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ラジオ サロンdeくにまるの最近のブログ記事

8月29日~9月2日の「ラジオ サロン・de・くにまる」のゲストは風間トオルさん

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8月29日(月) 「バスを待っている間」
子供のころご両親が離婚、一緒に暮らしていた父親もいなくなり、父方の祖父母と暮らしていた少年時代。とても貧乏だったのですが、あまり苦にせず楽しい日々を過ごしていました。このころ、公園に生えていた草をよく食べていたそうです。どうやって食べられる草を見分けていたのか?子供なりの技を教えてもらいました。バスを待っている時間の過ごし方は秀逸です。

8月30日(火) 「芸能界の入り口」
中学生ぐらいからサーフィンを始めていた風間さん。ボードは貧乏で買えなかったのですが、友達が付かれてた時に借りてやっていたら、すぐにできたそうです。その後、デザイン学校に入りますが授業料を稼ぐためにいくつものバイトを掛け持ちしていました。そのバイト先のカフェで会う人がモデルをやらないかと声をかけてきました。芸能界への入り口がそこにあったのです。

8月31日(水) 「下手すぎる演技」
モデルをやっているうちに、あるインタビューで女優の浅野ゆう子さんから俳優へのお誘いをうけます。最初は断っていたのですが、結局やることに。でも、浅野さんは放送を見たらあまりの演技の下手さに倒れたそうです。でも縁があって俳優の仕事は続いていきます。そんな時出演した映画「大誘拐」ではじめて演技の面白さや心構えに気づいたのだそうです。ベテラン俳優さんの優しい心使いに感謝しているそうです

9月1日(木) 「冷静な不死身の男」
風間さんは海外ロケでチベットの山奥でテントの周りにオオカミが来ても寝ていた...とか飛行機が着陸に失敗して林に突っ込んだなど一歩間違えたら死んでいたかもしれないハプニングに遭遇します。飛行機が林に突っ込んだ時の冷静な判断についての話に邦丸さんが食いつきます。子供のころ交通事故にあった話もしてくださいます。

9月2日(金) 「生きていく上でのモラル」
生きていく上でのモラル、レディーファースト、重いものを持ったおばあちゃんがいたら手伝うなどは祖母からしっかりと教わったそうです。風間さんの理想の女性に対する考え方について、して、将来挑戦したいことについても伺いました。

<プロフィール>
1962年、神奈川県生まれ。雑誌モデルとして人気を博し、1989年にフジテレビ『ハートに火をつけて』で俳優デビュー。以後、人気ドラマに多数出演。若い女性を中心に支持を得る。1993年、映画『わが愛の譜 滝廉太郎物語』で主演を務め、日本アカデミー賞優秀主演男優賞受賞。以後、テレビ朝日『はみだし刑事情熱系』、NHK『パパトールドミー』などで俳優として幅広い層から支持を得る。舞台にも挑戦し、活躍の場を広げている。
■デビュー作:フジテレビ『ハートに火をつけて』
■代表作品:NHK『七色のおばんざい』 / フジテレビ『ハートに火をつけて』 / テレビ朝日『はみだし刑事情熱系』

8月22日~8月26日の「ラジオ サロン・de・くにまる」のゲストは細川ふみえさん

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8月22日(月)「デビューのキッカケ」
子供の頃、なんども引越し・転校をした細川ふみえさんはとても活発な女の子。昆虫を育てたりみんなの前で体操を披露したりしていましたが、ミスマガジンコンテストの募集記事を見つけて、応募してみる事に。
そしてデビューが決まり、元祖、巨乳グラビアアイドルの草分けとなったフーミンですが、実はフーミンのバストは成長が遅く、本人に巨乳という意識は無かったのだそうです。あれよあれよという間にバストを強調したグラビアが出来上がっていましたが、後にそのブラにはすごいあだ名がついだのだそうです。それは・・・。

8月23日(火)「ギルガメッシュナイト」 
デビューしてから細川ふみえさんは連日のグラビア撮影をこなしていました。恥ずかしさを忘れないようにといつも自分に言い聞かせていたとフーミンは当時を振り返ります。
そんなフーミンの初司会番組が「ギルガメッシュナイト」。ぜんぶセリフが書き込まれた台本を用意してもらうなどスタッフに助けられての司会でしたが、一番うれしかったのはここで「フーミン」という愛称が付いた事でした。そして、後に母となったフーミンは、意外な処でこの愛称に出会う事になります。

