【第99回箱根駅伝】「最高な形で終わった」駒澤大学・山野力選手、レース後コメント

【第99回箱根駅伝】「最高な形で終わった」駒澤大学・山野力選手、レース後コメント

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駒澤の完全優勝で幕を閉じた第99回箱根駅伝。三冠のチームを率いた駒澤大学キャプテン、9区・山野力選手のコメントです。

Q:運営管理車の大八木弘明監督からかけられた印象に残っている言葉は。
A:もうあまり覚えていないがすごく感謝された。最後の方は青山学院に対してしっかり貯金を作ってくれ、と言われたくらい。

Q:円(健介、4年)選手から給水を受け取っていたが同級生からの声かけは力になったか。
A:円は前日も泣いていた。田澤(廉、4年)に襷を渡すときに「ありがとう」と言っていて、自分にも給水の時に最後「ありがとう」と言ってくれた。その思いにも応えたいと思って走りました。

Q:涙を堪えながら?
A:本当に、待機所とか結構危なかったですけど(笑)。監督と電話をする時にいつもとは違う感じでノリノリで。最後だから気楽にやれよ、みたいな。泣きそうでした。

Q:いつもより明るい感じでだった?
A:いつもは大体「後ろとどれくらいだから頑張れ」ということを言うくらいだが、今回は「どうなるかわからないから楽しめ」、「最後だから」と。監督自身も最後というのもあり、色々組み合わさって胸がいっぱいになった。

Q:4年生はどういう世代だったか。
A:すごくまとまった学年だな、と。2、3年生の時はまとまりに欠けていた部分があったが、最上級生になって自分達がしっかりまとまっていないと下が付いて来られない。1月中旬くらいに初めてミーティングした時にその思いをしっかり話し、そこから4年生がまとまった。

Q:コミュニケーションを取ることを随分重視したと思うがそこがチームを融合させる上で重要だったか。
A:この4年間やってきた中で「誰かのために勝ちたい」というのがあり、「先輩のために勝ちたい」や「監督のために勝ちたい」というのが強かった。日頃からコミュニケーションとって仲良く接していると後輩も「先輩のために勝ちたい」という思いも出てくるのかなと思って、そういうところからチームを変えていこうと思った。

Q:4年生の中では1、2区で彼らが頑張りを見せたところが山野選手も胸熱な感じでした?
A:円が2位で来た時は部屋で(泣きそうで)危なかったです(笑)。

Q:田澤選手も体調不良の中頑張ってくれたが。
A:最後ガチガチになりながらも繋いでくれたことが、すごく良かったです。

Q:振り返って往路優勝、復路優勝、総合優勝というのはどういうところに勝因があったと思うか。
A:チーム全体が「勝ちたい」と思っていたから勝てたのかな、と。「状況は大体どのチームも一緒で『勝ちたい』という強い思いがあるチームが最終的には優勝する」と箱根前の取材の時に言ったが、本当にその通りだなと思っている。

Q:レースや大会、合宿で気持ちを感じられたことはあったのか。
A:夏合宿からはチームがすごく変わった。夏合宿の時に自分と田澤と円が3人監督に呼ばれて、「俺は今年で辞めるから」と言われた。そこで自分達も初めて(退任の意向を)知った。監督の今年に対する強い思いを聞いたし、ここまで駒澤大学を強くしてくれた監督に有終の美を飾ってほしいと思い、さらに本気になって自分達3人がチームを引っ張ってきた。

Q:それは3人 (山野選手・田澤選手・円選手)だけが知っていることだったのか。
A:自分達3人に打ち明けてくれた。その時に監督も涙ながら話してくれたので、自分たちもそれに応えたいな、という思いがあった。監督が涙ながらに今年にかける思いを語ってくれて、「自分はもう100回まではやらない。99回で終わろうと思ってる」と。監督自身も色んな人に恩返しをしたいと強い本気の話をしてくれた。自分たちもそこで、「今年は絶対に三冠するぞ」という思いが強まりました。

Q:今まで監督が涙ながらに決意を話すということはあった?
A:監督が泣くところなんてほとんど見たことが無いので、その時は監督が泣くぐらい今年にかける思いが強いんだなと感じた。

Q:夏合宿で監督と話したのは夜だったか。
A:最終日の移動するとき、もう今から東京に帰るぞという時の昼食後です。

Q:監督の涙を見て、くるものはあったか?
A:自分は涙をもらいやすいタイプで結構危なかったが、耐えて、聞くだけだった。

Q:(退任のことを)周りに言わずにチームに意思を伝えるのは難しくなかったか。
A:それは姿勢で。自分たちが今年は本気で勝つんだという姿勢を見せて、後輩たちもそれを汲み取ってやってきた部分がある。(三冠に向けては)出雲駅伝が1番大事で、ここで勝てたから皆も今年はいけるぞ、と波に乗れた。出雲駅伝の優勝はすごく大きかったと思う。

Q:その末の三冠だった。
A:結果として往路も復路も総合優勝もできたので最高な形で終わったな、と思う。

Q:山野選手の果たした役割はどういうところか。
A:自分は最後、青柿(響、2年)に託すのではなく自分のところで優勝を決定づけたいと思って走っていた。自分(山野)がしっかり離してくれたことで安心して走り出せたと、レース後青柿から言われたので自分の役割は果たせたかなと思う。

Q:中央大が離れず45秒前後でずっと付いて来たというのは意識していたのか。
A:40秒から1分の間で差が推移していて、自分自身も結構不安だったが最後にかける思いも強かったのでしっかり走り切ることができた。

Q:どの辺で優勝を実感したか。
A:自分が青柿に襷を渡した時点でもう優勝は確信した。青柿は去年よりも調子が良いって自分で言っていたくらいなので全然不安はなかったし、青柿にしっかり差を開いて渡せば間違いなく勝てるな、と思っていたので。

Q:駒澤大学の新しい歴史、三冠を達成したということで今後どうなっていくことを期待するか。
A:今回だけで終わるのではなく、まだまだ強い後輩たちがたくさんいるので今後もしっかり強い駒澤を築いていって、更に良くしていってほしい。

Q:山野選手自身の4年間はどうだったか。
A:すごくやり切った感じ。悔いの無い4年間で、最後に最高の思いをして終われたのがすごく良かった。

Q:三冠した時、終わった時の監督の表情はどうだったか。
A:満面の笑みでした(笑)。監督を満面の笑みにさせたいと思っていたので、すごく良かったです。全日本駅伝のときは「自分たちが胴上げしましょう」と言っても監督は「いや、いいよ」みたいな感じで渋々やっていたが、今回は自分から入ってきたので相当嬉しいんだろうなって思いました(笑)。

Q:胴上げを3回行ったが3回上げるというのは決めていたのか。
A:三冠の3回というのもあって、胴上げの回数は3回で決めていた。

Q:終わった後監督から皆に一言はあったのか。
A:集まる機会が無かったのでなかったが、一人ひとりに感謝は述べていた。

Q:会見の時に監督が退任を発表した。
A:自分たちは今回で最後というのを知っていたので、そろそろ言うとは思っていた。

Q:今年の三冠以外でこの4年間での監督との一番の思い出に残っている出来事はあるか。
A:家族みたいに接してくれた。自分と田澤は3年で単位を取り終えていたので2人で残って練習する期間があった。そこで3人で一緒に温泉に行くなど色々自分たちを監督の子どものように扱ってくれたこと。

Q:そういう心配の声かけも嬉しかった?
A:何も話さないよりは普段から話すことで監督に対する思いも強くなるし、「勝たしてあげたい」という思いも強くなるので、日頃から会話は必要だと思う。

 

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