639

9月5日は湯川れい子さん登場!※

「ドコモ団塊倶楽部」9月5日放送のゲストは
作詞家、翻訳家、コメンテーター、そして団塊世代には
“音楽評論家”という肩書きがシックリくる湯川れい子さん。

◇テーマは『あの頃、団塊の世代が貪り読んだ
         海外大物アーチストのインタビューは
           み~んな湯川れい子さんだった!』  

 
湯川れい子さんだけが知っている、世界のスーパースター達の
飛びきりのエピソードと意外な素顔に迫ります。

  ※文化放送と新潟放送をお聴きの方は生放送で、
   信越放送と山梨放送をお聴きの方は
   9月6日 日曜日の放送でお楽しみください

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◇メール・FAXのテーマ◇

< お気に入りの海外アーチスト >

 あなたが、来日コンサートに行ったり、サインを貰ったり、握手をしたり
 2ショット写真を撮らせてもらった海外アーチストは誰ですか?

  湯川れい子さんへの質問・メッセージ、番組の感想も大歓迎です。

メールのあて先は dankai@joqr.net

メッセージをお寄せいただいた方の中から抽選で5名様に
3千円分のミュージック・ギフトカードをプレゼントします。
必ずご連絡先をお書き添えください。たくさんのお便りをお待ちしています。

メッセージの受付は9月5日の生放送(文化放送、新潟放送)の
終了をもって締め切らせていただきました。

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◇放 送 内 容◇(予定)

「湯川れい子さんが愛した世界のスーパースターその1
  マイケル・ジャクソン」

 
 今年6月25日、急死のニュースは大きな衝撃だった・・・。
 
「湯川れい子さんが愛した世界のスーパースターその2
  エルヴィス・プレスリー」

 
 「あらゆる要素から考えて、人類最初で最後の大スター」
 エルヴィス・プレスリー。
 1971年8月には、なんと 唇にチューしてもらった!
 
「湯川れい子さんが愛した世界のスーパースターその3
  ザ・ビートルズ」

 
 1966年7月、世紀の単独インタビューに成功!!
 
「大好評!ゲストの皆さんの“好きな言葉”」
 
 湯川れい子さんの好きな言葉は?
 
庶民文化研究家・町田忍さん登場「団塊ホームルーム」
 
 レトロアイテムは『ザ・ビートルズ日本武道館公演のチケット』

 町田忍さんは1966(昭和41)年6月30日の
 武道館初回公演を観ていた!

2009年08月29日

637

8月29日 町田忍コラム『黒電話』

電話が一般に普及したのは昭和30年代の中頃からでした。

ダイヤル式家庭用は、もちろん黒電話が基本です。

今回 持参した黒電話は我が家で昭和38年に引いたもので
受話器にはカバーがつけられていました。

電話が無い時は“呼び出し電話”といって
近所の電話のある家や、商店の電話を借りたものです。

当時はまさか現在のように
携帯電話が登場することなど、考えてもみませんでした。


(画像をクリックすると拡大します)

公衆電話にしても町中で普及したのは昭和29年に登場した
「公衆電話ボックス」で、
その色から通称「丹頂型」と呼ばれました。

そのほか、赤電話もありました。

2009年08月29日

636

8月29日 石川真紀 放送後記

◆ゲスト:五木ひろしさんの回◆

「よこはま・たそがれ」「契り」「夜空」「凍て鶴」「雑草」・・・
聞いていて歌の世界に惹き込まれていた五木さん。

音楽への思いや、
それぞれの歌が生み出された経緯、
奥様への思いや夏休みの過ごし方、
モノマネをされる側の本音など、
どんな話題にも気さくにお応えいただけて、
スタッフ一同、予想外の喜びでした。

それにしても、弘兼さんと五木さん、
文化放送で再会されたのは皇居以来だそうで、
異次元の方々の対談を傍聴したような
ふわふわした気持ちの2時間でした。

お別れ際、
弘兼さんが、
最近とあるゴルフプロから教わった打撃法を
エアゴルフで示したところ、
五木さんが一言、
「弘兼さん、迷わないことです!」

果たして、お2人がゴルフ対決したら、
どうなるのでしょう!?


Un cahier de MAKI_178.jpg ぜひブログにもアクセスしてください。

2009年08月29日

635

8月29日 弘兼憲史 放送後記

◆ゲスト:五木ひろしさんの回◆

五木ひろしさん・・・あれだけの大御所です。
歌謡業界では近くにも寄れないくらい、天皇みたいな人なんですが
笑顔で応対していただいて、ホッとしています。

実は、番組でも話したんですが、
紫綬褒章をいただいた時に、ずっと一緒に行動しまして
移動のバスも一緒で、皇居の中でも一緒で、
トイレの中も一緒で、隣でモーニングの前を開けてたという・・・(笑)

それで多少 気心が知れてたので、
五木さんも話しやすかったんじゃないかという気がしました。

本当に充実した、いい2時間だったと思います。
 
 
弘兼セレクション
 
  お別れ公衆電話 / 松山恵子

  (「団塊ホームルーム」では“黒電話”の話題でしたが)
  弘兼「“公衆電話の中で泣き崩れる女性”
       とか、あったんですよ。
       (電話ボックスの)上がガラスになっていると、
       “コードが伸びて 下でしゃがんでいる”のがわかる時は
       『泣いてるな』というのがわかるんです」

  五木 「『お別れ公衆電話』・・・いい選曲ですねぇ~」

  ジャンバラヤ / ハンク・ウイリアムス
  
  (「団塊リポート」大人の作文から
   “男性の料理”“男のチャーハン”の話題となり)
  弘兼「『ジャンバラヤ』は肉を大量に入れたピラフで
       フィリピンやメキシコの家庭料理です。
       いろんな食べ物の名前が入ってるんですが、
       皆さん、聴いたら『あの曲か!』とわかる曲です」

2009年08月29日

634

8月29日 五木ひろしさんの名言

(『契り』を上手に歌う秘訣は?)

昔から『セリフは歌え、歌は語れ』という言葉があるんです。

  “歌を歌おうとすると難しい”んですよ。

歌は詩が絶対だと思ってますので
詩を理解して語ってあげれば、それは そのままメロディになるんです。

  語るように歌うと“響く”ものだと思うんです。

それを“メロディを理解”して歌うと“音域の幅”があって
苦しくなってたいへんになるんですけど・・・。

  “語る”ということを理解して
  高いところは高いところなりに“語って”あげれば・・・。

五木ひろしさんの好きな言葉

    『挑戦』

これには“継承”という意味もあります。

  先輩たちが歌われた いい歌を次の世代へ継承していきたい。
  その役目と、自分自身が新しいものを作り上げていく。
  この2つをずっと自分のテーマにしてきました。

でも、継承するのも実はチャレンジだと思ってるんです。
先輩の歌を歌うっていうことは、
実は勇気のいるチャレンジだと思ってるんですよ。

  世代的に、それ(先輩の歌)を知ってる世代なんです。
  その世代として、今しっかり継承することで
  時代を積み上げていきたいと思っています。

とても“重い”んですけど
年齢的にも立場的にも、それをしっかりやっていかないと・・・
この先、歌謡曲、演歌をしっかり残していきたいと思っていますので。

  弘兼「年をとってくると、歌謡曲、演歌が大好きになってきて
       これは何なんだろうな?と思いますね」

そこに「人生」があるんですよね。
その“重み”というか“深さ”が 演歌にはあると思いますので、
ずっと大事にしていきたいと思いますね。

(画像をクリックすると拡大します)
 
 
(番組エンディングより)

  弘兼「ラジオはどうですか?」

本当に楽しいですよ。
ラジオは大好きですし、そのまんま来れますので
なによりも、気が楽ですよね(笑)

ジーンズでもTシャツでも来れますから。

  弘兼「五木さんのこういう格好はなかなか見られないですよね」
  石川 「カジュアルスタイルも素敵ですよね!」

2009年08月29日

614

8月29日 ゲスト:五木ひろしさん

テーマ:『レコード大賞2回、紅白大トリ6回!
        歌謡界不動のトップランナー
          五木ひろしを作り、育てた5つの歌!』

 ゲストに、弘兼憲史さんと同学年、
 歌手の五木ひろしさんをお招きして
 その数多くのヒット曲の中から
 “歌手・五木ひろし”を作り、育てた歌
 5曲を厳選。
 じっくりとお話を伺いました。

また“五木ひろし”として再デビューされるまで
改名が繰り返された“芸名”のこと、
“右手のこぶし”にまつわる秘話も飛び出して
スタジオは驚きの連続!
 
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五木ひろしを作り、育てた5つの歌 その1『よこはま・たそがれ』

『よこはま・たそがれ』を最初に歌ったのは中川 淳だった?!

