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(かまた みのる)
医師・作家。1948 年東京生まれ。
東京医科歯科大学医学部卒業。
37年間、医師として地域医療に携わり、チェルノブイリ、イラク、
東日本の被災地支援に取り組む。2009 年ベスト・ファーザー
イエローリボン賞(学術・文化部門)受賞。2011年日本放送協会
放送文化賞受賞。
ベストセラー「がんばらない」をはじめ、「なさけないけどあきらめ
ない」「ウェットな資本主義」「アハメドくんのいのちのリレー」
「希望」(東京書籍) など著書多数。
現在、諏訪中央病院名誉院長。

(むらかみ のぶお)
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や
『鎌田實いのちの対話』など、
NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を講演で回り「嬉しい言葉の種まき」を
しながら、文化放送『日曜はがんばらない』
月刊『清流』連載対談などで、新たな境地を開いている。
各地で『ことば磨き塾』主宰。
http://murakaminobuo.com
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2014年7月28日
7月27日 第118回放送
不身持ちの夫から逃れたい女性が駆け込んだ「駆け込み寺(縁切寺)」は江戸幕府公認
の鎌倉「東慶寺」が有名ですが、新宿・歌舞伎町で現代版の駆け込み寺を開設している
玄秀盛さんを迎えて、玄さんの複雑怪奇な崖っぷち人生と駆け込み寺事情を聴きます。
「公益社団法人日本駆け込み寺」代表玄秀盛(げんひでもり)さんは1956年大阪市
西成区で在日韓国人として生まれ、「4人の母と4人の父」のもとを転々と育ちます。
どこでも邪魔者扱い、虐待され、常に空腹で、人の顔色ばかり見ながら成長した少年は
補導歴8回、逮捕歴5回という特異な経歴がその荒んだ生活を物語っています。中学を
卒業し30を超える職業を経験。建設現場への人材派遣会社を手掛け、不動産、金融と
さまざまな会社を立ち上げ年商20億円の実業家になりますが、44歳で一変します。
2000年、献血の検査結果から白血病の一つ「成人T細胞白血病」を起こすウイルス
保菌者であることが判明。いつ発病するのかわからない時限爆弾を体内に抱えて、発病
したら余命は1年?と言われ、自分が命の瀬戸際にいることを実感させられた玄さん。
死を思うからこそ、生を真剣に考えるようになり、その途端に執着してきた金儲けへの
興味が急速に失われて、「社会で困っている人を助ける相談窓口」を開設しました。
相談件数で多いDVは、女性を助けるだけでは減らないので、加害者である男性に気付
かせるのが大事で、どんな脅しにも屈せずに相手を諭す玄さんの本領が発揮されます。
今年秋に『出所者の居酒屋』を歌舞伎町に開店し、コミュニケーションを磨く場にして
彼らが過去を笑えるようになれたらと願いつつ、天からの「与命」に生きる玄さんです
「日本駆け込み寺」への相談は、03―5291―5720(午前10時~午後6時)
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2014年7月22日
7月20日 第117回放送
イラク、シリア、イスラエル、パレスチナの中東諸国から連日のようにきな臭い情報が
届いています。民族間や宗派間の対立、石油利権にからんだ闘争、過激派のテロ闘争も
頻発して出口の見えない状況が続く中、これらの地域に医療支援を続けている鎌田さん
が憂いと憤りを抑えながら語るテーマは『鎌田さんのわかり易い最新中東情勢』です。
イラクでは、イスラム教スンニ派の「フセイン独裁政権」崩壊後に誕生したシーア派の
「マリキ政権」のもとで正常化に向かうと思われましたが、シーア派を重用する新政権
に不満が集中して両派間の対立は続き、加えて北部一帯で強い影響力を持つクルド族は
民族独立希求が強く、従来のこれら3つの勢力による対立が基本構図でしたが、さらに
急進的な宗教政治思想を掲げたスンニ派『イラク・シリア・イスラム国(ISIS)』
という過激派が勢力を台頭させて各地を征圧し、イラク国内の混迷は続いています。
2004年にイラク支援を開始し、国内4つの小児病院へ薬を送り、難民キャンプでも
診察を続けている『JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)』は6年前に
イラク北部の都市アルビルに事務所を構えて活動。隣国シリアの内戦を逃れてイラクに
流入した多くの難民の中から子供や妊婦を優先して砂漠の難民キャンプで医療支援して
きましたが、今回のISISの侵攻でイラク第二の都市モスルで発生した多くの国内難
民も又キャンプに押し寄せてきて、JIM-NETのスタッフはてんてこ舞いの状態。
また、イスラエルとパレスチナの火種は消えるどころか燃え上がるばかり。イスラエル
内のパレスチナ自治区ガザでの戦闘も激化して、戦いの犠牲になるのはいつも一般人で
あり子供たち。民族や宗派の違いを乗り越える力を身につけないと人類に未来はない!
