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7月25日 ゲスト:渡辺大五郎さん

テーマ:『涙は心の汗!戦後初の外国出身力士
      “元関脇・高見山”の辛抱と努力の相撲人生』

 
19才の時にで来日。
戦後初の外国出身力士“高見山”の四股名で
幕内通算出場(1430回)幕内連続出場(1231回)
幕内在位(97場所)で歴代一位の記録を打ち立てたほか
土俵の外でも多くのCMに出演して人気を博した渡辺大五郎さん。

 現役引退後は、外国出身力士として
 初めて親方になり
 横綱 曙、高見盛ら5人の関取を育て
 先月、日本相撲協会を
 停年退職されました。

元関脇 高見山、前 東関親方、ジェシーの愛称で親しまれた
渡辺大五郎さんに現役20年、親方25年の
波乱万丈の土俵人生を振り返っていただきました。
 
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アメフトから相撲へ

相撲を始めたきっかけはハワイでの高校時代に参加していた
アメリカン・フットボールの“強化策”としてすすめられたこと。


 当初は遊び半分の気持ちでしたが
 大会には、サトウキビや醤油、
 ラジオなどたくさんの賞品があり
 お母さんに喜んでもらおうと
 頑張ったそうです。


ちなみに、アメフトをしていた高校時代、
体重はすでに130キロあったのだとか。(現役時代は205kg)

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菅野詩朗アナウンサーが“親方”の現役時代を語る

渡辺大五郎さんがゲストということで、
スタジオには“親方”の現役時代を取材している
文化放送スポーツ部の菅野詩朗アナウンサーも登場。

“親方”の現役時代と今との違いで
何度も飛び出したキーワードが“今の稽古量の少なさ”。

また、菅野さんは当時の支度部屋のピリピリした雰囲気、
取材陣に対して話をしてくれない、という様子をご紹介。

菅野 「国民的アイドル力士といっていい人気力士でしたが
     支度部屋、朝稽古では“寄りつけない感じ”でした。
     ただ取り組もが終わるといつもの
     (親しみのある)表情に戻るんです」

弘兼「テレビを見ると“怖い感じ”がしましたよね。
     だから布団のCMではギャップがあって、
     ものすごい親しみを持ちました」

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今よみがえる あの熱戦

文化放送が所持している貴重な音源の中から
高見山関の名勝負の実況の模様をお聴きいただきました。

◆◇昭和48年秋場所◇◆ 輪島(内がけ)高見山

  菅野 「よく大熱戦を展開していた横綱輪島関は
       親方との一番では“立ち合いの圧力”を嫌がっていた…
       という話を聞いていました」


◆◇昭和55年秋場所◇◆ 高見山(小手投げ)貴ノ花

  大相撲史上に残る名勝負は、一度は貴ノ花に軍配が上がりましたが
  貴ノ花の髷が先に土俵についていたとして行事差し違いで高見山の勝ち

  菅野 「すごい投げの打ち合いで
      小手投げとすくい投げの打ち合いだったんです。
      貴ノ花は“股裂き”のよう(な体勢)になりながらも
      踏ん張って倒れないんです。
      だから親方が“小手(投げ)”で決めようと…
      大相撲ファンには忘れられない、
      “相撲といえばこの一番”と印象的です」

  弘兼「僕も聴いていて思い出しましたよ」

  渡辺 「貴ノ花は体は小さいけど足腰がすごかったです。
       がっぷり四つになると、ものすご重く感じるんです」

◆◇昭和59年5月場所千秋楽◇◆ 玉竜(突き落とし)高見山

  現役最後、1654回目の土俵。
  
数多くの熱戦を繰り広げた貴ノ花関に関して
「思い出がいっぱいある」と語る親方、
“昭和43年の札幌巡業”と“いつ・どこで”ということまで
はっきり覚えていまして、
当時、前頭筆頭の親方が、新十両になって初めて巡業に参加した
貴ノ花関との稽古で 十番のうち二番しか勝てなかったという
エピソードを紹介してくださいました。

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“涙”じゃない…これは“汗”です

悔しさの中で ついこぼれた涙を“汗”と言い張った
高見山関の有名な有名なエピソードについて
当時の様子を伺いました。

ある日の朝稽古。
見学のお客さんが大勢いた中での最後のぶつかり稽古で
兄弟子から「もう一番、もう一番」と20番以上も
稽古をつけられた高見山関の目からは悔し涙がこぼれました。

 「おいジェシー、泣いてるのか?」
 
渡辺 「お客さんもいるし本当のことは言えない。
    “汗です”と答えたら、その後 有名になりましたね」

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団塊ホームルーム

渡辺大五郎さんをお迎えしたこの日のレトロアイテムは…

“ジャルパック”1965年1月の新聞広告
 料金は“ハワイ9日”でなんと378,000円

 当時、大卒初任給が約2万円の時代。
 今の貨幣価値に換算すると“10倍”の約400万円!

弘兼「外国に行く時、みんなが餞別を渡してましたもんね」

映画『ハワイの夜』(1950年/昭和25年)のパネル
 戦後初めて海外ロケを敢行した映画で
 出演は鶴田浩二さん、岸恵子さん…(ほか)

町田 「日本の映画スタッフがハワイに行って
     ロケをするのは当時たいへんなことでした」

マウイの夕焼けがキレイ、ステーキが大きい、
レストランは暗く、火を照明代わりにしてムードたっぷり…など
ハワイトークで盛り上がるスタジオ、
『スパリゾートハワイアンズ』(旧 常磐ハワイアンセンター)の
話題になると、町田さんが『スパリゾートハワイアンズ』の
資料館の監修を手掛けている新事実が判明。

弘兼「いろんなことやってますね」

※この話題については町田忍さんのコラムも合わせてご覧ください。

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お送りした曲目

◇(BGM)ジェシー・ザ・スーパーマン / 
       高見山大五郎&S.P.S.シンガーズ
       (演奏)リッキー&1,960ポンド
 
ハワイアン・ウェディングソング(弘兼セレクション)

ここに幸あり / 大津美子

 高校時代、コーラス部に入っていた渡辺大五郎さんが
 4年生の時に歌った思い出の一曲。

南国の夜 / 日野てる子(弘兼セレクション)

荒野の七人

 映画(とりわけ西部劇)が大好きで、
 ジョン・ウェインのファンという渡辺大五郎さん。
 「西部劇は何でも好き」ということでしたがこの曲をセレクト。

2009年07月25日