1971年発表。作詞・山口洋子さん、作曲・平尾昌晃さん。

デビュー6年目、『全日本歌謡選手権』で
審査員を務めていた山口洋子さん、平尾昌晃さんと出会ったことが
五木ひろしさんにとって大きなターニングポイントに。

  山口&平尾コンビの楽曲提供をうけ
  芸名を“五木ひろし”に改名しての再デビュー曲がこの曲です。

五木ひろしさんの代表曲のひとつとしてあまりにも有名ですが
この曲を初めて歌ったのは“中川 淳”という事実が判明?!
ナカガワジュンっていったい誰?? (↓を参照)

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改名3度・・・幻の芸名2つ

『松山まさる』の芸名でデビューした五木ひろしさんでしたが
ヒット曲に恵まれず、その後、改名を繰り返すことに。

五木 「芸名をつける時の発想には、
     その時々で“想い”がいろいろあるんです」

まず、“一からやり直し”という想いをこめた『一条英一』
続いて“三度目の正直”という想いで『三谷謙』に。
そして ようやく『五木ひろし』という芸名に巡り合います。

  “五木ひろし”の由来が
  作家の“五木寛之”さんであることは有名な話ですが
  実はその前に“五木じろう”という芸名に決まりかけました。
  しかし“五木しろう”さんと人がいたことから“ひろし”に変更。

 また“五木ひろし”への改名が
 決まる直前に再デビュー曲となる
 『よこはま・たそがれ』
 歌わなければならない事態となって、
 急遽決めた名前が“中川 淳”
 しかし、この芸名が使われたのは
 この時のわずか一日だけで、幻の芸名に。

“中川 淳”について、“漢字”ではどのように書くのか聞かれた
五木さんは、思い出すのに ひと苦労…。

五木 「(自分自身で)書いたことも、サインをしたこともないんです」

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五木ひろしを作り、育てた5つの歌 その2『おまえとふたり』

最高の売上を記録!!

1979年、独立後に初めて発表した曲。
ミリオンセラーを達成し、五木ひろしさんの楽曲の中で
最高の売り上げを記録しました。

五木 「この歌が売れなかったら独立は失敗だと思ってましたので
     結果的には大ヒットしたおかげで、
     僕の“新しい第一歩”が踏み出せたというか…
     『よこはま・たそがれ』とは また違う意味で
     僕の“第2のデビュー”なんです」

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あの歌唱スタイルは、ファイティングポーズだった!

右手でこぶしを作れば、五木ひろしさんのモノマネ完成――
といっても大げさではない、あのおなじみのスタイルの
誕生秘話をご紹介いただきました。

最初に所属した事務所が
ボクシング、キックボクシングの事務所でもあったことから、
スパーリングの経験があった五木ひろしさん。

  デビューの時期が、それまでのセンターマイクから
  ハンドマイクに移り変わった頃で、
  ほとんどの(右利きの)歌手が右手でマイクを持つのに対し・・・

五木 「僕は なぜか左手で持ったんです。
     それで(ボクシングの)経験から
     右手はこぶしを…というスタイルが自然にできたんです」

これには“リズムをとりやすくする”利点もあって・・・

五木 「ステージで紙テープをよけられる態勢がいつもできてました。
     “フットワーク最高”です(笑)」

  弘兼 「『待っている女』なんか、一番あいそうですね。
       “♪ヘヘイヘイ”ですからね」

  石川 「(笑)弘兼さん、今 ヤラしかった!(笑)」

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五木ひろしを作り、育てた5つの歌 その3『夜空』

念願の日本レコード大賞受賞!

1973年発表。この年の日本レコード大賞、
翌年のゴールデン・アロー賞音楽賞を受賞。

レコード大賞受賞の際には
「古賀メロディーは歌の原点であり、教科書」
「あこがれの、雲の上の人」
と語る
古賀政男さんからトロフィーを受け取りました。

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五木ひろしを作り、育てた5つの歌 その4『契り』

阿久悠さんに感謝・・・『契り』に新たなイメージ

1982年発表。作詞・阿久悠さん、作曲んは五木ひろしさんご自身。
映画『大日本帝国』(1982年公開)主題歌。

五木 「改めて詩を見ますと
     戦争の悲惨さをなくして、
     子供たちの微笑み・笑顔を(取り戻して)
     みんなが平和であってほしいという願いが込められているんだな
     と、あとになって、あらためて感じました」

阿久悠さんの詩の素晴らしさのあまり、
曲を作るにはかなりの苦労があり
特に次の2行にメロディをのせるまでには、時間がかかったそうです。

♪あなたは誰と 契りますか
  永遠とわの心を 結びますか

また、ロサンゼルスオリンピックの金メダリスト・柔道の山下泰裕さんが
友人の結婚式でこの歌を歌った、と聞き
この歌の新しい一面を発見。

五木 「新郎新婦へのお祝いの歌として歌える・・・
     まさに“契り”でピッタリだなと、
     僕もお祝いの場で歌うようになったんです」

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五木ひろしを作り、育てた5つの歌 その5『浜昼顔』

レコード会社の垣根を越えて・・・“古賀政男さんの楽曲を!

1974年発表。作詞・寺山修司さん、作曲・古賀政男さん。

元々は、藤山一郎さんが歌った『さらば青春』が原曲。
(作詞・佐藤惣之助さん、作曲・古賀政男さん)
(1936年公開の映画『慈悲心鳥』主題歌)

当時の音楽業界には、
所属レコード会社が異なる古賀政男さんの楽曲を歌うことはできない
という“壁”が存在しましたが
「どうしても(古賀政男さんの)オリジナルを!」という
五木ひろしさんのたっての願いに対し
「新曲は作れないけれど、過去の曲を新しい歌として…」
原曲に寺山修司さんの詩を新たにのせることで、レコード会社の同意を得て
“五木ひろしさんが歌う古賀メロディ”を発表することができました。

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団塊ホームルーム

昭和レトロアイテムは『黒電話』

電話が家庭に広く普及するまでは、
かける時も、受ける時(=“呼び出し”)も、
電話をひいている家庭に借りることが当たり前。

今では、一家に1台から、
携帯電話の普及により一人1台の時代に突入。
ダイヤル式電話を知らない子供も多いことでしょう。

  また、受話器にはテレビや車などと同じように
  カバーがとりつけられ、まさに高級品。
  
五木 「モノを大事にしていた時代ですよね」


「“6”を回したら・・・」 弘兼さんは昔を思い出しながらダイヤルを回す仕草

また、想いを寄せる異性の家に、思い切って電話をかけよう・・・として
最後の番号を回せずに切ってしまう、という経験をした方も多いはず。

ハイ。スタジオにも いました。
弘兼 「彼女の家に電話しようとして最後の“6”を回したら
     つながるけど…やめよう、と躊躇するんです」

五木 「いろんな“思い”が指に伝わっていくわけですよね」

※この話題については町田忍さんのコラムも合わせてご覧ください。

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五木ひろしさんの最新情報

『五木ひろし歌手生活45周年記念 歌謡コンクール&コンサート』

(第1部 歌謡コンクール / 第2部 五木ひろしオンステージ)

日時:9月8日(開場 13:00 / 開演 13:30)
会場:東京・日比谷公会堂
チケット:S席7千円 / A席:6千円
問合せ:オデッセイ 03-5444-6966(平日11時~18時)
 
五木 「(会場は)45年前にコンクールで優勝した場所なんです。
     ひょっとしたら“次の五木ひろし”と出逢えるかもしれません」

※詳しくは五木ひろしさんの公式ホームページをご覧ください

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お送りした曲目

お別れ公衆電話 / 松山恵子
  (弘兼セレクション)
よこはま・たそがれ / 五木ひろし
  (歌手・五木ひろしを作り育てた歌! その1)
おまえとふたり / 五木ひろし
  (歌手・五木ひろしを作り育てた歌! その2)
夜空 / 五木ひろし
  (歌手・五木ひろしを作り育てた歌! その3)
ジャンバラヤ / ハンク・ウイリアムス
  (弘兼セレクション)
契り / 五木ひろし
  (歌手・五木ひろしを作り育てた歌! その4)
凍て鶴 / 五木ひろし
  (2008年11月発売のニューシングル)
浜昼顔 / 五木ひろし
  (歌手・五木ひろしを作り育てた歌! その5)

2009年08月29日

639

8月29日は五木ひろしさん登場!

「ドコモ団塊倶楽部」8月29日放送のゲストは五木ひろしさん。

今週はスペシャルウィーク!!
先週と今週の放送にメール・FAXをお寄せ頂いた全ての方の中から
抽選で5名様現金1万円をプレゼントします!!

  当選発表は 8月29日の番組内で行います。
  先週、お便りをお寄せくださった方も当選のチャンスがあります。
  ぜひともお聴き逃しなく!
 
