アナ歴40年!野村邦丸が様々なエピソードを語る連載企画㊳

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【野村邦丸 ワタシの履歴書 ~アナウンサー歴40年記念特別連載企画~】

『第38回 リスナーさん500人と、堂々の浜松町入り!』

文化放送が四谷から浜松町へとお引越し、
本放送がスタートする当日の7月24日。

やるマンが本放送の第一号ということは決まっていて、
その直前の担当となった私は、リスナーの皆様を引き連れて、
四谷から浜松町へと大行進を行うことになりました。

四谷名物、わかばの「たい焼き」を大量に買い込み、
新宿通りを一直線、まずは半蔵門のTOKYO FMへとご挨拶に立ち寄ります。

局舎前からの中継には、TFMの村田睦・古賀涼子、
お二方の美女アナウンサーもご登場くださって、感謝感激。

当時の記録によれば、差し入れたたい焼きは、何と250匹だったそうで、
驚いてしまいますね。

TOKYO FMでは「役員、社員、警備担当、その他」関係者一同で
おいしく召し上がってくださったそうです。
ホントよかったなあ。

さて、続いての行先は、ラテ欄でいえば右隣の有楽町・ニッポン放送。
ただ、この時点で、当初200人ほどだったリスナーさんは、
およそ500人にまで膨れ上がっておりました。

半蔵門とは違って繁華街のど真ん中ですから、
全員を引き連れて行くわけには参りません。

先頭の100人だけお付き合い頂くことにして、
残りの皆様は日比谷公園で待機ということになりました。

ニッポン放送では、玄関前で、ウエちゃん、上柳昌彦アナウンサーが
なぜか白衣を着て聴診器を首から下げて出迎えてくれて
(この意味のないコスプレにはなんと6,000円もかかったとか…)。

「歓迎 文化放送様御一行」という大きな看板を掲げ、
もちろん番組にも出てくれました。

これだけじゃないんだ、日比谷公園にまだ400人もいるって話をしたら、
ウエちゃんも感激してましたね。

「ラジオリスナーのパワーは凄いということを再認識した」って
何かの雑誌に書いてたのを、後から読みましたね。

さて、有楽町まで来れば、浜松町はもう目の前です。
そこからは時間調整しながらゆっく~り歩いて、
12時半くらいだったかなあ、現・文化放送1階の
「サテライトプラス」に着きました。

当時の佐藤社長が出てきてご挨拶、セレモニーがあって、
いよいよ新社屋からの本放送第一号、
「吉田照美のやる気MANMAN」が始まります。

照美さん、どんなこと言うのかな…と、耳をそばだてていましたら、
「聞こえてますか?」

第一声はなんと、小俣雅子さん…! 続いて、
「なんでお前が喋るんだよ!」と、照美さんの声が聞こえてきて、
いやー、面白かった。

本格的に引っ越しが終わって、翌日からはすべて浜松町からの
放送となったわけですが、人間って、なかなか慣れないもので…。

惰性で四谷の旧局舎に行っちゃう社員やゲストの方々が、
当時はホント多かったんです。

その中でも最たるものが、我が番組のイカ山ゲソ助プロデューサーでして。
何度も何度も遅刻してきて「また四谷に行ってしまいました」の
セリフを何度聞いたことか。

普通は引っ越し後すぐは緊張するから、
しばらくしてから四谷に行ったなら分かるのですが、
イカ山君は2日目から四谷に行ってましたね、確か。

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野村邦丸:1957年1月17日生まれ。川崎生まれ、
日大明誠高校・日大法学部新聞学科を経て
1981年茨城放送入社。
フリーを経て1991年文化放送入社。2017年定年退職、
再びフリーとなる。
「くにまるジャパン極」パーソナリティ。
家族・高校野球・シカゴ(ロックバンド)、
そして酒と肴をこよなく愛する。
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