コロナ禍で深刻なダメージ。給食の歴史とこれからを語る

コロナ禍で深刻なダメージ。給食の歴史とこれからを語る

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11月20日「西川あやの おいでよ!クリエイティ部」(文化放送)、特集コーナーは「給食のこれから」をテーマにお届けした。昔から親しまれている学校給食だが、物価高による食品の値上げ、人件費や光熱費の高騰もあって今年、給食事業者の倒産が相次いでいる。学校給食のこれまでを振り返りつつ、これからの給食について考えた。なお今回は青木理の代役をロンドンブーツ1号2号の田村亮が務めている。

西川あやの「印象的だった給食のメニューはなんですか?」

山内マリコ「ワカメごはんはおいしいと思っていました。ただ私、給食全般が割と苦手だったんです。好き嫌いがすごく多いし偏食だし。たくさん食べられないから、なかなか完食できなくて、配膳のときに苦手なやつを『少なくしてくれ』と懇願していました(笑)。(内容は)ご飯があって、それがソフト麺に変わったりパンに変わったりするんですけど、主食と汁物、おかずのプレートには必ず三品ぐらいは盛られて、プラス、デザートみたいな。子供にとってのバブル、国が豊かな時代だったんだなと思います」

西川「亮さんは?」

田村亮「(手元の資料を見て)この資料によると、昭和初期・中期の、パンがアルミの皿に載っていて、あと汁物、もう1個、デザート。フルーツポンチだったり杏仁豆腐だったり。3つぐらいで形成されていた気がします。あと牛乳」

西川「牛乳はなんの牛乳でした?」

田村「瓶でした。資料を見て俺の中で『昭和初期と同じなんだ』とビックリしています(笑)。『クジラの竜田揚げ』とか書いてあって、食べていたし」

山内「小学生だったときって1970年代?」

田村「1972年生まれなので、いちばん人口が多いころですね」

山内「団塊ジュニア世代!」

西川「そのころ揚げパンあったはずなんですけど……」

田村「(自分のところは)なかったんですよ(笑)。中学で3つぐらいの小学校の子が一緒になって、ほかの学校の子は揚げパンの話をしていて。(同じ小学校だった子と)『あれ? 俺らの学校、なかったよね』って。3つぐらいの中でいちばん古かったから、昔の感じと変えていなかったのかもしれない」

西川「地域や学校にもよります。その学校給食が危機を迎えているということで……。2023年、給食事業者の倒産が10月までに17件発生していると。全国各地で給食がストップするなど、いろんなことが起きて。あと給食費の問題もあって低価格構想が常態化しているそうなんです。コロナ禍もありましたし、地域の紛争で輸入がうまくいかないなど、かなり多くの背景がありそうでした」

今回は公益財団法人埼玉県学校給食会・中島勝男さんに事前インタビューも行い、給食の歴史と現在の給食について伺った。コロナ禍はやはり給食事業に大きなダメージを与えたようだ。

中島勝男「コロナ禍はですね……。学校の臨時休業で3月から1ヶ月休みになって、次の年度の4、5月。給食専業でやっている工場なんかは仕事がないんですよ」

西川「徐々に復活してきて、ここからは紛争や物価高の問題が懸念されますか?」

中島「あと食べ物を作る工場でも後継者の問題。それと設備投資の問題というのがいま、すごくネックになっています」

「西川あやの おいでよ!クリエイティ部」は毎週月曜~金曜の午後3時30分~5時45分、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。

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