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(かまた みのる)
医師・作家。1948 年東京生まれ。
東京医科歯科大学医学部卒業。
37年間、医師として地域医療に携わり、チェルノブイリ、イラク、
東日本の被災地支援に取り組む。2009 年ベスト・ファーザー
イエローリボン賞(学術・文化部門)受賞。2011年日本放送協会
放送文化賞受賞。
ベストセラー「がんばらない」をはじめ、「なさけないけどあきらめ
ない」「ウェットな資本主義」「アハメドくんのいのちのリレー」
「希望」(東京書籍) など著書多数。
現在、諏訪中央病院名誉院長。

(むらかみ のぶお)
1953年、京都生まれ。
元NHKエグゼクティブアナウンサー。
2001年から11年に渡り、『ラジオビタミン』や
『鎌田實いのちの対話』など、
NHKラジオの「声」として活躍。
現在は、全国を講演で回り「嬉しい言葉の種まき」を
しながら、文化放送『日曜はがんばらない』
月刊『清流』連載対談などで、新たな境地を開いている。
各地で『ことば磨き塾』主宰。
http://murakaminobuo.com
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2015年3月31日
3月29日 第152回放送
長野県松本市の浅間温泉にある臨済宗妙心寺派の「神宮寺(じんぐうじ)」。高橋卓志
住職は鎌田さんの旧友ですが「住職は十職」というようにまさに八面六臂の活躍です。
ゲストの小室等さんと鎌田さんは住職を介して知遇を得、長年の親交を結んでいます。
日本のフォーク・ソング界の牽引者で重鎮の小室等さんは『花はどこへ行った』のキン
グストン・トリオやPP&M(ピーター・ポール&マリー)、ピート・シガーを聞いて
アメリカの公民権運動や反戦運動に傾倒し、そのムーブメントを日本に定着させようと
努めますが、本人いわく「当時は上から目線で発言していたのに気付き、発言を憚るよ
うになった」と。ただし、社会派のシンガーソングライターであることに変わりはなく
高橋住職や鎌田さんが立ち上げた「日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)」の理事に
就任。1992年に小室さんが初めてベラルーシ共和国を訪れた時の話を披露します。
鎌田さんの「5月は良い季節だから行きましょう!」を信じて訪れると現地は雪と氷雨
で春の気配は一向にない。小室さんと同行の写真家・本橋誠一さんが民家から調達した
自家製ウォッカや酢漬けキノコを前にして、汚染された食材を口にするのは躊躇したが
現地の人達はそれでも喰わざるをえない現実と日々向き合っていることを目の当たりに
して、皆で食べることにしたという。また、1995年に発生した「阪神淡路大震災」
を機に、被災障がい者の救援と復興支援を目的に、永六輔さんや小室等さんらが呼びか
けて発足した『ゆめ風基金』。「一番困っているところにすばやく届ける」をモットー
に全国51の障がい者団体と『ゆめ風ネットワーク』を結び緊急時に備え、東北の被災
障がい者にも役立った逸話を紹介。『ゆめ風基金20周年記念コンサート』を今夏開催
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2015年3月23日
3月22日 第151回放送
蛮行を繰り返す「『イスラム国』を名乗る過激派組織=IS(イスラミックステート)
が世界中を震撼させています。2004年にイラク支援を開始して以来、アラブの世界
で医療支援を続けている鎌田さんが「僕は聴診器でテロとたたかう」と声をあげました
そして緊急出版した「『イスラム国』よ」(河出書房新社)を村上さんと紹介します。
2004年8月イラクの隣国、ヨルダンでイラク人医師10人と支援会議を開いて以来
イラクの小児病院へ医薬品を送り、自ら難民キャンプを訪れて診察を続けて来ました。
医療支援をおこなうために10年間アラブ世界の現地を行き来してきた鎌田さんがいま
憂慮するのは過激派集団『イスラム国』が、異教徒を非人道的な手段で排除する行為。
そして、イスラム教の国の人々と『イスラム国』を同一視して、憎しみや反感をイスラ
ム世界全体に向けられてしまうこと。難民キャンプで日本人スタッフが「炊き出し」を
計画したら、食堂の主人が食材を用意し料理をふるまってくれた「喜捨」のエピソード
などを語ります。また、ヨルダンの難民キャンプに逃れてきたシリア人の父親が語った
話として、優秀な息子はアサド政権の非人道的な行為に反発して『イスラム国』に懐柔
されて参加したが無残な末路を迎えたそうです。凶暴な集団を倒すには武力ではなくて
人道支援が有効ではないかと提唱する鎌田さん。人間には、危険な暴力性がある一方で
人間らしい優しい心も持っているから、日本としては非軍事支援こそが最大の安全網で
相手国に行き、困っている人を助けたら感謝が生まれる。医療支援がその好例という。
■プレゼント■『「イスラム国」よ』(河出書房新社)サイン入りで5名に進呈します
ご希望の方は、住所・氏名を明記のうえご応募ください、27日(金)消印有効です。
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2015年3月16日
3月15日 第150回放送
第150回となる節目の今回は、ご好評をいただいている(?)と勝手に思いシリーズ
でお届けしている「ぼくたちの好きな日本人」。これまで坂本龍馬をはじめ9人を紹介
しましたが、鎌田さん村上さんそれぞれに「いま」を意識した人選で話を展開します。
