6年という時間

2011年3月11日、東日本大震災発生。
マグニチュード 9.0、最大震度7、そして15メートルを超える巨大津波が各地を襲い、
東京電力福島第一原発では水素爆発が発生、10万人を超える住人が
避難を余儀なくされた。岩手、宮城、福島各県を中心とした被害は死者15,893人、
行方不明者2,553人(警察庁調べ<3月10日現在>)に上る文字通り戦後最悪の自然災害だ。
また、避難中の体調悪化などが原因の震災関連死は2016年9月末現在、
全国で3523人で前年比116人も増加している。
これは、まだ震災被害は収束していないことを裏付ける辛い数字だろう。
6年という月日は長い。
震災発生時に福島県立双葉高校2年生だった渡辺郁也君は去年4月、晴れて
社会人となった。地元のテレビ局の福島中央テレビに入社し、報道記者として奮戦中だ。
渡辺君は福島第一原発の地元~大熊町出身で震災以降、家族ともども避難生活を
余儀なくされてきた。
文化放送は震災直後から渡辺君を度々取材している。
震災直後には震災の苦難を乗り越え、夏の甲子園の予選に臨む双葉高校野球部員の
ひとりとして、そして卒業後は故郷を離れ、都内の大学に進学しながら
自分の進路を模索する大学生として、様々なインタビューに答えてもらった。

その渡辺郁也君が3月7日(火)日本テレビの午前中の生放送PON!に
系列局の記者として出演をしていた。
テーマは、「甲子園に3回の出場を誇る県立双葉高校最後の夏」
自身も双葉高校野球部OBとして最後の試合を取材し、原発事故に翻弄された
母校の無念を伝えた。福島第1原発からわずか3.5キロに立地する双葉高校は
今年3月に「休校」となる。
テレビ画面で久し振りに見る渡辺君はややふっくらした感じだったが、顔つきは
随分大人っぽくなっていた。いろいろな報道現場で厳しく揉まれているのだろう。
甚大な被害で時間が止まったままの被災地も多い。被災地を取材し、
「復興」を基準に考えると、どうしてこんなに時間がゆっくり流れるのだろう?
と感じることがどんなに多いことか。
しかし、時間は流れている。震災から6年。あの時、まだ幼さの残る表情で
インタビューに答えてくれた渡辺君は渡辺記者となり、震災と原発事故の現状~
「被災地の真実」を伝える。バトンはしっかりと繋がっているんだ、と思う。
文化放送報道スポーツセンター 部長 関根英生

2017年2月21日 『東日本大震災から6年 記憶を未来へ』

3月11日で、東日本大震災から6年となります。
東日本大震災のあと、岩手、宮城、福島県では
合わせて26局の臨時災害放送局が立ち上がりました。
安否確認情報や、生活情報を被災者自身らが足で広い
極限の中で放送を続けてきました。
~~
しかし臨時災害放送局は6年の月日が経つうち
その役目をおえたり、経済的、マンパワー的な問題で閉局したり
一般のコミュニティーFM,いわゆる商業放送に切り替えるなどして消えていき
現在は6局ほどになっています。
そのうちの1局が「りんごラジオ」です。
20170215ringominnna.jpg

宮城県亘理郡山元町。ここでは636人が津波の犠牲になりました。
何もかもが流された沿岸部は6年がたとうとする今、大規模な農地としての開発が進み、
内陸部に移設された常磐線の駅の周辺には見違えるような復興団地が開発されています。
~~
しかし被災当時、山元町は完全に外部の情報を遮断され
町内の情報も共有できない事態に陥りました。
キー局もこの町をほとんど取材しなかったため
町の人々は自分たちのおかれた状況がつかめません。
被災者にとって一番大事なのは水や食料、医療関係の情報だったのにです。
~~
そんなとき立ち上がったのがこの山元町で定年後を過ごそうとしていた
東北放送の元アナウンサー高橋厚さん(74 歳)でした。
「山元町から発信する山元町のための放送局」が必要だと確信し、奔走した高橋さんは、
2011年3月21日午前11時に「臨時災害放送局」として「りんごラジオ」を開局したのです。
~~
番組は全て自分たちで制作、多忙な日々が続きました。
2014年に高橋さんは脳内出血で倒れ、復帰も危ぶまれました。
病を乗り越えて現在もマイクの前にいます。
存続問題などを抱えながらも、6年たつ今、町に必要な情報を模索しながら
放送を続けています。
~~
文化放送でも震災後にその奮闘ぶりを取材しましたが
去年から今年はじめにかけて再び、りんごラジオを訪ね
取材しました。
~~
実はこの「りんごラジオ」
過去に一度、小説に登場したことがあります。
この小説は「希望の地図」。
作者は「流星ワゴン」などの作品で知られる直木賞作家の重松清さん。
~~
震災の翌年にりんごラジオなどを取材した重松清さんは
その後「希望の地図 3・11から始まる物語」という小説の形を借りたルポルタージュを執筆したのです。
そこで今回は、
重松清さんと共に山元町を訪れて取材しました。
~~
6年が過ぎた被災地に立った重松さんがどんな言葉で変わりゆく町を語り、
りんごラジオをはじめとする町の人々の想いを受け止めるのか。
ぜひ、放送をお聞きいただきたいと思います。

