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(かまた みのる)
医師・作家。1948 年東京生まれ。
東京医科歯科大学医学部卒業。
37年間、医師として地域医療に携わり、チェルノブイリ、イラク、
東日本の被災地支援に取り組む。2009 年ベスト・ファーザー
イエローリボン賞(学術・文化部門)受賞。2011年日本放送協会
放送文化賞受賞。
ベストセラー「がんばらない」をはじめ、「なさけないけどあきらめ
ない」「ウェットな資本主義」「アハメドくんのいのちのリレー」
「希望」(東京書籍) など著書多数。
現在、諏訪中央病院名誉院長。

(むらかみ のぶお)
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や
『鎌田實いのちの対話』など、
NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を講演で回り「嬉しい言葉の種まき」を
しながら、文化放送『日曜はがんばらない』
月刊『清流』連載対談などで、新たな境地を開いている。
各地で『ことば磨き塾』主宰。
http://murakaminobuo.com
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2015年6月29日
6月28日 第165回放送
きょう6月28日に67歳の誕生日を迎えた鎌田さん。あさって62歳になる村上さん
それぞれの愛娘よりも若い28歳のフォトジャーナリスト・安田菜津紀さんをゲストに
招いての鼎談ですが、会話は「ウンウン、そうそう、なるほど!」共鳴と共感の連発で
「根幹にかかわる本質的な話」は年齢に関係なく理解しあえるということの証左です。
安田菜津紀さんは、1987年に東京の新橋で生まれました。事業を多角的に営む両親
のもとで裕福な幼少期を過ごしますが、バブル崩壊で事業は破綻。小学3年生で両親の
離婚を経験、以後は妹とともに母の出身地である横須賀市で育ちます。経営者夫人から
一転して、新聞配達やパートタイマーとして働き女手一つで娘2人を育てる母の姿を目
の当たりにして、彼女も青春の蹉跌をきたします。が、高校2年生の2003年8月に
『国境なき子どもたち』の一員としてカンボジアに派遣され貧困の子どもたちを取材。
「守るものがあることの強さ」を知り、彼らの姿を伝えようと決意。また、師匠となる
渋谷敦志さんが撮った「アンゴラの難民キャンプ」で飢餓に苦しむ特に赤ん坊の写真が
強烈な印象として残り、それが写真に目覚めたきっかけです。以後は東南アジアの貧困
問題や、中東・アフリカの難民問題などを中心に取材を進めています。同業者の夫君は
陸前高田市の出身で「東日本大震災」の被災家族でもあり、被災地の住民たちの足跡を
たどる撮影も続けています。番組の冒頭で話題に出たシリア難民が大挙して押し寄せて
いるヨルダンの「ザータリ難民キャンプ」を今年訪れた時のエピソード。「キャンプ内
では生甲斐は見つけづらい。(紛争の続く)イラクに戻りたい」という難民の声を聴き
やりきれない想いと共に、問題の深さ、難しさを再認識するリポートが紹介されます。
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2015年6月22日
6月21日 第164回放送
ピアノを前に、ひとたび指をおろせば鍵盤が踊り出し、ひとたび口を開けばユーモアに
包まれた一言一句がマシンガンのように放たれる口八丁手八丁の、元へ、希代のジャズ
シンガー綾戸智恵さんとの鼎談は、「くよくよ悩んだって仕方ない!」の痛快さです。
1957年、大阪で生まれた綾戸さんは幼くしてピアノを弾き始め、ジャズ好きの親の
影響もあり17歳で単身渡米。娘を送り出す母は「死んだらあかんで。ごはん食べや」
それだけだったという。ところが40年経ち病身の母から「今までで一番辛かったのは
娘の渡米」と聴かされた綾戸さんは、今度は私が我慢する番と精一杯に接しています。
渡米後にライブハウスや教会でゴスペルを歌ったり、ピアノ演奏に打ち込みながら結婚
出産、離婚を経て、愛息と共に帰国。シングルマザーとして育てながら地道に歌手活動
を続けている最中に2度目の乳がんが発覚。様々な苦難を乗り越えて98年に40歳で
メジャーデビューを飾ることになった綾戸智恵さん。2004年には脳梗塞で倒れた母
の介護と仕事を全力でこなし、その甲斐あって母は要介護4から要支援2まで回復しま
すが、2007年には些細な事で母が転倒し大腿骨骨折。これを機に脳血管性認知症が
進みますが綾戸さんの完璧主義は更に磨きがかかり「歌も介護も全力投球」。それが災
いして体はいつしか悲鳴を上げて、2010年には薬を飲み過ぎ救急車のお世話になる
そんな波乱万丈の人生を送ってきた綾戸さんですが、ネガティブな内容に触れてもユー
モアを含んだトークは聞く人に決してネガティブな印象を与えない逞しさがあります。
後半は「患者は何科に行くべきか分らないから総合診療科を増やして」と持論を披瀝し
鎌田さんも認知症の患者さんの事例を紹介しながら「全くその通り」と相呼応します。
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2015年6月15日
6月14日 第163回放送
摂氏43度という灼熱のイラク難民キャンプで巡回診療と健康講演会をして9日に帰国
したばかりの鎌田さんが現地で見聞し体験した「最新の現地リポート」を熱く語ります
