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(かまた みのる)
医師・作家。1948 年東京生まれ。
東京医科歯科大学医学部卒業。
37年間、医師として地域医療に携わり、チェルノブイリ、イラク、
東日本の被災地支援に取り組む。2009 年ベスト・ファーザー
イエローリボン賞(学術・文化部門)受賞。2011年日本放送協会
放送文化賞受賞。
ベストセラー「がんばらない」をはじめ、「なさけないけどあきらめ
ない」「ウェットな資本主義」「アハメドくんのいのちのリレー」
「希望」(東京書籍) など著書多数。
現在、諏訪中央病院名誉院長。

(むらかみ のぶお)
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や
『鎌田實いのちの対話』など、
NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を講演で回り「嬉しい言葉の種まき」を
しながら、文化放送『日曜はがんばらない』
月刊『清流』連載対談などで、新たな境地を開いている。
各地で『ことば磨き塾』主宰。
http://murakaminobuo.com
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2013年5月29日
5月26日 第59回放送
鎌田さんの無茶ぶりリクエスト「講談らしいものが聴きたいなぁ」に「さても源左衛門その日
のいでたちいかにと見てあれば...(略)」と軍記物「鉢の木」から「いざ鎌倉」の語源となっ
た「源左衛門の駆けつけ」の一節を朗々と披露する講談師の神田香織さんがゲストです。
神田さんは福島県いわき市出身。戦争の悲劇や原発の危険性など、社会的なテーマを取り入れ
た講談で知られています。10年ほど前からチェルノブイルリ原発事故をテーマにした講談を
演じ、原発への警鐘をならしてきましたが、地元福島で原発事故が起こってしまいました。
鎌田さんと神田さんは、10年前に『チェリノブイリの祈り』の原作者スベトラーナ・アレク
シエービッチさんが来日した際に会った旧知の仲です。
今ではすっかり社会派講談師として活躍する神田香織さんですが、そのきっかけは1984年
二つ目昇進を期して物見遊山で訪れたサイパン旅行。サイパン玉砕の地を訪れバンザイと叫び
ながら後ろ向きで海に飛び込み玉砕した人々のことを見聞きし、戦争の悲劇を語る新作を作ろ
うと思いたちました。沖縄、長崎、広島と戦争の跡をめぐる中で、中沢啓治さんの漫画「はだ
しのゲン」と出会い、中沢さんから快諾いただいて講談「はだしのゲン」を86年に初演。
たまたま同じ年にチェルノブイリ原発事故が起こり、事故が起これば、原発も危険だと痛感。
「なにくそ、負けてたまるか!」(ゲンの台詞)に背中を押されて、社会派作品を全国に発信
して事故防止や災害対策に役立てばと講談を続け、2002年から『チェリノブイリの祈り』
を講談にして演じてきましたが、東日本大震災が発生し憂いていたことが現実となりました。
番組では『チェリノブイリの祈り』と、一転明るい『フラガール物語』の一節を演じます。
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2013年5月22日
5月19日 第58回放送
「人類発祥の地」アフリカに行き、『我々はどこから来て、どこへ行くのか』というテーマで
今年2回目の現地取材をした鎌田さんの『アフリカ土産話』をお届けします。
アフリカ大陸の東部には、南北に走る巨大な谷「大地溝帯」があります。この谷から多くの人
類化石が発見されていることから「人類発祥の地」としても知られていますが、鎌田さんの旅
はケニアからスタート。首都ナイロビから世界遺産にもなっている「トゥルカナ湖」へ移動。
この湖の周辺からは、500万年前の猿人、原人、現世人類と多様な骨が発見されていますが
「トゥルカナ・ボーイ」と呼ばれる約160万年前の少年の舌骨や胸郭から想像すると、声を
発する力は弱かったとみられています。その後、我々の祖先はいつしか感動したときに無意識
に肺から出た空気が声帯を振るわせ音を出し、感情を共有するための音声がやがて言葉になり
複雑化していったのではないだろうかと鎌田さんは想像しています。
今回の旅で会いたかった女性は、エチオピアの「アディスアベバ国立博物館」にいました。
「ルーシー」という彼女は320万年前の「アファール猿人」で直立二足歩行をしていますが
腕は長く、足の親指は木の枝も使いやすいように、第2~5指とは少し離れて猿のようです。
鎌田さんが「君は、なんで立ったの?」と問いかけてみたそうですが、残念ながら応答ナシ。
その他、440万年前のエチオピアの「ラミダス猿人」に大きな犬歯がみられない理由として
力ではなく食糧を与えてパートナーを得ていたのではないか?愛の始まりであると鎌田さん。
古代エジプト王「ラムセス2世」が王妃ネフェルタリに送った最古の恋文の話も紹介します。
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2013年5月14日
5月12日 第57回放送
日本をリードする大企業。実はその大企業も数多の中小零細企業によって支えられています。
鎌田さんはその関係を血管と毛細血管に例えながらそれぞれの役割を担っていると説きますが
今回のゲストは「ものづくりの街」東京・大田区の「ダイヤ精機」社長の諏訪貴子さんです。
1964年創業の「ダイヤ精機株式会社」は、自動車メーカーや各種部品メーカー向けの金属
部品の精密加工を担っている一貫加工メーカーで貴子さんのお父さんが興しました。二代目の
貴子さんは、その経営手腕を評価されて雑誌『日経WOMAN』「ウーマン・オブ・ザ・イヤー
2013」大賞を受賞しました。幼い頃から「会社の跡取り」として育てられた現代版父子鷹?