鎌田さんの語り出しは「親鸞」。『歎異抄』の有名な「善人なおもて往生をとぐ、いは
んや悪人をや」の解釈。「悪人の方が往生しやすい、極楽に行ける」なんて「えっ?」
と誰でも感じます。でも、ここでいう「善人」は仏の修行を積んで自分で道を選べる人
一方、仏教修行とはおよそ無縁な「悪人=苦しんでいる人」こそが救われるべきだと。
今風にいえば、自分で自分をコントロールできずに間違った道に進んでしまう人です。
残虐非道を繰り返す「イスラム国」ですが、騙されて迷っている兵士がこれにあたると
する鎌田さんの解釈です。続いて「雨ニモマケズ風ニモマケズ」の宮沢賢治を取り上げ
お気に入りの「東二病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ」に因んで東日本大震災
の被災地に通い、中東の難民キャンプの医療施設で聴診器を手に支援する逸話を語る。
村上さんは、大正から昭和にかけて活躍した陶芸家で民芸運動家の河井寛次郎を紹介。
特別な美、豪華さの美ではなくて、暮らしの中にある手仕事の日用品に美を見いだした
河井は「ありふれた日常こそが、かけがえのないもの」という考え方です。共感をした
ジャーナリストの筑紫哲也は、色紙を頼まれる度に河井の言葉「手考足思」と記した。
更に、河井によって見出されたともいう板画家・棟方志功の逸話。初めて京都の河井邸
を訪れた際に「すごいぞ!青年!すごいぞ!青年!」と自分を褒め称えていたという。
河井は勿論、人目を気にせず、率直に自分の想いを表現出来る棟方志功も素敵な存在。
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2015年3月 9日
3月8日 第149回放送
「東日本大震災」からまもなく4年。被災地でリクエストの多い歌の中にクミコさんの
『広い河の岸辺』があります。原曲はスコットランド民謡『The Water Is
Wide』ですが、訳詞をしたケーナ奏者の八木倫明さんは震災直後から被災地を訪ね
演奏を続けています。八木さんが被災地で見聞したことや運命的な出会いを伺います。
まずは八木倫明さんのプロフィール。1958年山形県で生まれ、中学時代に吹奏楽を
始め、早稲田大学卒業後は「日本フィルハーモニー交響楽団」で企画制作や広報宣伝を
担当。大学時代に南米の民族楽器ケーナと出会い、働きながら演奏を続けていましたが
52歳で演奏家として独立。不安定な生活故に図らずも妻子と離れることになります。
『The Water Is Wide』は350年ほど前から伝わるスコットランド
民謡ですが、60年代に米国のフォーク歌手ピート・シガーやボブ・ディラン等が唄い
世界的に知られることになりました。八木さん自身この歌の楽譜を初めて目にしたのは
2006年。シンプルだが何か説得力を秘めた旋律に心惹かれたので温めていました。
2010年の元旦に、訳詞は完成。詩心のないのに、詩人の魂が舞い降りてきたように
5分で完成したのは「離婚」という自分の置かれている状況に歌詞が一致したからで、
家庭人としては沈む方の道、音楽家としては泳ぐ方の道を選んだ自身に重なりました。
また、被災地ではお馴染みの曲と共に『広い河の岸辺』も披露。未曾有の被害にあって
見えない向こう岸に向かって小舟を漕ぎ出す想いに、重なる想いがあり「ありがとう」
の言葉と共に涙する方々の声が忘れられないといいます。沈み方も泳ぎ方も知らないで
広い河の岸辺に立ち尽くし、それでもかすかな希望を託す人にそっと寄り添う歌です。
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2015年3月 2日
3月1日 第148回放送
太平洋戦争が終った1945年(昭和20年)から70年です。終戦の年の3月10日
米軍爆撃機による「東京大空襲」で、罹災者は100万人を超え、一晩で推定10万人
の尊い命が失われました。「戦争の惨禍を再び繰り返すまじ!」の決意で活動を続ける
エッセイストであり、落語家一門を取り仕切る"おかみさん"海老名香葉子さんです。
昭和20年3月10日の「東京大空襲」を疎開先の沼津の山から見た当時小学5年生の
香葉子さんは、「青白く見えた東京の空」がいまでも瞼に焼き付いているといいます。
両親と兄弟4人を亡くし、唯一生き残った3番目の兄・喜三郎さんと会えたのは6日後
で、壊滅した惨状を伝え聞いた名香葉子さんは、一晩中抱き合って泣き明かしたとか。
実家の家業は、代々続く釣竿職人(竿師)で初代の曽祖父は「パリ万博」で最高賞を受
賞し、その名人芸を受け継いだ祖父や父の仕事ぶりを見て育ちました。父・音吉さんの
竿は、劇作家や歌舞伎俳優など著名人のファンも多く、匠の技が断たれたことを惜しむ
声が多かったそうです。疎開先の香葉子さんに届いた父からの手紙に「淋しくなったら
東京の空に向かって、父ちゃん、父ちゃん、父ちゃんと三回叫んでみなさい!」とあり
70年経った現在でも香葉子さんは、淋しくなったり難題に直面すると唱えています。
平和の尊さを伝えるエッセイや絵本を書き、講演を続けている海老名香葉子さんですが
寄付を募り私財を投じて、2005年に東京・上野公園の一角に慰霊碑『哀しみの東京
大空襲』と平和の母子像『時忘れじの塔』を建て、毎年3月9日に『慰霊のつどい』を
実施し、翌10日は子や孫と共に空襲の跡地周辺を歩いて「東京大空襲」の体験を伝え
ていますが「この活動を続けるためにも百歳までは生きたい」と話す香葉子さんです。
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