29日のテーマは
『レコード大賞2回、紅白大トリ6回!
 歌謡界不動のトップランナー・五木ひろしを作り、育てた5つの歌!』

 
団塊の世代、学年、美空ひばりさんへのリスペクト、ゴルフ大好き、
さらに、紫綬褒章を受章などなど、
弘兼憲史さんとの共通点が多い歌手の五木ひろしさんをお招きして
45年の「歌手人生」を<5つの歌>で振り返ります。

◇放 送 内 容◇(予定)

2009年08月22日

637

8月22日 町田忍コラム『万年筆』

かつて新しく中学生になると、
腕時計と万年筆の新しいのを買ってもらった記憶がある。
すなわち、万年筆、腕時計、詰め襟学生服は
いわば当時中学生の3種の神器ともいえるものだった。

それらを使用するとちょっぴり大人になれたような気分になった

そんな万年筆も今はボールペンや
その他の筆記用具が多く使用されるようになった・・・と思いきや、
万年筆は静かなブームとなっている。

とくに限定万年筆の中には、後に値段が数倍となるものも少なくはない。

今回私はパーカーの大きな箱入りの限定品ほか、
高級万年筆を持参した。

弘兼さんは仕事で現在でも使用中のもの、
風間さんはテレビ番組中の企画でご自身がデザインした
イタリアのメーカー「デルタ」製の
ギリシャの海をイメージした万年筆を持参していただいた。

2009年08月22日

636

8月22日 石川真紀 放送後記

◆ゲスト:風間杜夫さんの回◆

蒲田行進曲の銀ちゃん、
スチュワーデス物語の村沢教官を筆頭に、
多種多様な役柄を演じてこられた風間さん。

二枚目のお顔の内に在る人間・風間さんは、
素直で真面目で三枚目の部分もお持ちの
味わい深い方という印象でした。

ひとり芝居に落語にと、
周囲から才覚を見出されてその道を究められ、
ご自身の探究心とあいまって
精力的に模索し続けていらっしゃるお姿を拝見しつつ、
風間さんのお力を浴びることで確実にハクがつく
新進気鋭の演劇集団へのご参加も、
楽しみに観させていただきます。

大竹まことさん、斉木しげるさんとの同居生活、
覗いてみたかったなぁ・・・。


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2009年08月22日

635

8月22日 弘兼憲史 放送後記

◆ゲスト:風間杜夫さんの回◆

20数年前に、
その時、風間さんはいなかったんですけど
“つか劇団”の人たちと
よくゴルフに行ったり、お酒を飲んだりした時期があったんです。
その時、風間さんは輝いているスターで、
平田満さんとか長谷川康夫さんは夜中遅くまで付き合うんですけど
風間さんは“スター”らしく途中でいなくなるんです。

本当に“銀ちゃん”ではなくて
“シャイな感じの方で、今も昔も変わらないな という気がします。
そしてお若く 才能あふれる人だな、と思います。
“頭がいい”という感じがしますね。

あれだけまでに慕っている人たちにとっての
“中心”の存在になっている
つかさんって一体どういう人なのか・・・
「つかさんを呼びませんか?」という提案をしたいと思います。

つかさんを呼んだらどうなるかな??


弘兼セレクション
 
  二人の銀座 / 和泉雅子、山内賢

  弘兼「万年筆=fountain penの「ファウンテン」には
     “泉”という意味もあります。
     そこで和泉雅子さんの歌を」

  蒲田行進曲 / 松坂慶子、風間杜夫、平田満

  弘兼「風間杜夫さんが歌った曲の中でも有名な
     (この日、番組宛てのリクエストもたくさん寄せられた)
     映画『蒲田行進曲』の中で松坂慶子さん、平田満さんと
     ご一緒に歌っている曲をぜひ」

2009年08月22日

634

8月22日 風間杜夫さんの名言

(テレビドラマと舞台の違いは?)

俳優の仕事は基本的に舞台も映像も一緒だと思うんですけど
舞台は“アップ”が効かないんです。

  後ろの方で見ている方も、前で見てる方も“角度”を変えられません。

舞台の方が多少テンションが上というか
温度が上といいますか、デフォルメといいますか…
特に つかさんの場合はそうでした。

  お客さんに“伝える”“届かせる”という意味では、
  映像はアップで拾ってくれますが
  舞台はお客さんに全部“開いて”見せていく、
  “届けていく”っていう違いがあります。

  
石川「“舞台では大きくやらないと映えない”と
     指導をされる方もいらっしゃいますよね?」

帝劇、日生劇場といった大きな劇場では、
大きな空間を、どういう風にお客さんに広げていくか
ときちっと演出される演出家もいれば、
岩松了さんは、むしろ、そういうことの“わざとらしさ”を拒否して
『後ろ向きでもいいからセリフを言え』『あんまり前を向くな』
・・・というようなセンスの演出家もいますよね。

風間杜夫さんの好きな言葉

『シンプルな日常』
 
ホント、困るんです。
好きな言葉とか、「“座右の銘”を書いてください」とか(言われても)
そんなのないんで・・・。
さっき(CM中)弘兼さん、面白いこと言いましたね。

  弘兼『座右の銘』を書いてくれ、って言われたら
      『雑煮うめえ』って書いた…(笑)(という話をしました)」

  石川 「あぁ・・・。」
 
 
僕は最近、本当にこう思うんですけど
60になったからってわけじゃないですけど
“シンプルな日常”といいますか『日常』という言葉を
大切にしたいな、と常々思うようになりました。

  足元をきちっと見つめるというか、
  日々の営みを“流さない”で
  きちっ、きちっと生きていきたいな、という心境でいます。

演劇の世界は非日常ですから
非日常の世界に飛ぶには
普段の日常生活をきっちり普通に、当たり前に過ごしていないと
その“落差”っていいますかね。

  非日常に飛ぶためにも、きちっ、きちっと毎日を…
  (過ごしていないといけない)

道徳的、倫理的というわけじゃなくて
流さないで自覚的に生きたいということです。
そんなことを生意気にも思ってます。

(画像をクリックすると拡大します)

(大竹まことさんへのメッセージ)

メッセ―ジ?・・・そうですか・・・えぇ・・・あの・・・
「会いたい」と言っておいてください。

  今度、きたろうが出てる芝居を観に行こうと思ってますので
  大竹や斉木が暇だったら
  一緒に観に行きたいなと思います。

2009年08月22日

614

8月22日 ゲスト:風間杜夫さん

テーマ:『つかこうへい劇団から映画、ひとり芝居に落語まで
      俳優・風間杜夫の進化はもう誰にも止められない!』

ゲストは1949年生まれの団塊の世代、俳優・風間杜夫さん。

 「とても60歳には見えません」と
出演者・スタッフが声をそろえた
風間杜夫さんをお招きして
子役時代の秘話から、
役者を目指すキッカケ、
“天才”つかこうへいさんとの出会い、
大竹まことさんとの
不思議な同居生活…、
そして、ひとり芝居に 落語まで・・・

時間の許す限り、たっぷりとお話しを伺いました。

風間さんが語った つかこうへいさん特有の“口立て”とは・・・?
 
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少年雑誌『冒険王』の表紙に3年間登場

風間杜夫さんが子役時代…小学5年生から3年間、
表紙を務めていた年雑誌『冒険王』や
『たのしい六年生』『家の光』などの表紙を集めた
“表紙集”をお持ちいただきました。

少年時代は成長がはやく、顔つきが変化するため
長期間、同じ子役が表紙に起用されることは異例なのだそうです。

風間 「僕の場合、幼顔がちっとも変わらないんで、
     異例の3年ということに」

弘兼 「『冒険王』は見てましたけど
     表紙が風間さんとは、きょう初めて知りました」

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風間杜夫さんが役者を目指したキッカケ

幼稚園の頃、普段はおとなしいのに
お遊戯会の舞台でハツラツとした姿を見せたことから
“舞台度胸の良さ”を見出されて児童劇団へ。

  すでにこの頃から
  “大人になっても役者になりたい”と思っていたのだそうです。

また「勉強は苦手だった」としながらも早稲田大学に進学したワケは
早稲田大学の伝統的な演劇サークル「自由舞台」に入るため。

  そして、大竹まことさんとの同居生活や、
  つかこうへいさんとの出会いなどがあり 
  今に続く役者人生を歩まれるのです。

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大竹まことさんとの同居生活

文化放送『大竹まこと ゴールデンラジオ!』
(月~金曜日 午後1時から生放送)の中で
時々、風間杜夫さんのお名前が聞かれることがあるように、
実はとっても縁が深い、風間杜夫さんと大竹まことさん。

  実は、斉木しげるさんを含めた三人は
  かつて、8畳のアパートで同居生活を送っていました。

十数人のメンバーで劇団を結成していた頃、
東京・祐天寺に“劇団の集会所”としてアパートを借り、
そこに“管理人”として住み込むことになって
三人の同居生活がスタート。

風間杜夫さんが明かす、それぞれの入居の理由は・・・

◆斉木しげるさんの場合・・・
 それまで住んでいたアパートは家賃を滞納していたため
 劇団でアパートを借りたことは“渡りに舟”だった。

◆大竹まことさんの場合・・・
 当時、同じ祐天寺にアパートを借りて住んでいたが
 “さみしがり屋”のため、同居。

◆風間杜夫さんの場合・・・
 東京・世田谷に自宅があったが
 「いつか家を出たい」と考えていて、同居。


“小劇場ブーム”で役者を目指す人が多かった時代。
風間さんたちは、『いい大学を出て、いい会社に入る』という
世の中の流れの中、“ドロップアウトするつもり”で
演劇の世界に飛び込んだのだそうです。

風間「態勢から取り残されることも“心地よく”思っていて
     粋がってました」

石川 「お三方がそれぞれ今も
     ご活躍されているのを見ると、すごい同居生活でしたね」

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天才・つかこうへいさんとの出会い

風間 「“銀ちゃん”は つかさんなんです。
     僕たち劇団員は みんな“ヤス”ですね」

つかこうへいさんとの出会いについて
「大変な天才と出会った」と語る風間さん。
「つかさん、かっこいい!!」「つかさんのためなら!」
という想いで芝居をしていたそうです。