「ダイヤ精機」は、小児がん(白血病)のお兄さんの治療費を工面するために創業しましたが
その願いむなしくお兄さんは6歳で夭逝。その2年後の1971年に誕生した貴子さんは常に
「お兄さんの生まれ変わり」と言われ続けてきました。一人で鉄棒遊びをするのが好きな内気
な少女は、お父さんからいろいろとスパルタ教育を受けます。中学3年の大森駅での出来事。
煮え切らない返事したら、人混みで罵倒され「お前は、この恥ずかしい思いを一生忘れないだ
ろう。見ていた人はすぐ忘れてしまうだろう。人の記憶に残る自分の伝えたいことを持て!」
と尋常でない叱り方をされて、自己表現の大切さを学んだエピソードなどが披露されます。
その後、工学部に進み、大手自動車部品メーカーのエンジニアを経て、結婚し出産。請われて
「ダイヤ精機」に入社するも27歳~32歳にかけ2度にわたりリストラと入社退社を経験。
32歳でお父さんの逝去に伴い「ダイヤ精機」社長に就任。若き女性社長の奮闘ぶりや町工場
らしい従業員との交流、遺訓「ものづくりに終わりはなんだよ!」を守る諏訪貴子さんです。
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2013年5月 7日
5月5日 第56回放送
鎌田さん村上さんが敬愛する「ラジオ職人」の永六輔さんをゲストにお迎えし、鬼籍に入った
盟友たちの初耳エピソードなどを紹介、有名人それぞれの人柄が浮き彫りになる鼎談です。
永さんは「人の死は2度ある」といいます。最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれた時。 最後の死は、覚えている人が誰もいなくなった時。故人を覚えている人がいる限り、故人は心
の中に存在し、その人の側にいる。だから時々は故人の思い出を語り合い供養をしましょう。
16年前に亡くなった渥美清さんと永さんは、少年時代に出会い60余年のお付き合いだった
そうですが、東北の被災地や映画館の暗闇の中「あっ渥美ちゃんだ!」と時々会うそうです。
また、昨年暮れに亡くなった小沢昭一さん。ラジオ番組の放送回数を競い合った小沢さんに、
パーキンソン病を患う永さんは番組出演に自信をなくしかけて「やめようかと思っている」と
言った所、「絶対に辞めるな!マイクの前にいる気配がするだけで、聴いている人はそれで
いいと思っている!」と小沢さんに激励されて現役を続行する勇気を貰ったそうです。
先月10日、80歳になった永さんが「誕生日」で思い出すのは映画評論家の淀川長治さん。
「自分の誕生日を祝うのは間違っている。産んでくれたお母さんに感謝する日だ!」と叱られ
て以来、永さんは誕生日のお墓参りを続け、墓前では「ありがとう」と言っているそうです。
もう一人永さんを叱った人がいます、シャンソン歌手の石井好子さん。パリ祭の司会を頼まれ
たのでタキシードを新調し、請求書を彼女に回したら「自分で払わないと着こなせません!」
と突っ返されたそうです。その他、中村八大さん、いずみたくさん、坂本九さん等々の逸話。
【プレゼント】 永さんが紹介した盟友とのエピソードが満載の新刊『永六輔のお話し供養』
(小学館)を抽選で5冊進呈します。 ご希望の方は、5月10日必着でご応募ください。
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