ドリアン助川、自身の色覚多様性や就職難、バンド活動後も苦悩した時代を語る

ドリアン助川、自身の色覚多様性や就職難、バンド活動後も苦悩した時代を語る

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お笑い芸人の大竹まことが同世代や全世代の男女に向けてお送りしているラジオ番組『大竹まことゴールデンラジオ』(文化放送・毎週月〜金曜11:30~15:00)。7月27日の放送は集英社インターナショナルから発売中の『動物哲学物語 ナイス実存』の著者である明治学院大学国際学部教授、歌手で作家のドリアン助川氏を招き、月曜パートナーの阿佐ヶ谷姉妹とともに話を聞いた。

大竹「ええと、ドリアンさんは、叫ぶ詩人の会」

ドリアン「というバンドをやってたんですけども、その前に放送作家やっておりまして。文化放送にどれだけお世話になったかわかんないです」

阿佐ヶ谷姉妹・美穂「あら、そうなの。文化放送に?」

ドリアン「文化放送こそ、わが青春ですね」

阿佐ヶ谷姉妹・江里子「そんなに?」

大竹「どんな仕事で?」

ドリアン「いやもうとにかくね、開局記念特番、6年連続で書きましたよ。だから本当になんか住んでるような感じでした。20代後半とか」

大竹「四ツ谷にあったころ」

ドリアン「四ツ谷にあったころです。それで、ベルリンの壁が崩壊したってんで「じゃあ、行ってきて」って取材させてもらったり。あとはね、アントニオ猪木さんの番組を書いていて、猪木さんがカンボジア視察――PKOの――あれ行く時に、「形式だけの調査じゃなくて地雷源を車で走んなきゃダメだよ」つって「本当にその通りですね」「いや、お前と一緒に行こう」「えっ?」ってことで一緒にカンボジア行ったり。そのカンボジア体験とかを歌ってたらデビューってことになっちゃったんですよ」

大竹・江里子・美穂「おお~」

ドリアン「ですから、文化放送に支えていただいた。もう、太田英明さんに支えていただいた」

大竹「その頃、太田さんと」

ドリアン「もう、本当です。夜の、彼のワイド書いてましたので」

大竹「あ、そうですか」

ドリアン「そうですよ。午前1時から「反省会」って言っても酒飲むだけですけど。本当に支えてもらいました、文化放送には」

大竹「いやいや、まあ、そういうこともあったと思うんですけど。若者の人生相談で大人気になってましたよね」

ドリアン「ある局の深夜放送をやることになりまして、あれの2部をやる予定だったんですよ、3時からの。ところが、鳴り物入りで始まった、若い子たちと話すっていう番組のDJの方が辞められることになって、急遽そっちに行ってくれっていうことで、全然、違う人生がそこから展開することになっちゃったんです」

大竹「何時からだったんですか?」

ドリアン「ワタシは土曜の11時半から午前1時までやってたんですけど、そうすると、反省会とかミーティング終わるのが午前2時過ぎですよね。それから「お疲れさん会」があると午前3時からですよね。1時間飲むともう日が昇っている」

大竹「でも、その番組は若者たちに大人気」

ドリアン「もうね、20、30年ぐらい前ですね」

大竹「で、あまりたくさん人気が出ちゃったんで、ちょっとご本人も何か考えちゃったとか」

ドリアン「ああ、それはね、人生相談の人になっちゃった。バンドをやってて新譜が出ますと、全国のラジオ局とか回りますよね。そうすると、どこの局でも「人生相談のプロの方、お呼びしました」って感じで。で、沖縄に行ったときに、沖縄で事件があった場所を取材してたら、ちょっと怖そうな人が出てきたんですよ。凄んだ声で「ドリアン助川さんですね」っていうから、やっぱりちょっと喧嘩になるんだなと思って、こっちもちょっと力を入れて「そうですけど」って言ったら「悩みがあるんですけど」って…」

スタジオ(笑)

ドリアン「まあ別にそれはそれで、今思えば大変よい体験をしたんですけど、その頃はワタシも他に生き方があるんじゃないかと深く悩んだ。逆に、誰かに悩みを聞いてほしかった時代です」

大竹「そうですか。でも普通だったら、この道でそこまで知られていたら大家になる道もあったと思うんですけども、嫌になっちゃった」

ドリアン「なんですかね。他にも何か可能性があるんじゃないかみたいなことを信じて。で、1回日本を離れたんですね。3年間ニューヨークにいまして。ちょうどあれが起きた時です。同時多発テロ。あれを見てましたね。ニューヨークで」

大竹「うわぁ。そうすると、ずいぶん心境に変化があった」

ドリアン「本当にね、世界のパンドラの箱が開いちゃったなっていう感覚で。自分、何もできないっていう、そういうジレンマもありますし。その頃からですね、本格的に文章を書くようになったのは」

大竹「それまでは、あんまり文章はお書きになってなかった?」

ドリアン「本も何冊か書いてましたけども、まさか自分のメインの仕事になるとは思ってなかった頃です」

大竹「資料によりますと、小学校のころ、紫陽花の貼り絵の課題で金と銀の色紙を使って作ったら、ボクだけ先生に褒められなかった。こんな色の紫陽花はないですねと書き込まれた。子どもの頃に受けた傷って覚えているもんだよね(笑)」

ドリアン「そうですね、ワタシ、色弱ですので。今はあまり教育現場では使わない言葉で、色覚の多様性っていうんですけど。当時は、一種の障害と言いますか、ハンデとして見られた時代で、これなんで覚えてるかっていうと、親の参観日に全員の貼り絵が貼り出されたんですよ。ワタシ以外全部花丸がついてて、ワタシだけ二重丸で先生の書き込みが貼り絵の上に、せっかくの作品の上に書かれちゃってたっていうので、すごいそれはショックでしたんですけども、結局、就職活動でも、当時は――1980年代までは――出版社、テレビ局、ものを作る会社っていうのは全部、色覚異常者、受験不可という」

江里子・美穂「ええ~!?」

大竹「ああ、そうなんですか」

ドリアン「ワタシたち、受けられなかったんですよ。ハンデになるところじゃなくて就活できないんですよ。商社とか一部のメーカーは受けられたんですけども。う~ん、悩んじゃいましたね。缶ビール買ってきて、一晩飲んで。まだ打たれ弱いじゃないですか、若い時って。涙出てくるし。でも、もう夜明けとともに一人で生きていこうと思って、就活は断念して。それで大学卒業した後、夜のお仕事をしながら、塾の先生しながら、気づいたら文化放送にお世話になっていた。もう、文化放送がなかったらどうなっていただろうと。本当に」

大竹「いや、多分、他に何かありますよ。大丈夫だったと思いますよ」

ドリアン「本当に文化放送に支えてもらってた」

大竹「いや、でも当時の就職できなさ加減っていうのは、若いドリアンさんにとってはかなりショックなできごと」

ドリアン「そうなんです。なんかね、排除されちゃったっていう思いがあって。その目のことでね。鉄の門がバーンと閉まっちゃったような感覚があって。しょうがないから、ドラマの脚本とか書いて、つてを頼って、例えばテレビ局の誰々さんに読んでもらいに行くと。さすがに、そういう時は革靴履いたりするわけですよ。ところがそんな普段履いてないもん履くと、もう青山通り、靴擦れで血だらけになって帰ってくる。歩けなくなっちゃって、座り込んじゃったりして。なんか情けない感じの20代でした」

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