20170215shigematusan - コピー.jpg

取材の際、「りんごラジオ」に出演した重松清さんと
報道スポーツセンター関根英生部長
20170215atushi.jpg
番組を進行する高橋厚さんと真理子さんご夫妻
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このほか、今年の3月11日は生放送で
石森が震災発生依頼取材してきた被災者のかたがたに
リアルタイムでお話を伺います。詳しくは以下をご覧ください。
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『文化放送報道スペシャル 東日本大震災から6年 記憶を未来へ』 
3月11日(土) 午後1時00分~2時55分
パーソナリティ 石森則和(文化放送報道記者)、小川真由美(フリーアナウンサー)
ゲスト     普天間かおり(歌手)
番組内(1時20分頃)
『シリーズ被災地の真実 希望の声をつなげて
~作家重松清さんが訪ねる被災地山元町とりんごラジオの6年』
出演  重松清(直木賞作家)高橋厚、真理子夫妻(山元町臨時災害局「りんごラジオ」)

2017年2月15日 黄色いハンカチ

東日本大震災から間もなく6年、また3月11日がやって来ます。
文化放送では3月11日(土) の13:00~15:00、2時間特番として
「文化放送報道スペシャル 東日本大震災から6年 記憶を未来へ」を放送します。
今回は、作家の重松清さんが宮城県の被災地・山元町を訪れ、
町の臨時災害FM局~「りんごラジオ」を震災から6年振りに訪問しました。
2時間の特番中、メイインパートとなる1時間がこの重松さんパートになります。
重松さん自身が足を運び、目で見た被災地の現実と5感で感じた
6年という時間の重みを伝え話す「特番in特番」をお聴き頂きます。
是非、3月11日(土)はAM1134、FM91.6にダイヤルを合わせて下さい。
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山元町①.JPG山元町②.JPG
写真は津波被害が最も大きかったエリアで
重松さんとともに訪れた山元町の中浜小学校(廃校)に隣接して建てられた
慰霊碑です。
慰霊碑が光沢のある「みかげ石」のため、正面に奉じられ、風にたなびく
黄色いハンカチが映っています。
ハンカチの一枚一枚には慰霊のことばや励ましのことばが綴られていました。

2017年2月14日 12年前のバレンタインデー

2005年2月14日に東京・府中市で起きた事件を覚えていますか?


現場は当時の「多摩中央信用金庫」の駐車場。
営業課長だった後藤博樹さん(当時39歳)が、帰宅しようとしたところ、
男に包丁で腹などを刺されて殺害されました。


未解決のまま事件から12年になるのを前に、先週、母親のリウさんが
報道各社の取材に応じて下さいました。


『本当に大事な、かけがえのない息子でした』


リウさんは、真実の情報を提供して欲しいと、
現場の遺留品である腕時計の写真を掲げながら訴えました。


fuchushinkin.JPG


                              (写真:警視庁提供)


犯人の男が後藤さんともみ合った際に落とした「GUESS(ゲス)」社製の腕時計。
1995年モデルで、蛇腹式のバンドに付け替えられているのが大きな特徴です。
電池も3回ほど交換されているとのこと。


警視庁によりますと、男は20~40歳くらいで、身長は170~180センチほど。
やせ形で血液型はO型。 京王線府中駅の方向に走って逃走したそうです。


リウさんは、
『人には命の限りがあり、時間に限りがある。
 できるうちに、できることをやりたい』と、
自ら街頭に立ち、情報提供を呼びかけ続けています。


情報は、府中警察署の捜査本部で受け付けていて、
電話番号は、042ー360ー0110 です。

文化放送報道制作部では「ニュースパレード」を中心に、日々のニュースをお伝えしています。

その一方で、私たちの周りには普段のニュースでは伝えきれないような話が溢れています。

それをお伝えする場所が、このリニューアルしたブログ。
部員それぞれがゆるやかに伝えていきます。
ニュースの「おまけ」として楽しんで頂ければ幸いです。
よろしくお付き合いください。

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