼を受けることになりましたから。私は、通常運転をしただけなんですけどね……。ただ、尖った中継をしたおかげで、古舘伊知郎さんから一言いただきました。『どんどんやれ、臆するな』と。私は、古舘伊知郎さんと久米宏さんに憧れてアナウンサーになったようなものなので、すごくうれしかったです。

――いつものラジオ中継と意識的に変えたところはありますか。

斉藤 言葉数を減らすっていうことです。最初の中日戦では言っていましたが、徐々に「投げた」「打った」を言わないようにしていきました。あと、自分でスコアを付けていたので、球数を言わなくていいのは案外楽でした。

――映像があるからしゃべる量を減らしたわけですね。

斉藤 そういうことです。“右中間突破の三塁打”なんて一番言葉を要しますから。映像だとそこまで言う必要がないんです。自分の持っているものを最初は100%出してみましたが、指摘を受けるごとに徐々に削っていったっていう感じでした。
それが最後の最後で結実した瞬間がありました。それは、決勝の9回表、ノーアウト1塁から、アメリカ代表のM・ベッツ(ドジャース)がセカンドゴロで併殺打に終わった場面です。ラジオだったら「セカンドゴロ、真正面とった。ショートへトス。2塁はアウト、1塁転送、アウト。ゲッツー」と全部言ってから「2アウト、ランナーなくなりました」って実況するところです。それを言うのを我慢できたのは、この19日間の成長というか、変化できたところなのかなと思いました。

――選手一人一人にキャッチフレーズを付けていました。

斉藤 古舘さんが「選手にキャッチフレーズを付けているのは、ひょっとしたら俺の影響なのかな」みたいなことをおっしゃっていましたが、全くその通りです! 全員分考えました。これが私のスタイルでもありますから。
実は、WBCが始まる前に、ライオンズのスカウト担当になった十亀剣君と今回の中継スタッフと3人で食事をした時に、キャッチフレーズの話になったんです。その際に十亀君から「一美さん、全員分考えたらいいじゃないですか」って言われたんです。その時は“マジかよ”と思いましたけど、あの十亀君の一言がなかったら、たぶん私は全員分を考えていないですね。

――考えるのも大変そうですね。

斉藤 源田壮亮選手は、ライオンズナイターでも『ウィスパーボイス シュアプレー』って言っていましたが、右手小指の骨折を押して試合に出るようになってからは『柔和な笑顔、不屈の闘志』と表していました。何のひねりもないですけど、彼を表現するにはこの言葉だと思いました。
視聴者に刺さったか、刺さらなかったかは別として、とりあえず全員分を大会期間内に考え切ることができました。やろうと思ったらできるもんですね(笑)
でも、ぱっと思いつく人と、全然思いつかない人がいて……。

――なかなか思いつかないのは、例えば、誰でした?

斉藤 松井裕樹選手ですね。楽天では絶対的なクローザーですが、WBC前に苦しんでいて、例えば“悩める〜”のようにマイナスな言葉しか考えつかなかったんです。妻からも「それは絶対やめたほうがいい」と言われていて、こっちが悩める存在になってしまいました(笑)。
(※結局、松井選手のキャッチフレーズは「快刀乱麻の荒鷲」となった)

 

 

――そもそも、今回のオファーを受けた時はどんな心境でしたか?

斉藤 ちょっと信じられない思いでした。2006年の第1回WBCではリポーターとして現地に行かせてもらって、こんな素晴らしい舞台で実況できるアナウンサーを本当にうらやましく思っていました。いつか自分も実況してみたいという思いを、その時からずっと持ち続けていました。
一度スポーツを離れて報道の世界に行っていた時には、その思いをすっかり封印していたので、いきなりガバッ!とその封印を解かれたような思いがしました。
だから、断る理由はありませんでした。文化放送所属のままではオファーを受けられないというのであれば、後先考えず退社して、この仕事をやろうと思ったほどです(笑)。

――それほど思い入れのある大会だったんですね。

斉藤 私にとって最大のアイドルは王貞治さんなんですよ。その王貞治という人物が、第1回WBCで世界一になり、胴上げされるのを見届けることができた。あのサンディエゴの夜の素晴らしい光景にはひたすら感激しました。こんなシーンをこれからも見たいと思いました。当時はリポートでしたが、いつかは違う形で、実況として生で伝えたいと思っていました。

――その王貞治さんは、今回、中国戦で解説を務めていました。

斉藤 解説者リストに「王貞治」の名前を見た時はびっくりしました!
ネットに賛否の声があって少し打ちひしがれていた部分もあったのですが、子どもの頃からのアイドルが隣に座っていて、私の問いかけに答えてくださるわけですから、一気に魂が浄化された感じがしました。あそこで王さんとしゃべっていなかったら、気持ちがスッキリしていなかったかもしれません。王さんとの中継で、心機一転頑張ろうと思うことができました。

――今回最も思い出深いシーンは?

