元WBA世界ライトフライ級王者・具志堅用高さん
2020年10月23日(金) 極シアター
☆☆☆10月の毎週金曜日は【フライデースペシャル!「おでかけスタジオ」】☆☆☆
第4弾は渡嘉敷ボクシングジムから、元WBA世界ライトフライ級チャンピオンの具志堅用高さんをお迎えしてお届けしました。
第3幕には、渡嘉敷ボクシングジムの会長で、こちらも元WBA世界ライトフライ級チャンピオンの渡嘉敷勝男さんにもご出演いただき、世界チャンピオンおふたりによるトークバトルも繰り広げました。
きょうは具志堅用高さんの人生を振り返りつつ、人生を引きつける"人との出会い"や、"運"について伺いました。
プロ入り前の高校時代の夢はオリンピック出場だったという具志堅さん。そのままアマチュアでいたら1980年のモスクワ大会を目指していたことになるが、協栄ジム入り。協栄ジムの金平正紀会長の判断で、日本タイトル、東洋タイトルを飛ばして、デビュー2年目で世界戦に挑戦され、モスクワ五輪が開催された頃には12回目の防衛をしていたそうです。
それもこれも導いてくれる人との出会いと運があったからこそ。その後、防衛できたのはスパーリングパートナーを努めた渡嘉敷さんの存在も大きかったことでしょう。強運の持ち主である具志堅さんらしいエピソードです。
★☆★☆★本編はこちらからお聴きいただけます♪(放送後一週間以内)★☆★☆★
■具志堅用高 (@Real_Gushiken) - Twitter
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■渡嘉敷勝男&竹原慎二&畑山隆則公式チャンネル(You Tube)
■具志堅用高さんのプロフィール
1955年、沖縄県石垣市のお生まれです。
沖縄・那覇の興南高校入学後にボクシングを始め、3年でインターハイ優勝。アマ戦績65戦62勝3敗。
1974年に協栄ジムからプロデビューされ、左の強打者として、1976年10月に当時国内最速の9戦目でWBA世界ライトフライ級王座を獲得しました。
初防衛戦の後のインタビューで「ワンヤ、カンムリワシニナイン(自分はカンムリワシになりたい)」と語ったことから「カンムリワシ」の異名がつきました。
その後、13度防衛しましたが、地元・沖縄での14度目の防衛に失敗し、1981年8月に引退を発表。プロでの戦績は24戦23勝1敗、うち15KOでした。
引退後は、解説者として活躍する一方、タレントとしても人気を集め、2015年には国際ボクシング殿堂入りを果たされました。
1995年には日本人初のボクシング世界王者でもある白井義男さんと共同で「白井・具志堅スポーツジム」を開設し、ジムの会長として後進育成に力を入れてきましたが、ことし7月、四半世紀続いたジムを閉じ、これから第3、第4の人生を謳歌しようとしている具志堅用高さんです。
■渡嘉敷勝男さんのプロフィール
1960年、沖縄県沖縄市出身、兵庫県宝塚市育ち、今年7月、還暦をお迎えになりました。
1978年、プロデビューされ、1980年、全日本ライトフライ級新人王を獲得され、翌年、世界初挑戦でWBA世界ライトフライ級王座を獲得し、その後5回の防衛を果たされました。
1984年、現役を引退。プロで戦績は、25戦19勝4敗2分け、うち4KOという輝かしい成績でした。
現役引退後は、芸能界入りしてタレントとしての活動し始められ「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」、「たけし・逸見の平成教育委員会」などにレギュラー出演され「トカちゃん」の愛称で人気者となりました。
現在は、東京・中野区に「渡嘉敷ボクシングジム」を開設され、後進の育成に力を入れている渡嘉敷勝男さんです。
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邦丸さん、ミット打ち! ちょっち、へっぴり腰!? さすが部長!振り抜いています。