第5スタジオは礼拝堂 第17章「警察官と一緒にNHKに出勤」

第5スタジオは礼拝堂 第17章「警察官と一緒にNHKに出勤」

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「プロローグ」はこちら

第1章:「それはチマッティ神父の買い物から始まった」はこちら

第2章:「マルチェリーノ、憧れの日本へ」はこちら

第3章:「コンテ・ヴェルデ号に乗って東洋へ」はこちら

第4章:「暴風雨の中を上海、そして日本へ」はこちら

第5章:「ひと月の旅の末、ついに神戸に着く」

第6章:「帝都の玄関口、東京駅に救世主が現れた」

第7章:「東京・三河島で迎えた夜」

第8章:「今すぐイタリアに帰りなさい」

第9章:「今すぐ教会を出ていきなさい」

第10章:「大森での新生活がスタートした」

第11章:「初めての信徒」

第12章:「紙の町で、神の教えを広めることに」

第13章:「戦争の足音が近づいてきた」

第14章:「ベロテロ、ニューヨークに向かう」

第15章:「印刷の責任者に」

第16章:「イタリアの政変で苦境に」

第17章:警察官と一緒にNHKに出勤

 19439月に、イタリアが降伏したことは、まだ内密だったはずなのに口走ってしまったアイゼンハワー将軍のせいで、世界に知られてしまった。これにより日本に暮らすイタリア人たちは「裏切り者」というレッテルを張られ、生活も暗転した。早速、地元の王子警察の署長と警官らが威圧的な面持ちで教会にやってきた。署長はマルチェリーノたちに、これからは警官の同伴がなければ外出することができないことや、外部の訪問者を迎えることや電話をかけることも禁止すると告げた。さらに生活の糧でもある幼稚園や教会も閉鎖することまでも一方的に通告してきたのだ。それだけではない、これからは警官ひとりが24時間、修道院の前に見張りとして立つという。昨日まで仲間だったはずの日本の当局による厳しい仕打ちに、マルチェリーノはしばし茫然とした。戦争とはこういうものか。一方で、「手のひらを返したのは日本ではなく、イタリアではないのか」とも考えた。いずれにせよ、この状況を誰かのせいにしてみたところで何ひとつ改善はしない。流れに身を任せるしかないのだ。

  それにしても警官が外出時についてくることほどわずらわしいことはなかった。マルチェリーノやパガニーニら3人は当時、東京の芝区(現在の港区)の愛宕にあったNHKで、翻訳などの仕事を引き受けていた。本局は1940年に内幸町に移ったが、愛宕の放送会館も引き続き使用されていた。外出の際には一人に対して一人の警官の見張りが付くのだが、いかんせん修道院の見張り役の警官は1人しかいない。結局、マルチェリーノら3人は、交代で出勤することを条件に外出を許された。東北・京浜線(現在の京浜東北線)の下十条駅から新橋駅まで電車で通勤するのだが、満員電車の中で、カソック姿のイタリア人の隣にぴったり警官が寄り添う姿は実に異様だった。外国人がスパイにしか見えないからだ。ついに、普段はおとなしいパガニーニが怒りをあらわに抗議した。「私は監獄に連れていかれる犯罪者ではないぞ!」 当局のお達しとは言え、警察側もこの善良なる神父たちがある日突然スパイに変身するとは考えていなかったし、そもそも電話も掛けられない状況でそのようなことが不可能であることもわかっている。そこで警察も穏便な対応に変えてくれた。「君たちの言い分はよくわかった。では、明日からは制服ではなく私服姿の警察官を同行させよう」

マルチェリーノたちが通っていたNHK愛宕放送局(東京都立図書館所蔵)

  こうして、マルチェリーノたちが電車の中で白い目で見られることは無くなった。しかし、修道院に帰ってくると、いつも不機嫌そうな顔をした警官が、拳銃を懐に忍ばせて立っている。自分たちを警護してくれているのならまだしも、自分たちを見張っているのだから心地悪さでたまらない気持ちになる。「監視」は朝も昼も、昨日も今日も続いた。一方で、当初は険しい顔していた警官たちも、見張り生活が毎日続くと緊張も緩んでくる。彼らと雑談を交わす回数が増えると、彼らの個性も見えてくる。威圧的な言葉を投げかけるものもいなくはないが、逆に「いつも、ごめんなさいね」とずいぶん申し訳なさそうにやって来る警官もいる。そうして思いのほか彼らとは仲良くなっていった。戦後、自分の娘に洗礼を受けさせることになった警官もいたと言う。戦後再開された幼稚園に自分の息子を通わせることになった刑事もいた。終戦直後の東京市民が飢餓状態にあった頃には、マルチェリーノたちも空腹にあえいでいることを知り、密かにパンを差し入れてくれた警官の妻もいた。

