清野茂樹が少年時代に憧れたプロレス実況をはじめるまで

清野茂樹が少年時代に憧れたプロレス実況をはじめるまで

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4月13日の「おとなりさん」(文化放送)「10時のおとなりさん」のゲストに実況アナウンサーの清野茂樹さんが登場! 広島エフエム放送局でラジオのアナウンサーだった清野茂樹さんは、どうやってプロレス実況者になったのか?

中学時代の清野茂樹さんはプロレスが大好きだった。

山根良顕「実況みたいなのは、その頃からやられてたんですか?」

清野茂樹「中学の頃のプロレスごっこ、教室の片隅だったり、“誰々くんの家でプロレス大会をやろう”みたいな感じになるわけですよ。本格的に布団を敷いて、リングを組んでプロレスごっこをやる。そのときのお抱えのプロレス実況アナが僕だったんですよ!」

坂口愛美アナ「へー。戦う方じゃなくて、そのときから実況を」

清野「もっぱら実況ですよね。“おーっと危ない!ウエスタン・ラリアットをもろに喰らった!後頭部を打ち付けた!”とか言いながら、盛り上げるわけですよ」

山根「居てくれると楽しいね」

そんな清野さんが、プロレス実況に目覚めたきっかけは……

清野「完全に古舘伊知郎さんですよね。僕が子供の頃はプロレスブームでしたから。タイガーマスクが出て来て、金曜日の夜8時にプロレスの中継を生でやってたんですね。プロレス中継を観ることが、当時の小学生にとってはサブカルチャーじゃなくてメインカルチャーだった。プロレスラーの戦いを言葉で伝えている古舘さんが、まあカッコよかったんですよ」

山根「そっちに目がいくんだ。ふつうレスラーにいっちゃいそうな気がしますけどね」

清野「山根さんも僕と同じで痩せっぽっちだから分かると思うんですけど、身体が頑丈じゃないと“こっち無理だな”っていう」

山根「早めに見切りがつきますよね」

清野「自分ができそうなところ何かな?と思うと、やっぱり実況アナだったんですよね。カッコよかったですよ古舘さんが。本当に」

プロレス実況を目指した清野さんは、広島エフエム放送に入社した。

山根「広島エフエムで、実況なんかやる放送ありましたっけ?」

清野「いやゼロです!ナッシングですよ」

山根「ぼく地元なんで、音楽がかかってるか関東のFMが聴けるみたいな、広島にやっとオシャレな放送局できた。っていう感じのHFMに、実況やりたくて入っちゃダメですよ」

清野「何も知らずに“広島エフエム放送社員募集”っていう貼り紙を見て応募したんですよ。(採用試験は)アナウンスブースにひとり入って、試験管の方が履歴書を見ながら“きみプロレスの実況が得意なの?”、“はい。そうなんです!”って言って、架空実況をやったんですよ」

そこで、「広島グリーンアリーナ IWGPヘビー級選手権試合」の架空実況を披露した清野さんは、見事広島エフエム放送の試験に合格した。

山根「なんで実況のない局がそれで採用したんだろう」

そこから約10年間、ラジオのアナウンサーとして活動した清野さんですが、再びプロレス実況を目指した。

清野「まずいぞ、このままだと当初の目的を達成しないままになってしまう。これじゃイカン!と思って会社を辞めて、単身東京に出てくるというね。もう本当にフリーでイチから、無職で出てくる感じですよ」

山根「そんな野良の実況アナが、どうやってリングまで辿り着いたんですか?」

清野「広島にいた頃から、アルバイト的にプロレス実況の仕事は会社業務とは別にやってたんですよ。それでプロレスの業界の中ではちょっとだけ認知があったんですよ。両国国技館でプロレスの興行があったときにCS放送のプロデューサーとばったり会って、“ちょうど、実況アナを変えようなんて話もあるので、やりませんか?”、“やります、やります!”と言って、そこから仕事が決まったんです」

「おとなりさん」は平日月曜~金曜の朝8~11時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。

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