斉藤 準決勝のメキシコ戦、7回裏の吉田正尚選手の同点3ランホームランですね。
先行されていても、日本代表は絶対にどこかで追いついて、必ず追い越してくれるって信じていたので、負けるとは思いませんでした。でも、あの吉田選手のホームランがなかったら、もっと言えばメキシコに勝っていなければ、決勝のアメリカ戦もなかったわけですから。

――印象に残った選手は

斉藤 みんな素晴らしかったですけど、あえて挙げるならラーズ・ヌートバー選手ですね。東京ラウンドの初戦の中国戦で先頭バッターとして出塁しましたし、中国戦と韓国戦では見事なダイビングキャッチを見せてくれました。もうあれで十分! 栗山監督はよくぞ彼を選んでくれた! そして彼も、私たちの期待に100%の気持ちで応えてくれました。彼は気持ちをプレーで表現できる選手だなと思いましたね。私のように、ヌートバー選手に会えて良かったなって思っている方はたくさんいらっしゃるんじゃないでしょうか。
あと一番忘れちゃいけないのがダルビッシュ有投手です。私の中の今回のMVPは彼です。若い頃にもインタビューしたことがありますが、当時も十分に魅力的な選手でした。今回、キャンプ前日にインタビューさせていただいて、野球に対する純真無垢な思い、そこにかける情熱、仲間を思いやる優しさ、もう全部パーフェクトだったんじゃないかなと思います。彼は“聖人”になりましたね(笑)。私の方がはるかに年上なんですけど、人はこうでなきゃいけないなっていうのを十数分間のインタビューで学ばされた思いでした。なかなかこうはなれないですけどね……。
周りに気を遣うがあまり、彼が自分の準備を100%できないままで臨んでいたことは、後から分かったことです。彼は、思ったような結果を残せなかったかもしれませんが、他の選手たちがレベルアップし、チームとして大きなひとかたまりになれたのは、ひとえにダルビッシュのおかげだったと私は思っています。今回はどんな場面でも感情が溢れるのを我慢していたんですけど、ダルビッシュが胴上げされるときだけはウルッ…と来ちゃいました。

 

 

――日本代表として出場したライオンズの山川穂高選手、源田選手の印象もお聞かせください。

斉藤 山川選手に関しては、本人は朗らかに振る舞っていましたけれど、本心はもっと試合に出たかったと思います。そういう気持ちを持ちながらプレーしているのは、こっちにも伝わっていました。だから、彼が打席に立った時は、渾身の実況をしようと思ったんです。その最大限の気持ちは、メキシコ戦に代打で出場した場面で伝えられたのではないかと思っています。いつもホームラン狙いの山川選手ですが、この場面でもホームランを狙っているのか、私は確証が持てませんでした。結果的には、ホームラン狙いがブレていなかったから、犠牲フライになりました。彼の犠牲フライがなければ、村上選手のサヨナラヒットもなかったんですよね。
源田選手は、右手の小指を骨折して痛みがあるのにもかかわらず、私をはじめ周りの方と、普通にやりとりをしていたんですよね。彼の本当の強さを見せつけられて、心が震える思いでした。実は、昨年5月に自打球で骨挫傷を負った時にも私が実況していたんです。今回も骨折をした時に私がしゃべっていたので、“自意識過剰にもほどがあるぞ”と言われてもしょうがないんですけど、勝手に責任を感じていました。だから、彼が骨折したまま出場し、攻守に渡ってチームに勝利をもたらす活躍を見せてくれて、いたく感激してしまいました。彼は偉大な野球人ですね。

――今回の経験は、文化放送ライオンズナイターにはどのように生かせそうですか。

斉藤 私自身、WBCの実況を担当して、野球がさらに好きになりましたし、今まで以上に幅広く野球を見たいと思いました。
今回の実況経験は、むしろ黙ることが多かったわけですから、正直なところ、ラジオに生かせることはそんなにないかもしれません。でも、こういう世界があるんだっていう別のチャンネルができたという意味では、私の大きな糧になりました。それに、実況の難しさも悔しさも味わったことは、度胸につながると思います。それを生かせるかどうかは、これからだと思います。
今回のWBCで私のことを知ってくださった方には、ラジオの野球中継を聞いたことがない方もいらっしゃると思います。ぜひ、今度は私のホームグラウンドである文化放送ライオンズナイターを聴いていただけたらと思います。

 

 

PHOTO&TEXT 和田悟志(Wada,Satoshi)

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