武田真治 BREATH OF LIFE 人生に不可欠なもの

武田真治 BREATH OF LIFE 人生に不可欠なもの

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「楽器」にフィーチャーした音楽情報番組『楽器楽園~ガキパラ~ for all music-lovers』。今回は、この番組のパーソナリティであり、昨年デビュー30周年を迎えた武田真治さんに、これまでの音楽活動を中心にお話をうかがいました。

※こちらは文化放送の月刊フリーマガジン「フクミミ」2021年3月号に掲載されたインタビューです。

目次

  1. アルバム、コンサート、ラジオへと広がる音楽活動
  2. 人生を変えた忌野清志郎さんとの出会い
  3. ワクワクすることを追い求めて
  4. この記事の番組情報

アルバム、コンサート、ラジオへと広がる音楽活動

―― デビュー30周年記念アルバム『BREATH OF LIFE』では、武田さんがサックスを始めたきっかけにもなったという存在、藤井尚之さん(F-BLOOD/元チェッカーズ)とのツインサックスも実現しました。

武田 藤井尚之さんが在籍していたバンド、チェッカーズがいなかったら、そして僕に姉がいなかったら、サックスを始めることはなかったでしょうね。僕が小学校4年生か5年生ぐらいのとき、2歳上の姉がチェッカーズのファンになったんです。僕は“お姉ちゃん子”だったので、「お姉ちゃんが好きだっていうサックスの人を真似しなきゃ、お姉ちゃんが取られちゃう」と思って、サックスを始めようと決意したんです。

―― 『BREATH OF LIFE』というアルバムタイトルには様々な意味が込められているように思えます。

武田 まず、サックスは息を吹き込む吹奏楽器ということで「BREATH(ブレス)」という言葉が入っています。25周年のコンサートツアーは、「息継ぎもせず一生懸命走ってきた」という意味で「BREATHLESS(ブレスレス)」でした。その翌年から地元である北海道で、今回のアルバムと同名の『BREATH OF LIFE』というコンサートを毎年開催するようになりました。このタイトルには「なくてはならないもの」という意味があるんですが、僕にとってサックスがなくてはならないものであるように、コンサートに来てくれる皆さんにもそういうものを見つけてほしいという思いが込められています。
 みんな子供の頃は「これがなきゃ生きていけない」っていうものがあったはずですよね。部活動でも、アニメでも、ピアノでも、ラジコンでも。しかしいつか「大人として社会に出るなら、あなたが大切にしてきたものを捨てなさい」という時が来ます。捨てることで社会に忠誠心を問うかのように。僕、それはあまり良いことではないと思うんです。部活動引退とか、青春の終わりとか言って、それまでの心の支えを全部捨てる必要なんかないんです。続けることはみっともないことではありませんから。急に社会の中で新たな目標なんて見つかりませんよ。北海道でのコンサートでは、僕の出身高校の吹奏楽部の人たちに演奏してもらったこともあります。やっぱり楽器を愛する人たちには、演奏を長く続けてほしいと思いますし、煌びやかな思い出も持っていてほしいと思ったからです。

―― 音楽活動の中には、文化放送『楽器楽園~ガキパラ~』のように、ラジオ番組を通じて音楽を届けるという形もあります。

武田 この1年は新型コロナウイルスの影響で、僕自身の音楽活動もかなりの制約を受けました。そんな状況の中で『ガキパラ』という場所があるから、僕はミュージシャンでいられたんだなと感じる部分もあります。ゲストの方とのスリルある生セッションがこの番組の魅力ですし。どのゲストの方も印象深いのですが、いま思い浮かんだのは鬼龍院翔さん(ゴールデンボンバー)です。ゴールデンボンバーってエアバンドなので、普段の活動中は演奏しないですよね。でも、『ガキパラ』に出演するときだけはギターで生演奏してくれるんです。だいたい毎年一度は来てくださるんですが、スタジオに入ると「このギター開けるの、1年ぶりだ」ってチューニングを始めるんです(笑)。なんかカッコいいでしょ。

人生を変えた忌野清志郎さんとの出会い

―― 2020年5月の特番『よォーこそRCサクセション』では、忌野清志郎さんについて「人生を変えてくれた出会い」と語っていました。

武田 清志郎さんとの出会いがなかったら、もうサックスを持つことはなかったと思います。20代後半のある日、竹中直人さんに誘われて清志郎さんのスタジオを訪ねたんです。「ロックン・ロール研究所」と書かれたマンションの一室で、部屋中がギターはもちろん、いろんな国の名も知らない楽器で埋め尽くされていました。僕は緊張していました。「どんな人なんだろう。ボトルの酒を『飲めよ』って勧めてくるような人だったら困るな」って(笑)。僕は当時、顎関節症でサックスが吹けなくなって、メンタル的にも不調を感じていた時期でした。だから、ふと見ると部屋の隅っこで、どてらを着て下を向いて正座している白髪混じりのおじさんが、あの忌野清志郎なんだと気づいたとき、なんだかちょっと気が楽になったというか。自分の部屋なのに、誰よりも居心地悪そうに緊張しているみたいだったから(笑)。

―― その楽器の山の中にはサックスもあったんですか。

武田 そうですね。清志郎さんが「きみ、サックス吹くコだよね。ちょっと吹いてみて」と。それまで2年近くサックスを吹けていなかったんですけど…ここで吹けなければ、もうこの先ずっとサックスを吹くことはないだろうなと瞬間的に思いました。吹いたら、音が出たんです。そこから一緒にデモテープ作りに協力させてもらったり、アルバムに参加させてもらったり、ツアーに出たりと、たくさんの経験をさせてもらいました。自分にとって「継続していく覚悟」のようなものを近くで見せてくれたのが、清志郎さんですね。当時、清志郎さんが結成したバンド「ラフィータフィー」のツアーは、体力づくりも兼ねて自転車での移動でした。今思うと、その頃の清志郎さんは50歳を目前にして、人生もうひと踏ん張りという時期だったのかもしれません。あの自転車の経験によって身体を動かす爽快感を知ったことが、後の「筋肉体操」にも繋がっていくので、清志郎さんには人生を導いてもらったんだと思っています。

ワクワクすることを追い求めて

―― 最後に、『BREATH OF LIFE』というタイトルにも含まれている「不可欠なもの」という意味にちなんで、武田さんの人生に不可欠なものは何でしょうか。

武田 ここで「音楽」とか「サックス」とかって言えば、このインタビューも締まるのかもしれないけれど(笑)、これを読んでいる多くの方に今お伝えしたいのは、「ワクワクすることを追い求める」ということです。特にコロナ禍になってから、「エンターテインメントは必要なのか否か」みたいな話が出ますが、たとえコンサートや舞台が一切なくなったとしても、あなたがワクワクすることを追い求めてほしいと思います。僕は、心がポジティブな状態であることが身体の健康を保つための第一条件だとさえ思っているので。僕自身も、もっとワクワクを提供できる演奏者になりたいし、ワクワクさせられるラジオパーソナリティになりたいし、ワクワクするような楽しい運動を提案できる面白い筋肉のおじさんでありたいと思います。

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