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2014年7月14日
7月13日 第116回放送
村上さんが初めて読んだ伝記は『野口英世伝』。すごい人がいるなぁと感心した思い出
を語ると、「ボクも野口英世だった!」と鎌田さん。皆、偉人伝や伝記物を夢中で読み
素晴らしい日本人の先達を知ります。今回のテーマは『ぼくたちの好きな日本人』。
鎌田さんが開口一番挙げた名前は、茶の湯の大家・千利休。利休は見事なパフォーマー
だったという持論を展開。出自は貧しく、恵まれぬ境遇ながら、才気煥発またたくまに
信長と秀吉という時の最高権力者に認められたのは「持っていないことを強みとした」
と思われる逆転の発想。最期は秀吉の猜疑心から(?)自害という不運の生涯でした。
続いて挙げた名前は、家庭も愛人も大事にした無頼派作家『火宅の人』の檀一雄。鎌田
さんは縁あって檀の愛人と話す機会があり、檀の悩み悶えた姿が人間的で素敵と話す。
ダライ・ラマの言葉を借りて「愛する時と料理をする時は、分別などかなぐり捨てて、
大いに羽目を外しなさい」といい自分の好きな事を貫く生き方に憧れる鎌田さんです。
一方、村上さんが挙げた名前は「日本資本主義の父」といわれる渋沢栄一。彼は幕末に
生まれ、家業の農業を手伝いながら学問の研鑽を積んで、志士として尊王攘夷の活動を
しますが、一橋慶喜に仕えた縁で慶喜の実弟に随行して、パリ万博・欧州歴訪したこと
により当時の先進諸国の内情に精通出来ました。生涯に500余の企業の育成に係わり
同時に約600の社会公共事業や民間外交にも尽力。91歳で亡くなる直前まで、区別
なく来訪者の相談に乗り「慈善を慈善として行うのは真の慈善にあらず。余はこれを楽
しみとする」という言葉を遺しています。ボランティアは楽しみながらするのがベスト
最期に小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)がいかに日本を愛し、いかに憂いたか紹介。
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2014年7月 7日
7月6日 第115回放送
明日7月7日は七夕です。笹の葉に願い事を書いた短冊をくくりつけ、夜空の天の川を
眺めますが、今回は「難病の子どもたちの願いごと」を叶えるために活動を続けている
団体「メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン」の大野寿子さんをお迎えしました。
「メイク・ア・ウィッシュ」とは英語で「願いごとをする」の意味で、現在は子ども達
の夢や願いを叶えるボランティア団体の名称として知られています。1980年、米国
アリゾナ州に住む7歳のクリス君は警察官になるのが夢でした。しかし白血病にかかり
学校に行くこともできなくなってしまいました。この少年の話を聞いたアリゾナ警察の
警察官達は、彼に制服とヘルメットとバッジを用意し、名誉警察官に任命したのです。
5日後、クリス君は亡くなりました。ほんの短い間でしたが彼の願いは叶ったのです。
クリスの夢の実現に関わった人々は、他にも、大きな夢を持ちながら、難病のため夢を
叶えることができない子どもたちがいるに違いないと考え「メイク・ア・ウィッシュ」
基金を設立して、その活動は世界各国に拡散、夢を実現した子は334000人、日本
では2288人が夢を叶えています。日本では92年に設立され事務局長の大野さんは
94年から活動に参加し、今まで夢を叶えた子どものエピソードの数々を紹介します。
「生きている間に夢を叶えてあげる」が基本ですが、残念ながら間に合わずに12歳で
旅立った大阪の米野嘉朗君も応援を受けた一人です。吉本のお笑い芸人に憧れながらも
病状重く叶いません。でも彼は見事な詩を遺し、詩集『いつかぼくもビーズになる!』
(東方出版)として出版することが出来ました。詩集から三人三様の詩を選んで朗読し
感涙にむせびます。子どもの夢を叶える度に多くの感動が生まれることがわかります。
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