番組ブログ
第810回 92歳の天寿を全うした母
92歳まで農業に精を出し、
ある日突然倒れてそのまま亡くなられたお母様...
「昔からピンピンコロリなんて言いますが...
でも周りの人間は寂しいし、悲しいですよね」
第805回 結婚を後押ししてくれた母
女手一つて育ててくれた母を1人残し、
長男である彼のもとに嫁ぐのは...と
ためらっていると
「私は1人が気楽だから、一緒になりなさい」と
背中を押してくれた。
幸い家も近所なので、毎日顔を出して
他愛もない話をして帰ります。
母はいまでも弁当の一品を持たせてくれます...という
富山県在住の女性から届いたメッセージ。
「うちのおばあちゃんも
息子たちがゴルフに行くというとき
わざわざ早起きしておにぎりを作ってくれるんです。
仕事じゃないんですよ。遊びに行くのに(笑)」
第800回 いつも私に食べさせてくれた母
ご飯が残り少なくても、
必ず「もっと食べな」と勧めてくれた母。
不思議なもので「もうないよ」といえば子どもはもっと食べたくなる。
だから逆に「もっと食べなさい」と。
母はお釜にこびりついたお焦げを集めて我慢していた。
無理がたたって、69歳で亡くなってしまった...
その年齢を、私は越えようとしています...というメール。
「親が亡くなった年齢って、
子どもにとっては大きな一つの壁というか...
中井貴一さんも、お父さんが亡くなられた年齢になったとき、
感慨深いものがある、と話していらっしゃいました。
いま、俺は義理の父が亡くなった年齢になりました。
改めてここから先、女房を幸せにしていかなきゃいけないな、
と、思いますね」
第795回 母の服は手作り
70歳になるお母様は、若い頃洋裁学校に通っていたので、
自分の服はほとんど手作り。
「昔は太ってる女性用の服がまったく売られていなかったから、
自分で作るしかなかったんだよ」...
思わず「そうそう!」という徹さん。
「昔は大きいサイズの服、なかったんですよ。
俺もピークは130キロありましたから...
既製品はないし、輸入物、好みよりもサイズ優先で。
ハワイに行ってようやくいいお店を見つけて何十着も買いました。
名前がBig&Tallっていうお店でした...」
第790回 母の手作り竹スキー
スキーがほしい、と母にねだったら、
上手に竹を切り出し、細工して「竹スキー」を作ってくれた。
ほかにも竹で様々な道具を器用に作ってくれた
お母様の思い出をお寄せいただきました。
「うちの親世代も本当に器用でしたね。
自分で作らざるを得なかったのかな。
親父や叔父さんに、竹とんぼや、輪ゴムの鉄砲とか...
よく作ってもらったものです」
第785回 両親の心に背いて結婚した私
今日で番組スタート満3年!
今後ともよろしくお願いいたします。
さて、今日ご紹介したメッセージは...
両親の心に背いて結婚、
それからもさんざん迷惑をかけたけれど、
一つの文句も言わなかった母...
いま自分の子どもが結婚を意識する年齢となり、
あの頃の母の気持ちを思いやれるようになった...
「うちの両親も親に背いて駆け落ち結婚。
お袋が18、親父が23で文字通り突っ走ったんですね。
で、俺が生まれてからまた交流ができた...
二人とも親に迷惑をかけたという思いがあったのか、
おじいちゃん、おばあちゃんをよくドライブに連れて行ったり...
そして俺にとっては、おじいちゃん、おばあちゃんが
親の目を盗んで小遣いをくれて...本当にお世話になりました(笑)!」
第780回 インフルエンザに負けていられない
障害のあるお子さんを持つお母さんからのメッセージ。
年始早々、娘がインフルエンザで入院。
そして看病している自分もインフルエンザに...
また元気になって養護学校へ通えるよう、がんばります!
「皆さん、インフルエンザ大丈夫でしたか?
俺も女房も舞台をやっていたので、
そこら中に加湿器を置いて、うがい、手洗い...
インフルエンザ撲滅作戦を展開してました」
第775回 息子は高校で大ハッスル!
サッカーが大好き、スポーツ特待生で私立高校に通い始めた息子さん。
サッカーはもちろん、体育祭でリレー選手に選ばれ、晴れ姿を目撃。
素敵な青年になってください...というお母様からのメッセージが届きました。
「いいですねえ。読ましていただいているこちらの方が爽やかになりますね。でも面と向かってはいえないけど、手紙やメールだといえるということ、ありますよね」
第770回 晩御飯は「回転焼」!
