2018.8.05

日本のスポーツ界発展のために・・・ ~早稲田大学大学院スポーツ科学研究科・平田竹男教授が考えるリーダーとは~

nmt事務局
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文化放送ニュースマスターズ・マスターズインタビュー。今回のインタビューのお相手は、パーソナリティ・タケ小山の大学院時代の恩師でもある早稲田大学大学院スポーツ科学研究科教授、平田竹男さん。

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平田さんは、1982年に通商産業省に入省。Jリーグの設立や、サッカーワールドカップの日本開催招致に携わった。そんな平田さんの原点は・・・ "サッカー少年"

◆サッカーしか向かなかった。

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小学生の頃、教室でちょろちょろしていると怒られた。野球でも、ちょろちょろしていると怒られた。サッカーだけは、ちょろちょろしていると褒められた。「サッカーというものがなかったら、学校はしんどかったと思う」と平田さんは言う。

そして、中学生になると、辞書を片手に、英語で書かれたヨーロッパのサッカー雑誌を読むようになり、そこで見た世界に「ヨーロッパはすごいんだ!」と衝撃を受ける。そして、中学生の平田少年は、3つの夢を抱く。それは、「プロリーグの創設」「サッカーくじの導入」「ワールドカップの自国開催」

時を経て、平田さんは、通産省でスポーツビジネスの拡大を検討しているときに、当時、サッカーリーグのプロ化を進めていた川淵三郎氏と出会う。川淵さんとは、すぐに話が合った。最初に話したのは、「チーム名に企業名を入れるのをやめよう」ということ。 「応援するにあたって、チーム名が企業名では泣けない。熱中できない。だからニックネームが欲しい。」そんな平田さんの言葉に、川淵氏は「そやな」と賛成してくれたという。これにより、サッカーは「企業の手から市民の手に」移ることになった。

こうして1993年に「Jリーグ」は開幕。2001年には「サッカーくじ」の発売が開始され、2002年には「日韓ワールドカップ」が開催された。中学生の頃に抱いた3つの夢、すべてを平田さんは叶えたのである。

◆なでしこ誕生

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Jリーグの設立や、ワールドカップの日本開催招致に尽力した平田さんだが、一方で、女子サッカーの振興にも力を注いだ。日本サッカー協会の専務理事に就任した2002年当時、女子サッカーはシドニーオリンピック出場を逃して、人気が低迷。日本女子サッカー界の発展には、2004年のアテネオリンピックへの出場が、「絶対」だと平田さんは考えた。そこで、平田さんが力を入れたのは、アテネオリンピックアジア予選の自国開催。当時、予選が開催される予定だった中国で、感染症のSARSが流行、中国での予選開催がキャンセルになり、日本での開催を提案したのだ。そして、放映権などの全権利をもらって日本での開催が実現する。

選手は応援してくれるお客さんがいると全然違った。アテネ出場権をかけた北朝鮮戦は、国立競技場を使い、ゴールデンタイムに生中継。視聴率は16.3%を叩き出し、なんと、同時間帯に放送されていた、巨人阪神戦を上回った。女子サッカーがちゃんとテレビコンテンツになると証明できたことが嬉しかったと平田さんは満足そうに語った。

試合は3対0で日本代表が北朝鮮を破った。が、次の日の新聞の見出しに、平田さんは腹が立った。『女もアテネ』『女も五輪』「なんとかならないのか」と、プレスに怒ると、逆に「平田さんならどう書くか」と問われ、閉口する。「日本代表」だと男子だと思われる。「女子代表」ではサッカーだと分からない。「サッカー女子日本代表」は、活字を使いすぎる。確かに、いい見出しが見つからなかった。そんなわけで、ニックネームをつけることに。こうして「なでしこ」が誕生したのである。

◆東京オリパラ

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東京オリンピック・パラリンピック競技大会推進本部事務局長でもある平田さん。最初の仕事は、「五輪(オリンピック)」と省略されないように、「オリパラ」としたことだった。ポスターもオリンピックとパラリンピックの両方を貼ってもらい、バッジも、日本が初めて、オリンピックとパラリンピックが一緒になっているものを作ったのだそうだ。確かに今、「オリパラ」の流れが出来てきている。

「難しいことは?」とタケが問う。

テロ対策、暑さ対策、外国人対策、交通、バリアフリー・・・やらなくてはならない大切なことが沢山ある。各省庁、一生懸命やっていると平田さんは言う。バリアフリーでいうと、駅のホームドアの建設やエレベーターの増設など、物理的な改善は大きく進んでいく。ただ、このような物理的なバリアフリーだけでなく、困っている人を見た時に、躊躇せずに助けられる、心のバリアフリーも大切だと、平田さんは付け加えた。

◆パーティーマンになれ!

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多方面で活躍する、平田さんの人生に大きく影響を与えたのは、ハーバード大学ジョン・F・ケネディスクールの留学経験だった。ケネディスクールは、世界のリーダーを結集させ、かき混ぜて、そのことによる化学反応を見ている、そんな場所だと平田さんは言う。そしてそこで一番大事なのは・・・パーティー!ケネディスクールでは、あらゆる関心で、テーマごとにパーティーが開かれる。そこでどう活躍するか?隣の席の人とだけ話していてはいけない。みんなとの共通項を自らセンタリングできる"パーティーマン"になる。これが平田さんがケネディスクールで学んだ、最も大きなことだった。

◆スポーツ界の発展のために・・・

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スポーツ界が発展していくためには、スポーツ選手に対する教育の場が必要だと平田さんは考え、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科の教授になった。

勉強しながら、経営する、強化する、お金集めをする、ファンを集める・・・これが大事だと平田さんは言う。サッカー界、ゴルフ界、卓球界・・・スポーツ界において、お金集め、強化、普及というものの構造を勉強して、それぞれの世界のリーダーになってもらう。この構造を作りたかったのだそうだ。

そして、どうやったらこれができるのかと考えた時に、参考にしたのが、ハーバードのケネディスクール。ハーバードのケネディスクールは、政治のリーダー、政治家を養成する学校。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科は、スポーツ界のリーダーを養成する学校。似ているところがすごくある。金融やサイエンスを味方につけないといけないのは同じ。

そして大事なのは、異分野がたくさんある中で、それをどう超えてコニュニケーションをとって、ネットワークを作るか。それには、人と人とが深く交わるのが大事だと平田さんは言う。日本人は名刺交換をして、「今度一度食事でも」と言って、二度と会わない。これを変えないといけない。話があるなら、初対面でも、その場で話をすればいい

また、スター選手になるとしょうもないことを聞きにくい。でも、聞いていいのだと心を変えないといけない。平田さんは言う。「異分野の人とどれだけディープな話ができるか、自分の専門でないことについてディープな話をできるようになると、あらゆる産業をまたがった時にスポーツ界の人が、リーダーになれるのではないか」と。

平田さんには、平田ゼミの卒業生それぞれになってほしい像があるのだそうだ。もちろんタケ小山にも。そして、そのために役に立ったらいいなと思うことに、ちょっとずつヒントを出しているつもりだという。スポーツ界の発展に情熱を注ぎつづける平田さんの、リーダー育成にかける熱い想いが、ひしひしと伝わってきた。

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