その、つかこうへいさんとの出会いは・・・
慶応大学に籍を置く つかこうへいさんが
(どういうわけか)早稲田大学のサークルを吸収。
その後、メンバー数人と「つかこうへい事務所」を設立。
やがて、つかさんの芝居への出演を依頼されて・・・

風間 「面白かったんですよ!つかさんの作品が。
     その稽古場に つかさんが現れて
     『おまえ、オレのとこに来い』と言われたんです」

つかこうへいさんといえば、独特の指導法“口立て”が有名ですが
風間杜夫さんも、これには大いに戸惑ったそうです。

◇◇食事中のシーン◇◇

つか 「風間、『カチっ!』と言ってみろ」
風間 「・・・カチっ!(??)」
つか 「『こんなところに石が!
     おまえ、朝の食卓に石が入っているとは なんだ!』」

    (と、妻を責め立てる夫)

つか 「風間、わかるか?これが“不条理演劇”だ」


◇◇手違いで赤紙が届かず、戦争に行けなかった父。
   やがて戦後40年たって赤紙が届き、戦場へ向かう・・・。
   そこには戦争の痕が色濃く残り、あたりには屍が・・・◇◇

つか 「『これは何だ?!これは何だ!!
     これが平和の礎というのか?!
     日本にデモクラシーを根付かせるというが、これは何だ?!』
     風間、“これは何だ”と言いながら、
    “カンパーピン”ひいてこい!」

風間 「『指先でカンパーピンをツモってこい』って言うんです。
     “これは何だ?!”で、
     カンパーピンをいれて『リーチ!』
     ・・・で、また『続けろ』と・・・」

弘兼 「本当に“不条理”ですね!」

つかさんの真意は、戦争の悲惨さを訴えるのではなく
「その場面の“役者の快感”を伝えたい」ということなのだそうです。
 
風間 「そういう訓練ばっかりさせられてましたね」

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『スチュワーデス物語』の教官

石川「いろいろな役柄を演じていまして
     本来“二枚目”と思っていたら
     笑わせてくれるところもあったりして
     “本当の風間杜夫さんはどういう方なんだろう”
     と思ってます」

弘兼 「教官の役は違うと思います(笑)」

風間 「あれは別の意味で笑かしてくれましたけど、
     『これは楽しまなきゃ損だ』と思いまして
     のめりこみました」

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ひとり芝居、そして落語

●ひとり芝居

「じゃあ、やりましょう!」と
お酒の勢いで引き受けてしまった ひとり芝居。

2003年には「ひとり芝居三部作」で文化庁芸術祭賞大賞、
読売演劇大賞最優秀男優賞を受賞されました。

  当初は決して前向きではなかったそうですが
  いざ、やってみると・・・

風間 「意外に難しいことがわかって
     これで終わっちゃうのが悔しいんです。
     このまま終わるのがいやで
     『来年もやろう、来年もやろう』で12年…」

●落語

子供の頃から落語に親しみ、
落語家に扮した舞台『すててこてこてこ』の劇中で
古典落語を披露した際には
指導を担当した林家正雀さんに素質を認められ、
「いつかお客さんの前で・・・」と思うようになった風間さん。

すると、立川談春さんの独演会に招かれるようになり
やがて自ら落語会、独演会を開くようにも。

風間 「名人・文楽師匠の『夢の酒』をやりまして
     三人の女性を演じ分けることが楽しみになりました」

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団塊ホームルーム

昭和レトロアイテムは『万年筆』。

町田 「中学に入った頃に
     プレゼントされるんですよね」

◆弘兼憲史の万年筆の思い出
・胸ポケットにさしていた。
・インクをたっぷり入れて・・・飛ばす。
 (白いシャツは汚れが落ちない)
・セーラー、パイロット、プラチナが人気を争っていた。
・お父さんから初めてもらったのは『パーカー61』。
 (この日、スタジオに持参)

弘兼 「あの頃、クラスで自慢だったんです。
    きょうは歯磨き粉で磨いてきました。」

◆町田忍の万年筆の思い出
・勉強の時には使わなかった。
・お気に入りは、昔ながらのインクビンから吸入するタイプ。


スタジオの男性陣が「やりました」と声をそろえたのが
“万年筆のキャップ回し”。

団塊ジュニアの石川真紀ぴょんは初めて耳にして・・・
「なんですか、それ?それして、なんになるんですか?」


◆風間杜夫さんの思い出
・テレビ番組『世界ウルルン滞在記』でナポリへ行き
 番組の企画で万年筆をデザイン。
・放送日の3月28日にちなんで328本を限定販売(完売)
・出演料のほかにデザイン料ももらうことができた。

※この話題については町田忍さんのコラムも合わせてご覧ください。

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お送りした曲目

二人の銀座 / 和泉雅子、山内賢(弘兼セレクション)
アイル・ビー・ホーム / パット・ブーン(風間杜夫さんのリクエスト)
蒲田行進曲 / 松坂慶子、風間杜夫、平田満(弘兼セレクション)
好きさ好きさ好きさ / ザ・カーナビーツ(風間杜夫さんのリクエスト)

2009年08月22日

639

8月22日は風間杜夫さん登場!

「ドコモ団塊倶楽部」8月22日放送のゲストは風間杜夫さん。

今週と来週はスペシャルウィーク!!
メール・FAXをお寄せ頂いた全ての方の中から抽選で5名様
現金1万円をプレゼントします!!

なお、当選発表は来週 8月29日の番組内で行います。
 
22日のテーマは
『つかこうへい劇団から 映画、ひとり芝居に落語まで
 俳優・風間杜夫の進化は もう誰にも止められない!』

 
俳優・風間杜夫さんの「ルーツ」と「知られざる素顔」に迫ります。 
 
◇放 送 内 容◇(予定)

2009年08月15日

637

8月15日 町田忍コラム『名曲喫茶・クラシック喫茶』

戦後の昭和40年頃まで、
すなわち家庭に豪華ステレオが普及するまで、
繁華街や学生街に
“名曲喫茶”と呼ばれる喫茶店が多くありました。

この頃は
LPが3000円前後(現在の1万円以上)の時代です。

とくにクラシックを聴かせることを目的とした名喫茶は
座席が全て、スピーカーに向かっていました。

このような店では
“私語禁止”であったのは当然のことです。

現在では、そんな名曲喫茶も少なくなりました。

ここに紹介したのは
渋谷にある名曲喫茶『ライオン』です。

毎月プログラムがかわります。

当時の懐かしいマッチも紹介しました。


(左からライオン、らんぶるの写真/右は各店のマッチ)
 
※画像をクリックすると拡大します。

2009年08月15日

636

8月15日 石川真紀 放送後記

こんなに楽しい音楽の授業があったのです。

子どもたちはもちろん、
大人のみなさんも、
青島さんの授業を受けたらきっと、
音楽がもっと楽しくなるはず。
クラシック音楽が決して
シャチホコばった無機質なものではないことが理解でき、
音楽家の人物像と併せて
より立体的に心と身体に浸透していくことでしょう。

たまたま出会った音楽の先生や、
教わり方の不適合によって、
音楽が嫌い・苦手と思ってしまうことは
往々にしてあるものなのかも知れません。
が、
鑑賞の仕方、演奏の仕方、楽しみ方は、
人それぞれでいいんですよね。

「こうでなければならない」を取り外すことで、
森羅万象は今よりももっと
私たちに近づいてきてくれるような気がします。

私も、
母の影響で幼い頃から大好きだった少女漫画の世界。
クラシック音楽の成り立ちと
照らし合わせてみる楽しみが増えました。

2009年08月15日

635

8月15日 弘兼憲史 放送後記

きょうはたいへん楽しい2時間で
僕はクラシックは嫌いではないんですが
ああいうクラシック作曲家の相関関係とかクセとか人となりとか
話慣れていらっしゃるのかもしれないですけど
面白く語っていただきました。

一番驚いたのは少女漫画について非常に詳しいこと。

僕ら業界人は、案外、自分の業界の情報を知らないんですが
青島さんの情報量たるや、すごいもんで
きょうはだいぶ勉強させていただきました。

次は『漫画』のことだけに絞ってやってみたいとも思いました。


弘兼セレクション
 
  ワルツ2 / ロイヤル・コンサートゲボウ・オーケストラ

  弘兼「サラリーマン時代、
     朝、ショスタコビッチの曲で気合を入れていたんです。
     ショスタコビッチというと『交響曲5番』ですが、
     きょうは『ワルツ2』を。
     映画『アイズ ワイド シャット』で使われて
     初めて知って“いい曲だな”と聴き始めたんです」

  序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調 作品28 / サン・サーンス

  弘兼「サン・サーンスの曲で
     『序奏とロンド・カプリチオーソ』を選びました。
     一番好きなのはジャック・ティボー(1880年生まれ)で、
     “パリでの演奏をBBCが放送したものをエアチェックした人が
     78回転のレコードにして、それがCD化された”んです」

2009年08月15日

634

8月15日 青島広志さんの名言

(最近 クラシックコンサートは減っている?)