父親が早くなくなり、農閑期は駅前で「回転焼」を打っていた母親の思い出。
遅く帰ってきた日の夕食は、決まって「回転焼」の売れ残りで、ガスであぶって食べるけど、ところどころ焦げてしまうのが、また美味しかった! 郁恵ちゃんと仲良くやってますか? というメッセージが届きました。
「郁恵ちゃんと仲良くやってますが、いま博多で舞台をやってます。舞妓はレディ、というミュージカルなんですが、よかったらお近くの方、見に行ってみてください」
第760回 「早すぎて間に合わんことはないよ」
いくつもの戦争を乗り越え、一家6人で釜山から引き上げ、
食べ物が手に入らない中、必死に子どもを育ててくれた母。
その口癖が「早過ぎて間に合わんことはないよ」と言うものでした...
という、福岡県在住の女性からのお手紙をご紹介。
「うちのおばあちゃんも、いろいろうるさいんです。
でも後から考えると、役に立つことばっかりなんですよね」
第755回 母と食べたキツネうどん
暮れになると山に出かけ、
南天や裏白を取ってきては、商店街で売った母。
僅かな売上の中から新しい足袋と寝巻を買ってくれた。
向かい合って食べたキツネうどんの味が忘れられない...
「そういう時代でしたよね。
うちの母も芹を摘みに出かけたりしていました」
第745回 空っぽだった米びつ
幼い頃、父が長期入院。
専業主婦だった母は化粧品のセールスに。
幼なじみも買ってくれないけど、
五合の米を恵んでくれた。
今は94歳になった母を独身の私が介護しています
...という60代男性のメッセージをご紹介。
「母親の愛情を感じますよね。
うちも、子どもの頃は、母が近所にお米を借りに行ったりしてました。
そういう原点を忘れないようにしたいですよね」
第740回 女手一つ育ててくれた母
4歳と2歳の娘を残し、急逝した父。
和裁が得意な母は、それから女手一つで姉妹を育ててくれた...と、
お母様の思い出を綴ってくださった北海道の女性からのファクシミリ。
「手に職を持ってる感はすごいものがありましたね。
うちのおばあちゃんも、お袋も。
和裁、洋裁、手芸、生け花...何か手を使っていないといられないというか。
これはいい習慣ですよね」
第735回 娘への手土産は梅干し
結婚した孫娘の家へ、手作りの梅干しを持参したおばあちゃん。
大喜びの娘は、来年は漬け方を教えてもらおうと一言。
味が次の世代と受け継がれていきそうです。
「うちのお袋も漬けてましたね。あれ大変なんですよね。
俺も1日一個食べさせられて、夏場には梅酢を飲まされて。
大変でした。でもいまだに梅干し食べますもんね」
第730回 体を温めてくれた母のうどん
鳥取、山間部で育った少年。
小学校高学年になると新聞配達をした。
しんしんと冷える冬は、
家に戻ると母が熱々のうどんを食べさせてくれた。
あの味が忘れられない...という60代男性。
「昔は牛乳配達とか新聞配達とかやってる子、多かったですね、
俺はサッカーの練習をしてて、朝、家に戻ってくると、
お袋がおじやを作ってくれたんですが、おいしかったなー」
第725回 改札口で待ち続けた母
50代男性の、高校時代の思い出。
彼女にふられてヤケになり、学校をサボって
衝動的に海を見に行った。
夜、戻ってくると、改札口で母が待っていた。
なんと学校から連絡があってからずっと、
そこで待ち続けていたらしい...
「ふられた気持ちもわかります。
でも母親ってのは、息子が恋愛したりすると、
すぐ見抜くんですよ。
うちの女房もそうなんです。あれ、何なんでしょうねえ」
第720回 卵は1日1個だけ
コレステロールの値のせいで、
医者に卵1個を言い渡され、
律儀に守っていた母。
それなのに、最近コレステロール制限が撤廃されて...
「俺もまったくそう思います。
うちも女房にそう言われてました。
いろんな科学技術は進歩していくので
仕方ないけど、それがモヤモヤしてる人たちのために
この番組があります。モヤモヤをどんどん投稿してください!」
第715回 弱っていく母を見て...
入退院を繰り返している母。
おいしい料理もまったくしなくなりました。
別れ際には必ずハグ。
だんだん痩せていく体が悲しい...
「うちの義理の母も、
だんだん手間のかかる料理ができなくなってきました。
でも2人で話していると、料理の作り方とか、
一生懸命話してくるんです。
これも立派なコミュニケーションになりますね」
第710回 挨拶だけは、しなさいね
亡き母がいつも口にしていたことば、
「どんな時でも、挨拶だけはしなさいね」を守り、
夫婦げんかの翌朝も「おはよう」と、
気持ちよく送り出してきた妻。
「まさしく挨拶は大事ですよね。
俺が太陽にほえろ!でデビューしたときも、
先輩たちに挨拶が大事だと教えられたものでした」
第705回 ユニークな息子の嫁
小遣いを渡すと2人で奪い合う息子夫婦。
不思議だなあ、と眺めるお母様からのメッセージをご紹介。
「いいですね、明るいやり取りで。
さすがは大阪の方ですね...
家族が集まると、必ずお金の話から始まる...と、
中川家の2人から聞いたことがあります」