2017.11.24

"G-SHOCK"生みの親 伊部菊雄さん

nmt事務局
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G-SHOCK。言わずと知れた『カシオ計算機』のヒット商品"壊れない時計"だ。その世界累計出荷数は1億本を誇る。


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精密機械の技術が凝縮さたれ繊細な腕時計は、1980年頃"より薄く"を競い合っていた。そんな中、"壊れない時計を作りたい"という、当時の常識では考えられない非常識な発想からG-SHOCKの伝説は始まった。落としても壊れない腕時計G-SHOCKの生みの親 伊部菊雄さんに、文化放送『The News Masters TOKYO』のパーソナリティ タケ小山がマスターズインタビュー。愛され続けて来年は35周年。ブームを巻き起こした90年代から時を経て、再び注目を集めているG-SHOCK。35年目の伝説に迫る。


◆非常識なモノへの挑戦 G-SHOCK開発秘話


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『落としても壊れない丈夫な時計』
企画書に書かれたこの一行が、すべての始まりだった。


1976年、カシオ計算機(株)に入社した伊部菊雄さんは、時計の設計部に配属された。ある日、ふとしたことで腕時計が手から抜け落ちて床でバラバラになってしまった。高校の入学祝いに父親から貰った大切な腕時計だったが、不思議なことに壊してしまったことで心が痛む前に「腕時計ってこんなに簡単に壊れちゃうんだ」と妙に感心をして床に散らばった部品を眺めていたという。「人は常識だと思い込んでいたことを目の当たりにすると、逆に感動しちゃうんですね」


「当時は薄型の腕時計が全盛時代でしたので、会社からはとにかく薄くすることを求められていたんです」


しかし伊部さんの頭の中は、設計者として求められていたものとは違うベクトルへ向かい膨らんでいった。


本来であれば構造案や実験スケジューラーなどを書かなければならないのだが、あの時の感動をそのまま一文にした。それが前代未聞の企画書『落としても壊れない丈夫な時計』という一行だった。


「商品イメージやデザインは全く考えていませんでしたので、企画が通ってしまって初めてどうしようかと考えたんです」


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企画書としての体を成していなかったものがまさかOKになるとは思ってもいなかった伊部さんですが、肝心な耐衝撃性については「メタルケースに4カ所位ゴムをつければ大丈夫だろうと簡単に考えていたんです」しかし、ここから苦難の日々が始まった。


タケ小山が「"壊れない"というのは、どの程度のものをイメージされていたんですか?」と尋ねると「腕時計なので、本来であれば人の高さから落として壊れなければ充分なはずです。でも私がこだわったのは、もっと高い所から落としても壊れない頑丈さだったんです。それが10mという高さでした」"丈夫な"と言う非常に曖昧な定義を具体化する。伊部さんがこだわったのは壊れない強度をどのレベルにもっていくかということで、それが10mの高さから落としても壊れないという異常にハードルの高い数値目標だった。


モジュールにウレタン巻き付け、落下させる実証実験を重ねた。「3階のトイレの窓から300個近くの腕時計を落としました。階段で登り降りを繰り返したものですから、おかげで足腰が鍛えられましたよ」と笑うが、当時は肉体的にも精神的にも辛かったに違いない。
落としても壊れないようになった時は、巻き付けたウレタンがリンゴ大の大きさになっていた。もはや腕時計ではなかった。


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試行錯誤を続け、5段階吸収構造のケースを考案した。これにより腕時計としてのサイズまでもっていくことができた。しかし、伊部さんがこだわり続けた10mの高さから落としても壊れない時計の完成まであと1歩届いていない。実験の度に必ず一か所どこかが壊れてしまうのだ。不思議なことにそこを修正するとまた別の個所が壊れる。


開発に充てられた2年が近づいてきた。「もうダメだと思った時、自分が納得してあきらめるにはどうしたらいいかと考えたとき、1週間と期限を決めて、その1週間とにかく全ての時間を費やして考えてみようと思いました」