ご年配の方がいつまでも元気でいてくださって
その世代に向けたコンサートは増えているんです。

  それから、わりと若い方で
  オシャレを楽しむために来ている人が増えています。
  幕間でどういうドレスを着ているか、見せ合う場になっている。
  これは悪いことではありません。

  帰りにどこかに寄って、何かを食べに行くために
  (クラシックコンサートが)使われているところがある。
  そのような意味で使われるのは
  悪くないな、と私たちは思っています。

 
(コンサート中、拍手をしてもいい?)

拍手は、したかったら していいと思ってます。

私の場合は『どことどこの間は拍手していいですよ』と
言ってからやるんです。

弘兼 「それはいいですね。言っていただきたいですよね」

隣同士 仲良くなって
『私、何も知らないけど、よろしくね』『一緒に拍手しましょう』って
言ったり、仲良くなったらいいんじゃないかと思います。

(居眠りしてもいい?)

それは絶対してもいいと思います。

こういう曲があるじゃないですか・・・♪(ピアノ演奏)♪

眠っちゃったところで・・・♪~~ ・・・ !!!.jpg(←大音量)

弘兼 「(そこで)ハッと目が覚めるんですね」

石川 「ビックリして“ビクっ!”ってなる時ありますね。
     ちゃんと起こしてもくれるって、よくできてますね(笑)」

寝ちゃうのは当然だというわけです。

青島広志さんの好きな言葉

『いつでも一生懸命』
 
嫌いな言葉はいっぱいあるんです。
『親の七光り』とか・・・。

  一番ちゃんとしたスタンスでやっているのは
  『いつでも一生懸命』。

これが一番好きな言葉ですね。 
いつでも一生懸命!! それで生きていきます。

(画像をクリックすると拡大します)

2009年08月15日

614

8月15日 ゲスト:青島広志さん

テーマ:『折り目正しさこそがクラシックの魅力!
      マルチアーチスト・青島広志の この日限りの特別課外授業!』

ゲストは『世界一受けたい授業』『題名のない音楽会』などで
おなじみの音楽家の青島広志さん。

 ”クラシックコンサートでは
 拍手をしたければ してもいい”
 “寝てもいい”
 “オシャレをすることを目的にコンサートに
 足を運ぶのも悪いことではない”
 と語る青島広志さんをお招きして
 スタジオは音楽教室に様変わり。

トークの最中に、突然 ピアノを演奏、メロディを奏でながらの解説…
さらには即興で作曲もしてしまう青島さんに、
弘兼憲史さん、石川真紀ぴょんは 笑いと感嘆のため息が止まりません。

  また、絵の具代より五線紙代の方が安かったから
  音楽の道に進んだ という青島さんの『少女漫画』に関する
  豊富な知識には弘兼さんも脱帽!

夏休みの土曜日の一日
『ドコモ団塊倶楽部』をお聴きいただいた方だけに
一日限りの“特別課外授業”をお楽しみいただきました。
 
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団塊倶楽部のためだけに…特別課外授業!

♪♪(文化放送~ 文化放送~ )♪♪

青島 「青島でございます♪」

青島広志さんをお招きしたこの日はスタジオの中
手を伸ばせばすぐ届く位置に電子ピアノを設置しての放送。
青島さんは文化放送の『QRソング』のメロディに乗せてのご登場です。

  弘兼憲史さん、石川真紀ぴょん、
  そしてラジオの前のリスナーの皆さんを生徒に見立てての
  “特別課外授業”では、
  おなじみの音楽家の意外な素顔、相関関係を
  曲を演奏しながら教えてくださいました。


 
『メヌエット』の哀しげな短調は切ない恋心

古くから宮廷の舞踏会で踊られていた舞曲『メヌエット』。
“トリオとよばれる真ん中の部分”で
哀しげなメロディになるわけは・・・

  15才くらいで王様と結婚させられるお姫様が
  かつて恋心を抱いていた若き王子を
  舞踏会に迎える時の切なさが表現されている。

青島 「奥方として好きだった王子様を
     舞踏会に『ようこそ』迎え入れて踊るわけです。
     だからこういう部分が入ってくるんです」
 →≪♪演奏≫

弘兼 「切なくなるわけですね」

モーツァルトの真実?!

モーツァルトの先生になった、バッハの末の息子
クリスティアン(ヨハン・クリスティアン・バッハ)は
“♪タラララ…という動き”(“ため息”の音楽表現)を
好んだそうですが、
のちにモーツァルトが ソレを使った曲が有名に。

青島 「先生よりも生徒の方が有名になると
     先に作曲した人の方が“盗作”みたいに思われちゃうんです」

『エリーゼのために』は“テレーゼ(THERESE)のために”だった

『エリーゼのために』は耳が聞こえなくなってしまったベートーベンが
婚約者テリーゼさんとの思い出を描いた曲。

  明るくやさしいメロディは
  テリーゼさんと仲良く遊んでいる様子、テリーゼさんの笑い・・・。
  やがて訪れる恐ろしい運命・・・
  耳の病気と一時的な回復、そして再び襲ってくる病。
  涙とテリーゼさんの面影・・・

青島 「かわいそうな曲だったんです」
 
  ところで“テリーゼ”さんなのに
  なぜ『“エリーゼ”のために』なのか??

  これは当初、未発表の曲だったものが
  ベートーベンの死後、引き出しの中から
  出てきた際に“TH”の部分がやぶれてしまったから?!

弘兼石川 「そうだったんですか!!」

悲劇のシューマンは・・・変わった人だった?!

ピアニスト志望だったシューマン。
ピアノ演奏において“弱い”とされる薬指を鍛えるために
“輪ゴム”を指にかけながら弾いていたところ
腱が切れてしまい、ピアニストの夢は断念。
ピアニストを奥さんにし、
自分の曲を弾いてもらうことにしたのだそうです。

  そして、シューマンが ちょっと変わっている(?)ことが
  伺えるエピソードを紹介していただきました。

ピアノ曲『謝肉祭』の楽譜の“終わりから2ページ目”に
『あなたができる最高の速さで弾きなさい』と記したかと思えば
・・・ページをめくると今度は『もっと速く!』

石川 「無理だ(笑)」
 
次から次へと 止まることを知らないトーク(たまに演奏)は
いつまでも続く・・・かと思われましたが、そこは生放送です。
楽しい授業もやがて終了。

弘兼 「ずっと聞いていたい感じですね。
     時間が限られていて残念です」

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弘兼憲史を圧倒!少女漫画論

テレビに出演する際には、自ら描かれたイラストも紹介されるなど
イラストレーターとしての才能も発揮されてている青島広志さん。

少女漫画研究家としての一面をお伺いするパートになると
音楽の話をしていた時よりも、テンションがアップ!?

  ところで、青島さんと少女漫画の出会いは・・・

  先生の家にもピアノがなく、
  ピアノがある裕福な家庭に行ってレッスンを受けていた時代。

そこには“ピアノの上のフランス人形”“ラッシーと名付けられたコリー”
そして…“少女漫画”がありました。
 
  待ち時間に読んでいると・・・
  ピアノの曲と漫画の内容が似ている!
  こうして少女漫画を好きになっていったのだそうです。

話題は“少女漫画を描いていた先生”から
やがて“画風の移り変わり”へとシフトします。

・二人の顔の間に線を引くと“次元が違う”
・“・・・”が背景に(縦に)流れる表現は“糸引き納豆”と呼ばれ
 二人の気分が粘着質になっていることを表す
・顔に“汗”が流れると 暑い のではなく“困っている”
・顔の外にある二つの“汗”は
 汗・ツバではなく“もっと困っている”様子

弘兼「なんで そんなに詳しいんですか?!」

青島広志さんを虜にした少女漫画の魅力

人の死が描かれるなど、現実的過ぎて嫌だったという“劇画”と違い
少女漫画では、上流階級の家庭が描かれるなど、
“逃避”することができたのだそうです。

  戦後、街が汚れていた時代、
  青島さんの目に、少女漫画はキラキラと輝いて見えました。

音楽の話以上に止まることのない漫画論・・・

石川 「お二人の話を聞いていると
     だんだん“朝まで生漫画”みたいな感じになってきます」

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即興で曲作り!

