終わりよければ・・・(放送終了)

12月20日~12月24日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」は、西村徳文さん

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今週の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、西村徳文さん!

12月20日(月)「 西村野球の原点 『チームの"和"』 」
中学で本格的に野球を始め、高校でも野球部に所属していた西村徳文さん。しかし、生まれつき「楽なほうへ、楽なほうへ」と流される性格だったため、一時期、オートバイに魅力を感じて「野球は辞めよう」と思い始めたのですが、それを思いとどまらせたのはチームメイトによる熱心な説得でした。
月曜日は、西村野球には欠かせない「チームの"和"」。その原点に迫っていきます。

12月21日(火)「 スイッチヒッターへの転向 」
「楽なほうへ、楽なほうへ」と流される性格の西村徳文さんは、社会人野球を経てドラフト5位でロッテオリオンズ(当時)に入団してからもしばらくは「厳しい練習は嫌だなぁ。いつ辞めようかなぁ...」と、そんなことばかり考えていたそうです。そんな時、西村徳文さんの耳に首脳陣の"ある言葉"が聞こえてきて...。
火曜日は、西村徳文さんが首脳陣の"ある言葉"に発奮して右打者からスイッチヒッターに転向するまでの話を中心に伺っております。今でもハッキリと覚えているという左での初打席の結果は、果たして?!

12月22日(水)「 西村監督、現役時代を振り返る 」
スイッチヒッターに転向してから3年後には二塁手のレギュラーを獲得した西村徳文さん。その後もベストナインやゴールデングラブ賞を受賞、また、盗塁王や首位打者のタイトルも獲得して個人的には大活躍だったのですが、チームの成績はそれに反比例するかのように低迷したまま。そんな中、'97年のシーズン開幕前に引退。
水曜日は、西村徳文さんに現役当時の思い出を振り返っていただいております。

12月24日(金)「 初監督で日本一、そしてアジアNo.1! 」
監督就任1年目で千葉ロッテマリーンズ日本一、アジアNo.1という偉業を成し遂げた西村徳文監督。最終日は、シーズン中から、野村邦丸が聞いてみたかったあれやこれやを西村監督にぶつけてみました。あれだけ練習嫌いだったのに、今季からはチームの練習量が増えたってホント? スタメンを固定したのは何故? ギリギリの戦いを支えていたものは何? などなど...ご期待ください!

<西村 徳文>
1960年、宮崎県出身。宮崎福島高(甲)~鹿児島鉄道管理局(81年 ドラフト5位)
★主なタイトル
(首)90 (盗)86~89 (ベ)85、90 (ゴ)85、90
背番号は「78」。
2010年シーズンからは、千葉ロッテマリーンズの監督を務める。