実は鎌田さんの左手は今痺れている状態でグーが握れない複合性局所疼痛症候群ですが
薬を待っている難民や子どもが笑顔を取り戻す為に行動する使命感の強さはあっぱれ。
シリア北部からイラク中部に至る広大な地を掌握するイスラム教過激派の武装組織IS
「イスラム国」はイスラム原理主義にのっとり排他的・攻撃的な思想を発達させた組織
で他の民族や宗教・宗派を受け入れないところに問題があります。10年間アラブ諸国
に通い続けた鎌田さんは、偶像崇拝禁止の名のもと博物館や遺跡が壊されてしまうのが
なんとも残念といいます。そして人道支援に移ります。JIM-NET(日本イラク医
療支援ネットワーク)は、イラク北部のクルド人自治区のアルビルに事務所を開設して
3つのキャンプ内の医療施設に薬を配布し、現地医師による巡回診療を行っています。
同行する鎌田さんも聴診器を持って診療にあたり「健康講演会」では多くの難民を前に
「減塩・野菜の摂取・15分の歩行・生甲斐の保持・絆の大切さ」を説きますがISに
追われて2週間も歩き続けた彼らもすんなりとは受け入れず「野菜よりも肉をくれ!」
と叫ぶそうですが、鎌田さんが「健康を保ち、生甲斐をもって、いつか故郷に帰ろう」
と諭すと理解者が表れて、最後には5原則を全員が1つ1つ唱和してくれたそうです。
また、異教徒殺害・奴隷制復活とおぞましい行為を繰り返す悪魔のようなIS戦士にも
15歳の奴隷少女を逃がしたり、8人目の所有者に引き取られた19歳女性を良心に目
覚め解放した戦士もいると紹介。我が身の事よりいま難民を支援する意義を語ります。
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2015年6月 8日
6月7日 第162回放送
6月は鎌田さんと村上さんの誕生月です。地域医療に携わり41年という67歳になる
鎌田さんと、放送人として40年目に入った62歳になる村上さん。それぞれの人生の
中で「心に残る日本人」がいます。不連続シリーズ「ぼくたちが好きな日本人」4回目
の今回は軍人に、文豪に、無頼派作家もいてバラエティに富んだ人選が楽しめます。
戦後70年に因み、軍神と呼ばれた連合艦隊司令長官・山本五十六の素顔に迫ります。
1884年、儒学者の家系に生まれた五十六は、父が56歳の時の子だからイソロクと
命名されました。聡明な少年で、アメリカの政治家ベンジャミン・フランクリンを尊敬
して、広い視野を持ちつつ育ちました。海軍兵学校卒業後、日露戦争に従軍し、日本海
海戦で重傷を負います。軍人として石油や航空にも早くから注目して、リンドバーグの
大西洋横断にも触発され、特に航空の重要性を説いて開戦時に先見性を実証しました。
ただし、開戦にはあくまでも反対して、「この身滅ぼすべし、この志奪うべからず」と
わが身の危険を省みず、日独伊三国同盟に断固反対した姿勢は人々を愛し、郷土を愛し
慈愛の心を強く保っていたからこそ。海軍軍縮条約の締結が日本の命運を決める重大事
と認識し粘り強く交渉を続けたが、その意に反し連合艦隊司令長官としてハワイ真珠湾
攻撃を敢行し、未曽有の大戦争の指揮をとる立場になった。早期に講和を結ぼうと考え
ていたが、勝利に驕った日本軍は山本案を無視して侵攻を続け泥沼に踏み込んでいく。
実は軍神と崇められた彼には「想い人」がいて、彼女の前では平凡な男だったという。
その他に、「細君譲渡事件」として話題になった谷崎潤一郎と千代子夫人と佐藤春夫の
相関関係。更に太宰治や白川道など愛すべき無頼派・アウトロー作家も紹介します。
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2015年6月 1日
5月31日 第161回放送
「緩和ケア」というと、がん末期のいわゆるターミナルケアを思いがちです。でも医療
の本来の姿は患者さんの痛みや辛さを緩和するのが目的で、医療の原点とも言えます。
今回は緩和医療一筋、多くの患者さんの死に寄り添ってきた医師の大津秀一さんです。
大津さんは、1976年に茨城県で生まれた若い緩和医療の専門医です。内科専門研修
終了後、日本最年少のホスピス医(当時)としてスタート。京都の専門病院にて研鑽を
積み、現在は東邦大学医療センター大森病院緩和ケアセンターにお勤めです。大津さん
はこれまでたくさんの死を見届けてきました。死期が迫ると、多くの患者さんが様々な
辛さを自覚することになりますが、医師としては患者さんのあらゆる苦痛を取り除く事
ですが、体の苦痛を和らげるのは何とかできても心の苦痛を取り除くのは難儀だといい
どうしたら死を前にした患者さんの苦しみや辛さや後悔が減るのか常に考えています。
大津さんは「桜は後悔していない」といいます。精一杯咲いて見事な満開の姿を見せて
散っていくからです。これまで多くの死と立ち会い、生物学的な生命の長さは死ぬとき
の満足度には関係ないといい、その意味で精一杯生きる時間の密度が大事と説きます。
「死=不幸」ではないと大津さんはいいます。もしそうなら世界中が不幸になっている
からです。必ず死ぬことがわかっている以上このことを不幸なことにしてはいけない。
寿命で亡くなるのを不幸とは思わないこと。だれでも必ずハッピーエンドを迎えられる
その為に大切なことは、死ぬ時に後悔しないよういま何をなすべきか考えることです。
多数著書の大津さんの中から『死ぬときに後悔すること25』(致知出版社)『死ぬま
でに決断しておきたいこと20』(KADOKAWA)『傾聴力』(大和書房)など。
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