先週から“大人の作文”をご紹介している『団塊リポート』。

今週は3つのテーマの中から、
横浜市の50才の男性リスナーの方からお寄せいただいた
奥様への心のこもったラブレターをご紹介しました。

  石川アナウンサーが朗読を終えると 
  文中に盛り込まれた“詩”に対して
  青島広志さんが即興でメロディをつけてくれました。

青島(ピアノ) ♪♪♪・・・♪♪♪
         ♪ごめんね 言いたかったよ
          “ありがとう 愛している”って
          “愛している”って・・・♪


作文の中の詩に即興で曲をつける青島さん

※『団塊リポート』のコーナーでは“大人の作文”を募集しています。
 詳しくはこちらをご覧いただき、ぜひチャレンジしてください。
 たくさんのご応募をお待ちしています。

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団塊ホームルーム

昭和レトロアイテムは“名曲喫茶・クラシック喫茶のマッチ”

コーヒーは苦く、今の値段で一杯1800円(!)
そして、レンガ造りのお店が多かった名曲喫茶。

町田忍さんが頻繁に足を運んだ渋谷駅前の『らんぶる』には
店内にはベートーベンの絵、そして“すごいスピーカー”がありました。

町田 「座席が全部スピーカーの方を
     向いているんです」

青島 「すごい人は席がいつも決まっていて
     楽譜と指揮棒を持っていて曲に合わせてふってるの!
     指揮棒がない人は“菜箸”を持って…。」

町田 「よく行った店では、曲名を3曲当てると
     コーヒー一杯タダの券をくれるんです。
     2曲は簡単なんだけど、1曲はわざと難しくしてるんです」

※この話題については町田忍さんのコラムも合わせてご覧ください。
※町田さんのコレクションの写真も掲載しています。

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青島広志さんの最新情報

『ブルーアイランド氏のおしゃべりコンサート in 渋谷
  「青い鳥はどこにいる?!」』

8月22日(土) / 8月23日(日)◇(15時開演)

会 場 :渋谷C.C.Lemonホール
料 金 :一般:1000円/小中学生:無料

ご予約・お問合せ:03-5403-3330(ちけっとぽーと)

青島「大人から子供まで絶対楽しめるもので
     オーケストラがついて千円っていうのはすごい安いと思うんです。
     それから子供はタダです!」

 
    「最後の最後に本当にどんでん返しがあって
     すごく面白いから来てください。私は踊ります!」

 
 
『青島広志のおいしい、おしゃべりディナーコンサート』

9月22日(火・祝)
 ディナー 18:00~19:30 / コンサート 19:30~20:40

会 場 :ホテルニューオータニ 鶴の間
曲 目 :「椿姫」(ヴェルディ)より『乾杯の歌』、
      「連隊の娘」(ドニゼッティ)より『ああ、友よ、何と楽しい日』、
      小さい秋見つけた、「となりのトトロ」より『さんぽ』、他

ご予約・お問合せ:03-3234-7777
(ホテルニューオータニ バンケットコーディネーション直通)
 
※青島広志さんの最新情報について詳しくは
 青島広志さんのオフィシャルホーム・ページをご覧ください。

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お送りした曲目

ワルツ2 / ロイヤル・コンサートゲボウ・オーケストラ
 (弘兼セレクション)

序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調 作品28 / サン・サーンス
 (弘兼憲史セレクション)

愛の挨拶 / エルガー(青島広志さんのオススメ)

2009年08月15日

639

8月15日は青島広志さん登場!

「ドコモ団塊倶楽部」8月15日放送のゲストは青島広志さん。

テーマは
『折り目正しさこそがクラシックの魅力!
 マルチアーチスト・青島広志の この日限りの特別課外授業!』

 
作曲家、ピアニスト、指揮者、司会者、
イラストレーター、少女漫画研究家…
ひとつの肩書では表せないマルチな才能の持ち主
“音楽家”青島広志のルーツに迫ります。
 
  また“一度聴いたら音楽が大好きになる”といわれる
  音楽の“授業”を「ドコモ団塊倶楽部」だけのために
  ひらいていただく予定です。どうぞお楽しみに!
 
 
◇放 送 内 容◇(予定)

2009年08月08日

637

8月8日 町田忍コラム『アロハシャツ』

アロハシャツ(ハワイアンシャツ)は、
日系移民でハワイに渡った日本人が
着物や布団の着れなどを使用してシャツとしてきたものが
広まっ たもので、いわばリサイクルということになります。

原型はそれ以前からあった
ポリネシアンの柄のシャツともいわれています。

とくに、1960年位までつくられたビンテージアロハは
数十万円するものも珍しくはありません。

本日、弘兼さんが着ているのはそんなビンテージアロハの復刻タイプです。

わたしは、古着等や反物を購入して、
オリジナルアロハシャツをつくっています。

なかには半纏や広告旗をリサイクルしたものもあります。


2009年08月08日

636

8月8日 石川真紀 放送後記

『セイ!ヤング21』、デビュー25周年記念特番以来、
生放送では4年ぶりにご一緒させていただきました。

大友さんにお会いするたびに、
本番に向けてのモチベーションの高め方に感慨を覚え、
ラジオへの熱い思いも、心にグッと迫ってきます。


笑いが絶えなかったこの日のスタジオ

かねてからの報道にもありましたように
改めて、音楽に入魂できる環境が整ったことを
大友さんご自身、とても晴れやかに受け止めていらっしゃる様子で、
これからはより一層、
音楽に夢中になれる好機を迎えていらっしゃるのではないでしょうか。

今後も、1人のファンとして、
大友さんの音楽と俳優業、時にバラエティ路線と、
ご活躍を拝見し続けていきます。

2009年08月08日

635

8月8日 弘兼憲史 放送後記

(大友康平さんの好きな言葉『生涯夢中』に対して)

  僕は60を超えてますけど、まだ“漫画に夢中”なんです。
  漫画を描くのが大好きで、
  疲れを癒す…、疲れをとるのは漫画を描いている時なんです。
  だから徹夜で描いても疲れないですね。

 大友 「好きなことをやってる時は苦しいことも楽しかったりするんです」
 

 
(放送後)

仕事をしながら、
観客になったような…、“歌のないコンサート”という感じで
ものすごく面白かったです。

特にマイクが落ちてる時の話で楽しませていただいて
リスナーの皆さんには申し訳ないんですけど
あんなに面白い話が聞けるとは…。
 
 
俳優としての大友さんを『パッチギ!』で見て、
僕が監督だったら使ってみたいキャラクターの方ですね。

あれだけ器用に、しかも周りに気を使いながらやる方って
おそらく、演技をしたら
ものすごくいい味を出してくれそうな気がするんです。

もちろん、歌も素晴らしいんですけど
ぜひ俳優大友も見てみたかったんですが…
そのことについては今回、ひと言もふれる時間がなく残念でしたけど
きょうは本当に楽しませていただきました。

2009年08月08日

634

8月8日 大友康平さんの名言

大友康平さんの好きな言葉

『生涯夢中』
 

(クリックすると拡大します)
 
いっつも、夢中でいたい、退屈したくないな、と(いうことです)。

才能とは、
ひとつのことを続けること、好きでいられることだと思うんです。

僕は歌に出会って、今でも夢中になっていて
それだけでも幸せだと思うんです。

年齢問わず、今からでも遅くないし
早く夢中になるものを見つけた方がとてもHAPPYになれると思うんですよ。

夢中だからこそ、苦しんでもいいと思うんです。
苦しんだら、次のハードルが待っていて、それを超えるとうれしくて、
でもまた、次の壁があるんですけど…。

僕は生きてることに夢中でいたいんで、
歌があったり、映画があったり、好きな野球があったり…、
とても幸せだなと思うんです。

 
 
  それから、もうひとつ好きな言葉があって

  『幸運とは、努力に対する副産物だ』

  “ラッキー”っていうのはありえない、と。
  いつも準備して頑張っている人にしか
  ご褒美(ラッキー)は来ないんです。

  いつも準備していたいな、と思いますね。
 
 
◆リスナーの方からの質問
 『音楽活動の“源”はなんですか?』

“好きこそものの上手なれ”
背中に電流が走るような衝撃・・・
“かっこいい!”“ああいう風になってみたい!”
それだけですね。

  昔はいきがってましたけど
  いろんな歌を歌って、いろんな人の前で歌うとき
  『歌ってすげぇな』って、歌に感謝することがあります。

  あっという間に引き込まれて、惹きつけて・・・
  素敵だな力があるな、と思うし
  ますます夢中になっちゃな、と思いますね。

 
 
◆久々となる2時間の生放送を終えた感想は?

え?!もう終わりですか??
まだ25分くらいしかたってないような気がするんですけど。

本当にラジオって楽しいっスよね~。
大好きです!

  石川 「誰のものまねですか?」

  ・・・すいません、今のはオリジナルです。
 
 
きょうは弘兼さんに、成長した石川さん…(にお会いできて)
『感動』のひと言です。

2009年08月08日

614

8月8日 ゲスト:大友康平さん

テーマ:『ロッケンローラー大友康平53歳 男盛り
      やっぱり今でも愛がすべて!』

この日のゲストは、HOUND DOGの大友康平さん。

 石川真紀ぴょんは2001年放送の
 『セイ!ヤング21』で共演した
 “お父さん?!”との再会です。

 大好きな野球…
 (プロ野球から、この日 開幕した
 高校野球・夏の甲子園大会、
 “メジャーリーグのスタジアムで
 食べるHOT DOGのおいしさ”まで)

そして“永遠の宿題”という『ロック』のこと、
さらには、レパートリーは数限りない『モノマネ』が (※)
次々と飛び出し、爆笑に次ぐ爆笑の2時間!
番組は まるで“KOHEI OTOMO RADIO SHOW”!!

 (※)桑田佳祐さん、松井秀喜選手をまねるはなわさん
    石川真紀ぴょんのお父さんまで(!)

大友康平さんが語った“歌”への熱い想いはファン必見です!
 
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あのシャウトを生む喉は交差点で鍛えられた?!
 