その1週間の最後の日、会社を辞めることを覚悟した伊部さんは、公園のベンチに腰掛けてプロジェクトの幕引きを考えていた。


その時、アイデアの神様が降臨した。「ボールで遊んでいた子どもをぼーっと眺めていたら、ボールの中に時計が浮いている絵が頭の中に浮かんだのです」腕時計の心臓部であるモジュールをゴムパッキンの点で支えることで、ケース内で浮遊させる中空構造の発想が生まれた瞬間だ。


◆G-SHOCK ヒットの裏舞台


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2年間の試行錯誤の末に完成させた初代G-SHOCK DW-5000C-1Aは、1983年に発売された。


「デザインはタフさを強調するため、あえてボリューム感を意識し、タイヤのようなイメージを醸し出しました」


コンセプトもデザインも、当時としてはセンセーショナルな腕時計だったG-SHOCKだが、日本ではほとんど売れなかったそうだ。意外にも伊部さんは「売れるとは思っていませんでした。大きな時代の変化がないと認めてもらえないと認識していたんです」


ところが、アメリカで人気に火がついた。それはG-SHOCKをアイスホッケーのパック代わりにスティックで打つという乱暴とも言えるテレビコマーシャルの影響だった。「実はそんなコマーシャルをするなんて私は知らなかったんですよ。事前に知っていたら絶対にNGを出していましたから」誇大広告ではないかと疑われたアイスホッケーのコマーシャルで、G-SHOCKは全米での知名度がアップした。


そして話題と人気を決定づけたのが、"誇大広告を検証する"内容の、アメリカの人気バラエティ番組だった。コマーシャルと同じようにアイスホッケーのパック代わりにハードヒットしても壊れなかったG-SHOCK。"最もタフな時計""世界最強の時計"と話題になり、消防士や警察官など外で働く人たちに支持された。そして、その斬新なデザインがアメリカ西海岸のスケートボーダーの間でファッションアイテムとして人気となった。


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遅れること約10年。アメリカのスケートボーダー達から絶大な人気だと逆輸入されたG-SHOCKは、日本でもストリートファッションのアイテムとして人気に火がついた。1991年の湾岸戦争で米軍兵士がG-SHOCKをしていたことや、ミュージシャンのスティングがつけていた逸話なども広まり、さらには1994年に公開された映画『スピード』でキアヌ・リーブスがG-SHOCK DW-5600C-1Vを付けていたことなどから、日本でも空前のG-SHOCKブームとなった。90年代に定価の何倍もの価格で争奪戦が繰り広げられたG-SHOCKは、その名を時計史に刻んだ。


◆G-SHOCKが長く愛されるワケ


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G-SHOCKのGはGravity(重力)のことだ。3階からの落下実験を繰り返す伊部さんを見ていたデザイナーが名付けたという。


「発売から来年で35年。ずっと愛され続けているG-SHOCKですが、その理由はなんだと思いますか?」とタケ小山。


「ひとつは丈夫だということと、時代に合わせて進化し続けたこと」だと伊部さん。そして「メディアの方々が定期的にG-SHOCKを取材してくださったことが大きかったと思います」と言うが、G-SHOCKにそれだけの魅力があるから取材されるのだ。


G-SHOCKが変わらないのはその丈夫さ。そこに最新のテクノロジーと最新のスタイリングを取り入れ、常に進化し続けている。「ファンの方は、ショップに行くのが怖いと言うんです。自分が持っていないG-SHOCKを見つけると、買いたい衝動を抑えきれなくなるからと(笑)」


90年代の大ヒットから一時、人気は落ち着いたが、ここ数年、再び盛り上がりを見せているのだ。90年代のブームのピーク時は年間600万個を出荷していたが、なんと2014年度は730万個、2015年度は800万個、2016年は850万個と過去最高を記録し続けているのだ。


そして今年は、G-SHOCKがシリーズ累計出荷1億本を突破して記念式典が行われた。
今の好調な勢いからすれば1億本はあくまでも通過点だろう。


◆伊部流 アイデアを生み出すコツ


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「アイデア出しする際は、頭の中をまずチャラにしてから」


現在は後進の育成に力を入れているという伊部さんが勉強会で必ず伝えていることだ。
「アイデア出しをする際、どうしても今までの商品が頭の中にあるんです。だから、なかったことにする。そこからスタートすると新しいアイデアが生まれるんです」


