「爆笑問題が女子ウケしなかったワケは…」30年お笑いライブを続けるリーダー・渡辺正行が見た若かりしお笑い大スター秘話

「爆笑問題が女子ウケしなかったワケは…」30年お笑いライブを続けるリーダー・渡辺正行が見た若かりしお笑い大スター秘話

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「アニキ!」「待たせたな!」で一世を風靡したコント赤信号のリーダー・渡辺正行さんが3月7日の「くにまるジャパン極」(文化放送)に登場。1986年から渋谷のライブハウス「ラ・ママ」で主催している「新人コント大会」で見てきた、若かりしお笑いスターのエピソードを伺いました。

渡辺「今はいろんなお笑いライブがあるんですが、昔は若いお客さんの前でネタをやるライブはなかったんです。それで30歳ぐらいのとき、若い芸人から「お笑いを教えてくだい」って言われまして…。でも人にお笑いを教える人間ではないので、そういう「場」を作ろうと、「ラ・ママ」を始めたんです。誰が出てもいいというルールでやっていたら若いお客さんが入るようになり、若い芸人が若いお客さんと同じ感覚でネタを試せる場所になりました。するとウンナンやダチョウやピンクの電話とか、芸人がいっぱい出るようになっていったんです。」

邦丸「私ね、ラ・ママには90年代に5~6回行っているんです。そこで若かりし頃の爆笑問題を見たんですが、正直言ってその時は「人気が出ないだろう」と思っていました。ネタが過激だし、出待ちをしている女の子にも人気がなかったんですよ。」

渡辺「ちょうど凹んでいる時期だったんじゃないですか? 爆問は1回テレビにパッと出て、なんだかんだで低迷した時期があるんです。その時は他のライブに出られなかったんですが、うちは誰が出てもいいというルールだったので、ブラックなネタやシモネタとか、テレビでできないようなネタをガンガンやってたんです。俺はそれで全然構わないと、ステージに立つ感覚を覚えておかないと腐っちゃうから、どんどんやっておきなって言っていました。ただ、あの頃は服装が汚かった。(笑)ビジュアルにあまりこだわっていなかったところが、女子に人気がなかったのかもしれませんね。」

邦丸「あとウッチャンナンチャンも大ブレイクの前に伸び悩んでいた時期があったんですって?」

渡辺「そうですね。当時のコントは大体ストーリー性のある6分尺ぐらいのネタが多かったんですが、ライブではジャドーズというお笑いもやる3人組のバンドが、ネタとネタとのブリッジにモノマネを入れたり学生の宴会芸みたいなことをポンポンやったり、新しい発想で面白かったんですよ。ウンナンはこれを見て、ショートバージョンのお笑い感覚を身につけ、「ショートコント」を始めたんです。 最初に「ショートコントなになに」ってタイトルを言ってから短いネタをやって、6分尺の中に5~6本ネタを入れる。あのスタイルを作り出したのはウンナンなんです。」

邦丸「ナベさんはライブで兄貴分みたいな感じだったんですか。」

渡辺「僕は、別に芸人を育てているわけじゃなくて、お客さんと一緒に見て面白いな~とか滑ったな~とか、一緒に体感しているぐらい。終わってからアドバイスをしたり、ライブ前に5~60組中から10組ぐらいを選ぶオーディションがあるんですが、そういうときにアドバイスをしていましたね。」

邦丸「ライブの初期はみんなで飲み会をしていたのに、なくなったそうですね?」

渡辺「それは何十人も連れて〇〇ですからね。」(笑)

ライブの爆笑エピソードが気になる方はradikoのタイムフリー機能でご確認下さい。

「くにまるジャパン極」は平日朝9~13時、文化放送(AM1134kHz、FM91.6MHz、radiko)で放送中。radikoのタイムフリー機能では、1週間後まで聴取できます。

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