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南三陸町志津川中学校の校庭に設置された仮設団地。
そこにいくための階段の途中で、息が切れました。
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階段の上のプレハブに住んでいるのは、
ここが避難所だった時代から取材をしている80代のご夫婦です。
階段の下には海鮮丼で全国的に有名になった仮設商店街がありますが
老夫婦がこの階段を下りることはありません。
日常の食事にはならないからです。
頼みは別の車道から登ってくる移動販売車です。
おじいさんは言いました。
やっと来年の夏、災害公営住宅に引っ越せるんだ。
僕は聞き返しました。「え?来年?」
被災地では復興事業の遅れから、
住民の高台や新たな住居への引っ越しに1年以上の「格差」が生まれているのです。
それはそのまま「経済格差」にもつながります。
南三陸を訪れた人は、この風景を見て、復興への工事が進んでいると思うことでしょう。
かさ上げ工事です。
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もしかしたら、この巨大なピラミッドの上に町が造られるとお思いかもしれません。
でも、これは、山を切り崩した土を一時的に置いているだけ。整地はもっと先の話です。
東京オリンピックをはじめ様々な理由で工事にかかわる人材や資材は不足し、
それらにかかるお金も高騰しています。
移転を待ちきれない人々は、故郷をあとにし、町の外に家を構える人々もいます。
人口の流出は深刻です。
父親と仕事を失いながらも残ることを決めた被災者の男性は、このピラミッドを見てこう言いました。
「私の思っていた復興とは違いました。海も山も変わってしまった。
やむなく町を離れた皆さんは、この風景を見て、いつか故郷に帰りたいと思うでしょうか」
手分けをして取材をしたノリカズDが指摘しなければ、
僕はあれほど保存の可否をめぐって話題になった「防災庁舎」を見失うところでした。
ピラミッドの隙間で、まるで忘れられたかのように放置されています。
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それでも希望はありました。
店を継いだ若者、放課後に集って未来を語り合う高校生
そして彼らを頼もしく思う大人たち。
未来への階段を、一歩一歩上り続けています。
夫をあの防災庁舎で亡くし、この春、子供が神奈川の大学に入学が決まった母親は
「子どもは、いつかこの町に帰りたいと言うけれど、
大学でいろんな人と出会い、自分の道を決めればいい」と語りました。
そして目を細めながら、
「この5年間は大人にとってはそれほどの変化がなかったかもしれないけれど
子供らにとっては驚くほど成長した5年間でした」とも。
お母さんは、このあとどうするのですか?と聞くと
笑ってこう答えてくれました。
私はずっとここにいます。
子供たちを待っています。
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