G-SHOCKがもし上辺だけ変えていたなら、これほどまでに愛され続けていなかったであろう。


「最新のG-SHOCKの、あそこを変えよう、ここを変えようと言うだけでは、決して新しいものは生まれないんです」だからこそ頭の中をチャラにする。これこそ伊部流アイデア出しのコツだ。


ただG-SHOCKの場合、ひとつだけチャラにしてはいけないものがある。それは"丈夫"であること。


G-SHOCKが誕生したキッカケにもなった"非常識なモノへの挑戦"と、伊部流アイデア出しのコツ"まずチャラにしてから"。これらがG-SHOCKの進化を支えてきたのだろう。


「『伝えたいことは25文字以内で』とあるんですが、これはどういうことですか?」とタケ小山。


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「本質を突き詰めるには25文字位が妥当だと思っています。25文字以内であれば、言ったことが頭の中で想像できるんです」


伊部さんは若手から上がってくる企画書を2~3度突き返すと言う。「きれいな企画書を作ることに力を削いで本質がわからなくなってしまうんです。だからまず1枚にまとめてもらう。更にそれを半分にしてもらう。最後はひと言で言ってみて」と25文字程度まで削り込む過程で、本当に企画書で訴えたいことが浮かび上がってくるのだそうだ。


「実は私の理想は10文字。それができたら普遍的な提案になると思います。しかし、なかなか出来ないので25文字と言っています(笑)」


物腰が柔らかく、笑顔で話し続ける伊部さんだが、『頭の中をチャラにする』も、『25文字でまとめる』も、かなり厳しい要求である。


「G-SHOCKはお客様の期待値以上のものを商品化しなければなりません。」
常に高いハードルを掲げ商品開発に取り組んでいるからこそG-SHOCKは伝説となっているのだろう。


◆35年目の伝説。 そして未来へ


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"壊れない時計"をコンセプトに生まれたG-SHOCKは、ファンの期待値以上の進化を続け、来年35周年の節目を迎える。この先、G-SHOCKはどんな進化を見せてくれるのだろうか?


「現在G-SHOCKは、地球上のあらゆる場所で使うことが出来るようになりました。それを宇宙環境の中でも使えるようにしたいのです。温度差が非常に激しい宇宙空間でも耐えられるデジタル機器としてのG-SHOCKです」


『空の王者。陸の覇者。海の強者。』とすでに地球上を制覇しているG-SHOCK。伊部さんの次なる野望は宇宙。


「これまでの考え方は、耐えると言うことでした。低い温度に耐えるとか、高い温度に耐える。しかし宇宙空間では耐えるのではなく共存する。例えば低い温度の時時計が発熱して温めるとか、温度が高い時は時計が冷却する、そして環境と共存するんです」
なるほど、頭の中をチャラにして考えなければ出てこないアイデアだ。


「最近は、スマートフォンの普及で腕時計をしない人が増えていますが?」とタケ小山。


「我々がこれからアイデアを出していかなければならないのは、腕時計をすることによってより快適になるということ。そこを考えなければ腕時計は廃れていってしまうという危機感は持っています」
G-SHOCKのようなブランドが牽引して腕時計の文化を廃れさせないで欲しいものだ。


来年、35周年を迎えるあたり伊部さんはサプライズを考えているようだ。
「もう一度自分で非常識に戻ってみたいと思ったと考えたんです。G-SHOCKの原点は非常識ですから。非常識なものをもう一度チャレンジしようと考えています」
G-SHOCK生みの親である伊部さんの構想とは?


「100人が見て100人がびっくりするものを企画しています。ただあまりにも非常識になってしまって実現の可能性が非常に少ないですね(笑)」


そのヒントでもいいから教えて欲しいとタケ小山は食い下がるが「来年の春に公表しますので、そのタイミングでまたインタビューに来てください(笑)」と。
『The News Masters TOKYO』ではいち早くお届けしたいと考えている。


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