情熱のシャウトが印象的な大友康平さんが
「一番たいへん」と話すのは“喉”の調子を維持すること。
 
好きな野球に例に出し
「“ヴォーカリストの喉”を“野球のピッチャーの肩”と同じ」
と説明します。
 
Otomo_090808_02v_.jpg
 
 つまり、たとえ調子はよくても
 “うわついてしまう”・・・そこで
 2時間のライブを歌い続けるための
 “喉を作る”には、
 ピッチャーが“投げ込みで肩を作る”
 ように、ヴォイストレーニングが
 欠かせない・・・時には車の運転中でも…

大友 「交差点に止まって
     エ・エ・エ・エーー!ア・ア・ア・アー!!とやると
     横の車のオヤジがビックリして見てるんです。
     すごい恥ずかしいですね」

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爆笑!大友康平SHOW

ロック歌手として、俳優として
“大友康平さん”といえば、その“カッコよさ”が
真っ先に浮かぶという方も大勢いらっしゃるでしょう。

  しかしこの日の放送をお聴きになった方は
  イメージが崩れてしまった・・・かも?

久しぶりに番組で共演する石川真紀ぴょんへの親心、
それは本当のお父さんのように“秋田弁”が繰り出され・・・

石川 「お父さんのような声がして・・・。
     (発音は)ネイティブに近いです」

 ヤンキース・松井秀喜選手のモノマネをする
 はなわさんのモノマネに、
 初めて買ったレコード、
 ザ・フォーク・クルセダーズの
 『帰って来たヨッパライ』
 歌マネ~“天国の怖い神様”のマネ・・・
 さらには『みのもんたの
 ウィークエンドをつかまえろ』の
 みのさんがスタジオに顔を見せれば
 なんと本人の前でモノマネを…

このモノマネがまた よく特徴を捉えていて みのさんも爆笑!

  次々に繰り出されるモノマネのレパートリーは
  皆さんが“知らない人”を含めると数限りないそうです。

  大友 「似てるけど、みんな知らなくて残念」

ほかにも、石川真紀ぴょんとの絶妙のコンビネーションも健在で
『セイ!ヤング21』が復活したかのような ひと幕も。

石川 「(メール紹介)ラジオネーム・夜レインさん・・・」
大友 「ヨーレイヒ~~!」

  石川 「絶対やってくださると思ったんですよ」
  大友 「今、真紀がそういう目で見てましたね」

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大友康平が語るロッケンロールとは

“永遠の宿題”・・・それがロック。

「ロックとはなんですか?」という質問の答えがこちら。

大友 「永遠の宿題・・・答えがないってことです。
     宿題ってイヤだけど、ワクワクするんです。
     でも、答えを探す作業が楽しいんだと思うんです。
     だけど永遠に答えはないだろう、と。」

     「生涯 付き合う“あくゆう”です。
     作詞家じゃなくて“バッドフレンド”の方ね。
     今のツボですからね」

また、もっとも尊敬するバンド『J. ガイルズ・バンド』の
ヴォーカリスト、ピーター・ウルフが
“あなたにとってロックとは?”と聞かれて 答えた
『エクスタシー』――『恍惚感』・・・
これをたいへん気に入ったそうです。

大友 「ピーター・ウルフさんが言った『恍惚』・・・
    デビューしてから15年くらい使わせてもらいました。
    自分が夢中になっちゃうんだ、ということだと思うんです」

 
※大友康平さんが語った“ロックについて”は
 大友康平さんの名言のページもご覧ください。

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『J-STANDARD 70’s』&『HOUND DOG ULTIMATE BEST』

今年5月に発売された2枚のアルバムについて伺いました。

『J-STANDARD 70’s』・・・

 70年代の日本歌謡の名曲を大友康平さんが選曲した
 カバーアルバム。

 放送ではアルバムの1曲目に収録されている
 『青春の影』(チューリップ/1974年)をお聴きいただきました。

大友 「『青春の影』を選ぶところが 大友康平、ニクイなぁ」

 選曲は、スタッフの皆さんと一緒に候補の曲を50曲に絞込み
 カラオケボックスへ!

   そこで、大友さんが1コーラスずつ歌い
   スタッフの皆さんが審査員となって決められたのだそうです。

 そうして20~30曲に絞り込まれた曲は全て“70's”。

   このカバーアルバムの特徴は
   いつもHOUND DOGで“シャウト”している大友さんが
   いっさいハラずに歌っている点です。

大友 「難しかったですね。
     自分は青筋立てて、大声出してナンボだと思ってたんで
     勉強になりました。
     ハラずに“高揚感”をつけることを教わりました」

 
 
『HOUND DOG ULTIMATE BEST』・・・
 
 50才を超えて、素晴らしい楽曲たちへのリスペクトを忘れずに
 今 歌えばどういう感じになるんだろうか?

 HOUND DOGの名曲をセルフカバーしたベストセレクション(14曲)。

歌というものは、CD発売後にライブで歌って
初めて「こうした方がよかった」と気づくことも多いのだそうです。

だから、オリジナル発表時にはわからなかったことが 今ならわかる。

大友 「レコーディングが楽しかったですね。
     “ここをこういう風に歌おう”
     “よし、イメージどおりにいった!”
     若い頃より出にくい高いところは
     それはそれで“50の男の声でいいのかな”とかね」

※大友康平さんの情報は大友康平&HOUND DOGの
 オフィシャルウェブサイトをご覧ください
※番組出演の感想も綴ってくださっているブログはこちら

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団塊ホームルーム

昭和レトロアイテムは
“アロハシャツ”としておなじみの『ハワイアンシャツ』。

トロピカル調や和柄のデザインが定番のハワイアンシャツですが
町田忍さんは、生地を購入して、仕立て直しをすることで
この世に1枚だけのオリジナル・ハワイアンシャツを
作成しています。

独自の感性が光るコレクションの中でも
一番のお気に入りは『丸石自転車』のシャツ。

そしてこの日、放送中に着用していたのは
『かき氷』の吊り下げ旗で作るというアイディアが光る逸品。

なお、広島カープを応援している弘兼さんは
鯉のデザインのシャツを着用。

※この話題については町田忍さんのコラムご覧ください。
※町田さんのコレクションの写真も掲載しています。

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お送りした曲目

ブルー・ハワイ / エルビス・プレスリー(弘兼セレクション)

ルイジアンナ / キャロル(大友康平さんリクエスト)

ff(フォルティシモ) / HOUND DOG
 
BRIDGE ~あの橋をわたるとき~ / HOUND DOG

あの素晴らしい愛をもう一度 / ザ・フォーク・クルセダーズ
 (弘兼セレクション)

青春の影 / 大友康平(『J-STANDARD 70's』から)

時間よ止まれ / 大友康平(『J-STANDARD 70's』から)

ラスト・シーン / 大友康平 (大勢のリスナーの皆さんのリクエスト)

2009年08月08日

639

8月8日は大友康平さん登場!

「ドコモ団塊倶楽部」8月8日放送のゲストは大友康平さん。

テーマは
『ロッケンローラー大友康平53歳男盛り
 やっぱり今でも愛がすべて!』

 
来年、デビュー30周年を迎える“永遠のロッケンローラー”
HOUND DOGの大友康平さんをお迎えして
火傷[やけど]しそうに熱い“ロック魂”に迫ります。
 
 
◇放 送 内 容◇(予定)

2009年08月01日

637

8月1日 町田忍コラム『平凡パンチ、週刊プレイボーイ』

1964年、まさに東京オリンピックの年
『平凡パンチ』が創刊されました。

表紙は新進デザイナーの大橋歩さん。
クレパスで描いた絵は評判となりました。

  遅れること2年、1966年には
   『週刊プレイボーイ』が創刊。
  当初の表紙のデザインは
  女性の身体を動物に見せた斬新なものでした。

ともに執筆者には
野坂昭如、五味康祐、石原慎太郎、柴田錬三郎といった作家が
登場していました。

※画像をクリックすると拡大します

2009年08月01日

636

8月1日 石川真紀 放送後記

私が以前、報道部記者だった頃。
様々な取材現場、記者会見場でお見かけして以来、
取材対象を多角的、かつ大らかに見つめるその視線に
「ニュースの職人」の心意気を感じ、
いつの間にか心を開かせ
思いを吐露させてしまう独特の雰囲気を察知しておりました。

鳥越さんが仰るように、
報道とは、ともすると
噂話を右から左へ受け流すだけの作業に
陥りがちな側面があることは否めないのが現実。
であることを認識しながら、
現場で感じたことを自分の言葉で伝えることに腐心し、
当事者や取材対象の心の内を念頭に置き続けることが
私なりの報道だと思って放送に臨んでいます。

最大のプライバシーである闘病生活を公表されることで、
メディアの可能性を模索する姿さえも公開されている
その真意を、
ひとりの視聴者として、しっかり受信していきたいと感じています。

くれぐれもお身体をご自愛ください。

2009年08月01日

635

8月1日 弘兼憲史 放送後記

鳥越さんとは、いろいろなインタビューや番組、
僕のラジオ番組のナビゲーター(※)をやっていただいて
随分前から知り合いなんですけど
これだけきっちり向かい合って話をするのは初めてで
仕事上、どこかで出会って
「やぁやぁ」「はい!」とあいさつする感じだったんです。

  鳥越さん、本当にカッコいいですね。
  ああいう70才を目指したいです。

  (来年で)70才にはとても見えないですし
  ご病気されて大変だな、と思いましたけど
  顔色もよく、
  お腹を見せていただきまして
  お腹の皮膚が若かった、というのを見てビックリしました。
 
