山本耕史、芸歴50周年を振り返る。「やめたいとも続けたいとも思ったことがない」
大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送・月曜日~金曜日11時30分~15時)、10月21日の放送に俳優で歌手の山本耕史が出演した。今月、芸歴50周年を記念した『KOJI YAMAMOTO 50th Anniversary Concert』を開催する山本が、そのコンサート、これまでの芸能生活などについて語った。
山本耕史「(芸歴50年であることについて)赤ちゃんモデルみたいなことをしていました。そこを入れると50年になります。記憶があるのはもう少しあとです(10月31日で50歳)。割と2歳ぐらいのことは憶えているんです。ベッドに寝かせられて上からカメラを構えて照明を当てられ、『目をつぶって、寝たふりをして』。そう言われて撮っていただいたのは記憶にあります。母に話したら『あれ憶えているの?』と驚かれました」
大竹まこと「2歳はすごいな。芸能界を目指したのはなんで?」
山本「母も父も歌をやっていて。その流れでというか。兄も芸能をしていたので、気づいたときにはもうやっていた、という状況でした。抵抗を覚える前に始めていたので、やめたいとも続けたいとも思ったことがない。不思議な感じです」
大竹「学校で噂は立つよね。何かに出ていて、みたいな」
山本「小学校のころ、舞台の本番のために早退しないといけないことがあって。みんな『どこ行くの?』と。周りと違うことをしているんだな、というのは、その辺からなんとなくわかってきました。でも後半はみんな『きょうもなの? 行ってらっしゃい』という感じで。特別なことというよりは普通の生活の一部でした」
大竹「この間『わたしの知らない子どもたち』という映画を観て。子役がみんなうまいんだよ。驚くぐらい。そういうので勝っていこう、といった気持ちはなかった?」
山本「全然なかった。いまでも同じような気持ちは続いています」
水谷加奈「若いころは尖っていた、と伺っています
山本「尖っていたというか。まあ自分の意志はすごく見せていたと思います。違うものは違う、気持ち悪いものは気持ち悪い、ということを区別していたのかもしれません」
大竹「とんとん拍子に続いてきたのか。それとも仕事がなくなった時期もあるのか」
山本「すごく大きな母体となるところもたくさんあって。でも僕はずっと個人でやってきました。時代劇や舞台など、若い人たちがやりたがらない、と言ったら変ですけど。スキマ産業みたいなふうにやってきたんだと思います。同世代が学園ものに出ている中、僕は京都で時代劇に出ていたり、舞台に上がったり」
大竹「ほう」
山本「そうしていたら、いつからか舞台やっている人がフィーチャーされたり、時代劇のできる若者を探されたり、というときに『そういえばやってきたな』と。そこがいまにつながるきっかけになっているかもしれません」
大竹「今回(『KOJI YAMAMOTO 50th Anniversary Concert』)は何するんですか?」
山本「50周年ということで。35周年のときもやりましたけど、いままでの作品、ミュージカル、影響を受けたアーティストたちの曲でコンサートを。お芝居も考えたんですが、瞬間、その数分だけでお客さんを誘(いざな)える、という意味で、いろいろな曲を並べてコンサートにしたらいいのでは、と思って。50周年アニバーサリーコンサートを10月24日に大阪(Zepp Namba)、10月31日に東京(LINE CUBE SHIBUYA)で開催します」
放送では子役時代の経験や、大河ドラマ『新選組!』を手がけた脚本家・三谷幸喜との縁などについても山本が語った。アニバーサリーコンサートのこともさらに詳しく語っている。その様子はradikoのタイムフリー機能で確認してほしい。
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