 もちろんそれらのエピソードはいずれも戦後のことであって、戦時中はそう甘くない。ある日、警官がマルチェリーノたちに言った。「君たちの国は、我々やドイツを裏切ったのだ。つまり、それは君たちイタリア人が弱すぎたからだ」警官は言葉を続ける。「つまり、こういう事だ。イタリアには神父や修道女が多すぎるんだよ。君たちは結婚しないのだろ?もし君たちが普通に結婚して子供を産んでいたならば、もっと多くの兵隊を戦地に送ることができたのだ。その点、わが大日本帝国は….」得意げに語るこの警官の顔を眺めながら、マルチェリーノは笑いをこらえた。ガダルカナル島の戦いやミッドウェー海戦の敗北から1年以上が経っていた。内地に戦地の状況は詳しく伝えられていなかったものの、モノ不足も激しくなり、この戦争がうまくいっていないことは肌感覚でわかる。特に外国人であるマルチェリーノは、冷静に日本の状況を見つめていた。そして早めに見切りをつけたイタリアは正しかったのではないだろうかとも考えた。しかし、それを軽々と口にすることは無かった。来日から10年、日本ではどのように立ち振る舞えば良いかを、マルチェリーノは良く心得ていた。

 ある日、王子警察署の森署長が、3人の私服警官を従えて王子の修道院に現れて、大きな声を出した。「全員、集まるように!」マルチェリーノたち全員が玄関付近に集められた。「これから家宅捜索を行う!全員動かないように」署長がそう告げると、警官たちは一斉に戸棚や十字架の裏やかまどの蓋の裏まで徹底的に調べ始めた。吊るされたれたカソックのポケットの中にも手を突っ込んで調べている。マルチェリーノは不愉快な気持ちを抑えながら、ただひたすらにこの時間が一刻も早く通り過ぎるのを待った。もちろん、何か怪しいものが出てくるはずも無い。そして土間で匍匐前進しながらの家宅捜索は、警官にとっても重労働だ。時間が経つにつれ、腰が痛いなどと愚痴も増えてくる。ポンポンと腰を叩きながらの緩慢な作業へと変わっていった。よく見るとあくびをするものもいるではないか。するとその時、ひとりの警官が、パガニーニの私物の入った小さな箱に目を止めた。警官がおもむろにその箱を開くと、中から出てきたは、おびただしい数の靴下や肌着やハンカチだ。警官は笑いながら言った。「仲間はみな物を持っていないのに、なぜあんただけが持ってるんだ? 少しはみんなに分けてあげなさいよ!」そして警官はパガニーニの着ているカソックのポケットにも手を突っ込んだ。すると、ポケットからはまるで打ち出の小づちのように、ハンカチやメモや新聞の切れ端や、何も入っていない煙草入れや飴玉などがどんどん出てくるではないか。森署長は思わず、「何だ、こりゃ。ガラクタばかりじゃないか。神父さんのポケットの中とは思えないよ。こりゃ参った」と大声で笑った。警官たちも釣られて人懐っこい笑顔で笑い始めた。マルチェリーノやポアノも、几帳面だと思っていたパガニーニの意外な姿に大笑いした。和やかな空気の中で、気が付くとパガニーニも照れ臭そうに笑った。署長は、「じゃあ、そろそろ帰ろうか。皆さん、お邪魔しました」と挨拶し、「では、これはお借りしよう」こう言って、帳簿類やその他の書類、さらに数冊の本などを手に取ると、私服警官に渡した。「では、これにて失礼。また連絡します」そう言って彼らは引き揚げていった。数日後、キエザ神父が呼び出され、書類について23の質問を受けたが、それはあくまでも形式的なもので、平穏無事に帰って来た。

  警官や刑事たちとは、このように心を通わせる機会もあったが、陸軍の憲兵隊たちは一筋縄ではいかなかった。最も質(たち)の悪い軍曹の男は、事前通告も上官の命令も無いのに、抜き打ちで修道院の中に入ってくることがあった。そして、修道院の中を隅から隅まで調べて回る。何か都合の悪いものを見つけて、マルチェリーノたちを抑留所に入れてやろうという野心に溢れていた。軍曹は、いつもマルチェリーノたちに対して横柄な態度を取り、挑発を仕掛けてくる。しかし、こうした挑発にマルチェリーノは、乗らず、言葉を選んで慎重に対応した。実際、他の修道会や宣教会の宣教師たちの中には、誘導尋問に引っかかって留置されるなどひどい目に遭っているものもいるとの情報も入っていたからだ。マルチェリーノは、何気な性分だが、一方で人の懐に入るのもうまい。憲兵隊の中にはエリート士官候補生もいて、彼らはマルチェリーノとのウイットに富んだ会話を楽しんだ。彼ら士官候補生たちは「この神父さんは、日本語もうまいし、たいしたものだね」と言いながら紳士的に去っていく。しかし例の軍曹は、まだあきらめきれずにキョロキョロと周りを見回していたが、結局何も見つけられず、舌打ちをして憲兵たちの背中を追いかけるように走り去っていった。マルチェリーノたちの目には、警官たちと憲兵たちは互いを疎ましく思っているように映った。彼らは互いに睨みあいながらすれ違うこともあった。

  ローマの景色(Davide CattiniによるPixabayからの画像 )

 突然のムッソリーニ失脚からバドリオ政権の誕生、そして連合国側への降伏。本国イタリアのめまぐるしい動きに、マルチェリーノたちは翻弄され続けた。そしてこの予期せぬ政局は、さらなる曲がり角を迎える。それはナチスのイタリア侵攻とムッソリーニの復活だった。

次回へ続く

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// 2022.04.28追加