もっともっと頑張っていただきたいと思います。

※弘兼憲史さん原作の『黄昏流星群』をラジオドラマにした番組
 『流星倶楽部』のナビゲーター役を鳥越俊太郎さんが務めていました


弘兼セレクション
 
  I Saw Her Standing There / ザ・ビートルズ

  弘兼「『平凡パンチ』が創刊された1964年は
       ビートルズのファーストアルバム『Please Please Me』が
       リリースされて、その最初に収録されている曲です」

  還らざる日々 / 杉村俊博

  弘兼「作曲者の杉村俊博さんがソロで歌っているバージョンです。
       酒場で泣きながら歌いたいですね」

  Kansas City/Hey, Hey, Hey, Hey / ザ・ビートルズ

  弘兼「R&B調のロックでものすごいイイ感じです」


 

2009年08月01日

634

8月1日 鳥越俊太郎さんの名言

 鳥越俊太郎さんの好きな言葉

 『何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ』

 

 ※閑吟集 より

 地味に生きて どうするんだい
  人生は夢のようにあっという間
    何かに熱中して狂うほど入れ込め

 なんでもいい…仕事でも、趣味でも…
   何かに熱中して狂うほどに入れ込め!
    “ただ狂え”っていうのが好きなんです。


  どうするんだい?
  くすんで生きていても
  人生はあっという間に過ぎちゃうよ。
  だから今のうちに好きなことに熱中しなさいよ!
  …という、この言葉に出会って
  私は「そうだ!」と(思うことがありました)。


 弘兼 「これがあれば、
      どんな苦境に立っても
      乗り越えて行けそうですね」




 (仕事以外で熱中していることは?)

 ないです。
 “ニュース”が趣味です。
 仕事が趣味というのは
 けっこういい人生ですよね。


 弘兼 「楽しいことが長いということですからね」

 一見“マイナス”に見えることも
 発想を変えると“プラス”になってくるんです。
 オセロゲームみたいに、
 白が全部黒になっちゃう…。


 ネガティブじゃなくて、
 前向きに、ポジティブに
 発想を変えることが大事なんです。

2009年08月01日

614

8月1日 ゲスト:鳥越俊太郎さん

テーマ:『ニュースの職人”鳥越俊太郎、
      ジャーナリスト・スピリッツの原点と
      壮絶!ガン闘病』


 

 この日のゲストは“趣味はニュース”
 “肩書きはニュースの職人”

 1940年生まれの鳥越俊太郎さん。

 弘兼憲史さんとは顔なじみですが
 これまでじっくり話をする機会は
 なかったそうで、今回初めて
 鳥越×弘兼対談が実現!



鳥越俊太郎は“ニュースの職人”

 “モノ作りの世界への憧れ”があるという
 鳥越俊太郎さんが
 自らを“ニュースの職人”と名乗る
 その真意を伺いました。

 

 “肩書きはジャーナリスト”と
 紹介されることが多いものの
 「日本語に訳せない」
 「新聞記者=ジャーナリストではない」
 「国内で、この言葉への
  コンセンサスがない」
などの理由から
 “ジャーナリスト”に代わる言葉を考えると…
 お米、野菜、機械…など
 様々な“モノづくり”への憧れ・尊敬、
 そして“自分もそうありたい”という思いから
 辿り着いた答えが“ニュースの職人”

 鳥越 「ニュースは事実そのままを
      流しているわけではないんです。
      必ず“ニュース”として
      “製造・加工”しているんです。
      ニュースを製造する職人、
      それを伝える職人として
      これからニュースの職人と呼ぼう』
      と決めたんです」


     「“ニュースの職人”の次は“ニュースの匠”…
      なれるかどうかわかりませんけど、
      目指しています」




二人の“父親”が語った“親父の役割”

 石川 「お嬢さんと一緒でも
      恋人同士に見える…
      何かありそうな感じが漂ってます」


 弘兼「ああいう親子(父娘)
      なれたらいいな、と
      つくづくうらやましく思います」


 鳥越 「顔が似てないので二人で歩いてると
      若い女性を連れているように
      見られちゃう」


 弘兼さん、石川真紀アナがうらやむ
 鳥越さん父娘の関係に続いて
 息子さんとの“父子”関係――“
 親父の役割”の話題に。

 弘兼さんは普段
 息子さんと多くを語りあうことがないそうで
 自身の体験を思い起こしても
 「ケンカをするわけではないのに
  親父と話をしたことがなかった」
のだとか。

 弘兼「“息子と酒を酌み交わすのが夢”
      というのはなかなかないです。
      もうちょっと年齢を重ねればあるかも」


 ◇弘兼&鳥越 二人が語る“親父の役割”◇

 【弘兼憲史】
 ・“こんなふうになりたくない”という反面教師としての役目。
 ・今は親父の存在が軽くなってしまって壁になっていない。
  息子にとっては不幸なこと。
 ・親父は息子に対しては理不尽な方がいい。
  “世の中には理不尽なことがある”ということを
  教えるのが親父の役目。

 【鳥越俊太郎】
 ・親父が大きな壁となって跳ね返すことが息子のためになる。
 ・“乗り越えてやる!”というのが思春期の少年のあり方。

 

 “親父論”では意見が一致した
 鳥越さんと弘兼さんでしたが
 携帯電話の待受画面は
 かわいい『お孫さん』の鳥越さんに対し
 弘兼さんの待受画面は『エロいトマト』。

弘兼「お尻みたいなトマトがあって
      面白かったんで…。アホですね(笑)」


石川 「時々見せられて愕然とすることが…。
      人に見せるときは
      相手と場所を選んでくださいね」




60歳を過ぎてからの“人間力”

 『歳には勝てる』の著者でもある鳥越俊太郎さん。
 そこで
 “団塊の世代必聴!
  鳥越俊太郎の60代をヴィヴィッドに生きるコツ”

 と題して
 60歳を過ぎてからの“人間力”をテーマに
 著書の中から4つのポイントに絞って伺いました。

 ●第一条:ストイックな気持ちのススメ!

 「欲望を丸出しにするより、
  ストイックに気持ちを抑えた方がいい。
  自分をコントロールして制御して生き方が心地いい」


 ●第二条:人間が丸くなることはない!

 「わがままを言いたい時、
  キレる時はキレてもいいじゃないか。
  そのかわり、根に持たずその場で収める。
  すぐ忘れる」


 鳥越さんはまれにキレることもあっても、
 それは“一瞬”ですぐに元に戻るのだそうです。

 ●第三条:昔話ができるのは熟年の特権!

 「歳を重ねても若者に卑屈になる必要はなく
  歳をとってきたからこそ、昔の話をできる」

 弘兼「語り部としての役割がありますよね」

 ●第四条:記憶力は落ちても、
  加齢とともに理解力と判断力は増す!


 「記憶力は極端に落ちますけど、
  経験から物事を理解する力、
  判断力がついてきます。
  若い人にはないもので、人間はうまいことできている」


 鳥越さんは、一度観たDVDを2度3度と借りてしまい、
 しかも観始めてすぐには、
 そのことに気がつかないことがあるそうですが…

 「でも、見直しても楽しめるんです。忘れてるから楽しめる」
 「実は、忘れることは素晴らしい力で、
  辛いことを忘れるのは老人の特権」


 

 ジャケットの下には
 “おこったら あかん”と書かれたTシャツ。
 でもこれは、もらいもののシャツだそうで、
 この日 着ていたのも偶然。

 ちなみに裏には
 “人生すべて感謝なり”と書かれていました。



団塊ホームルーム

 レトロアイテムは
 『平凡パンチ』『週刊プレイボーイ』(創刊号含む)。

 当時中学生の町田さんにはショッキングだったという
 女性のヌードが掲載された雑誌・・・
 『平凡パンチ』が1964年に、
 『週刊プレイボーイ』が1966年に創刊されました。

 町田 「恥ずかしくて買えないんで、
      勇気のある友達が買って
      みんなで回覧すると、
      なかなか帰ってこないんです」


 弘兼 「『平凡パンチ』は大橋さんの
      (表紙の)イラストが斬新で
      みんなこのファッションを
      マネしたものですよね」


 弘兼さんは、当時の
 ヌード写真の黒く塗りつぶされた部分を
 “消す”努力について熱く語り出し…
 石川真紀アナの脳裏には、
 その時の姿が思い浮かんで
 おかしいやら、あきれるやら…。

 ページをめくるたびに懐かしがる男性陣に、
 衝撃を受ける石川アナ。
 次第に、誌面を見入ってしまって
 口数が減ってきたところで
 ハイ、このコーナー、お開きとなりました。

 ※この話題については町田忍さんのコラムも合わせてご覧ください。


お送りした曲目

I Saw Her Standing There / ザ・ビートルズ
 (弘兼セレクション)
Will You Dance? / ジャニス・イアン
 (鳥越俊太郎さんのリクエスト)
還らざる日々 ― 合唱 / 早稲田大学グリークラブOB
 (団塊リポート)
還らざる日々 / 杉村俊博
 (弘兼セレクション)
Kansas City/Hey, Hey, Hey, Hey / ザ・ビートルズ
 (弘兼セレクション)

2009年08月01日