水道橋博士が語る 古舘伊知郎の「人生の予告編」~12月8日「くにまるジャパン極」

水道橋博士が語る 古舘伊知郎の「人生の予告編」~12月8日「くにまるジャパン極」

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「くにまるジャパン」セミレギュラー浅草キッド・水道橋博士が、12月8日の「くにまるジャパン極(文化放送)」に登場。「人生の予告編」と題し、古舘伊知郎さん人生の伏線について語った

水道橋博士が仕事やプライベートで出会った、芸能界・政界などの大物・奇人60人のエピソードが収録された著書『藝人春秋Diary』の中から、「人生の予告編」と題された古舘伊知郎さんのエピソードを語った。

水道橋博士 “人生には予告編がある”、“人生には伏線があるんだ”と、“人生はその伏線を回収していく一冊の本だ”というようなことを、この本のテーマにもしているんです

古舘さんの人生の予告編」1つめは、アントニオ猪木さんとのエピソード。

水道橋博士古舘さんは小学校2年生のときからアントニオ猪木のファンになってるんですけど、最初は中学校1年生で、後楽園ホールでプロレス観戦したときに、アントニオ猪木が“明日の川崎に来い!”って言うんですよ。それを聞いた古舘少年は、当時お金が無いですから行けなかったんですね」

そして古舘さんがアナウンサーになって初めて猪木さんのインタビューを任された。その場所が川崎市体育館だった。

水道橋博士そのときに古舘さんは、“川崎に来い”って言っていたのは、この意味だ!俺は呼び寄せられたんだ!と思ったんだけど、新人の身の上だったので“猪木さん、朝なにを食べました?”と訊いてしまった…。という話です

野村邦丸アナそれ以上ツッコめなかったんですね、あの古舘さんといえど

そして古舘さんの2度目の「人生の予告編」

水道橋博士古舘さんが中学校2年生のときに六本木に行って迷子になったんですね。見上げたらNET(現テレ朝)があって、子供心に“これがテレビ局か…”と憧れたんですって。それから22歳でNETのアナウンサーになった入社式に参加したのが同じビルなんですね。“やっぱり俺はここに導かれたのか”ってときに、人生二度目の“予告編と本編のはじまり”感じたんです

邦丸こじつけってわけでもないんだろうなぁ

水道橋博士「実況やってる人は、風景を目に焼き付けるじゃないですか。だから、“このシーンって、前に見たことがあるぞ”ってことが、本で言えば伏線を張る作業になっているんですね」

3度目の「人生の予告編」、古舘さんが新人アナウンサーだった26歳のころ

水道橋博士遠い親戚に、“あなたの大ファンの歯医者さんがいるから会いにいってくれ”と頼まれて、杉並の住宅街にあるその家の夕食に呼ばれたんですね。上品な奥様と中学生の息子が揃って、“あなたは必ず喋り手として出世する人だ!”って激賞されるんですね。当時の古舘さんはその自覚がなかったから、不思議な気持ちだったけど、その翌日に雑誌「宝島」で景山民夫さんが“古舘伊知郎アナウンサーは天才である”っていうコラムを発表して、すぐ後に『タモリ倶楽部』の出演が決まり、古舘節のプロレス実況が瞬く間に一時代を築くんですよ。わずか3か月くらいの話なんです

古舘さんは歯医者さんの家に行った“あの日が原点だった”と思いながら、30代、40代とずっと気にかけていたが…

水道橋博士「50代になってだんだん記憶が曖昧になって、“あの歯医者って、自分で作った話じゃないか?”と思い始めたんですって。そんなことを思っていた頃、都内のホテルのエレベーターに乗ろうとしたら、すれ違うように出て行った50歳くらいの男性に“あっ古舘さん”と声をかけられて、“36年前の歯医者です。杉並の歯医者の息子です”と。古舘さんが“僕がいるのはあなたのおかげです!”と言った途端に、エレベーターがチーンと閉まったんですって。で、それっきり会ってないんです」

邦丸「探そうと思えば、探せるんだろうけどな…」

水道橋博士「そうなんです。そういう風に探すのではなく、偶然が星座のように結ばれて浮かび上がっていく物語の方がきれいですよね

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