8月24日(水)「女優として」 
細川ふみえさんのヒットCMと言えばバスロマン。お湯は飛ぶし頭の上の飾りは重い。おまけに時間は長いと大変な撮影だったのだそうです。でも、やってよかったと、心温まるエピソードもフーミンは話してくれました。
もともと演じることをやりたくて芸能界入りしたフーミンは、演技の仕事があったら睡眠時間を削ってでもやりたいと事務所の社長に伝えていました。その甲斐があって水戸黄門などに出演したフーミンでしたが、何十回もNGを出してしまったときには思わず帰り道で泣いてしまったのだそうです。泣きながらも、悔しいから次はがんばろうと思った・・・、努力家のフーミンです。

8月25日(木)「プライベートについて」
細川ふみえさんは料理が得意、昔から自分で作るようにしています。お母さんが病弱だったから、早くから教わったのだそうです。でも魚はさばけないので、さばけるような恋人が欲しいと笑うフーミンです。でも笑った後で、人生は急にお大波に巻き込まれることもあるから、なんとかなる、何とかなると思っていてもなんとかならない事もあるからと、ちょっと思わせぶりな話も出てきました。
一番心細かったのは?と訊いてみた処、意外な事に10代の頃の話をしてくれたフーミンですが、今は、マイナスの事を考えない、マイナスの言葉を使わないという事を心がけているのだそうです。

8月26日(金)「朗読・そしてこれから」
細川ふみえさんの芸能界復帰のきっかけの一つは読み聞かせ。ライフワークとしてやっていけたら幸せと話すこのイベントは、音楽と朗読を組み合わせたものです。一つの空間がジェットコースターのように動いていくと話すフーミンです。
子供が小さかった時いけるイベントが少なかったから、親子で出かけられるイベントをと話すフーミンですが、これからについて伺ったときには、いままでは子供軸、母親軸ばかりだったから、そろそろ自分軸を取り戻したいと話してくれました。

<プロフィール>
1971年、千葉県生まれ。
★代表作品
映画「釣りバカ日誌」「菊次郎の夏」「千年の恋~ひかる源氏物語」「昭和歌謡大全集」
CM アース製薬「バスロマン」 
舞台「台所太平記」

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そして、今週はSPウィークということで、「ラジオ サロンdeくにまる 特別編」もあります!ゲストは、島田洋七さん。 shimada_kunimaru.jpg   

8月23日(火)「がばいばあちゃんとの生活」
島田洋七さんが執筆し、ベストセラーになった御本「佐賀のがばいばあちゃん」にも書かれているとおり、島田洋七さんは子供の頃、祖母=がばいばあちゃんと一緒に暮らしていました。初日は、佐賀での、当時の二人の生活にスポットを当てます。
小学5年生になった洋七少年が、ふと気付いてしまったのが「もしかして、うちって貧乏なの?」ということ。この疑問をがばいばあちゃんにぶつけてみたところ、がばいばあちゃんの答えは...?

8月24日(水)「アルバイトで大失敗」
高校卒業後は知り合いの八百屋さんで働いて生計をたてていた島田洋七さん。ある日のこと、島田洋七さんは、市場のセリで、信じられないほど大量の白菜をセリ落とすという大失敗をやらかしてしまいます。倉庫に入りきらず、お店の前に山のように積まれた白菜を目にして呆然とした島田洋七さんでしたが、あるアイデアが閃いて...。

8月25日(木)「浮き沈み人生」 
漫才コンビ「B&B」で一世を風靡した島田洋七さん。漫才ブームが去ると講演活動なども始められ、そこで話されていたのが、がばいばあちゃんとの貧乏話でした。この話をいたく気に入ってくれたビートたけしさんのススメにより、「佐賀のがばいばあちゃん」書籍化となるわけですが、最初は周りの反応が冷たかったようです。
木曜日は、「佐賀のがばいばあちゃん」の人気に火がつくまでを振り返ります。

8月26日(金)「佐賀への移住」
16年前に生活の拠点を佐賀へと移した島田洋七さん。そこには、さまざまな理由があったようです。最終日は、その辺りのことを詳しく伺います。
後半は、島田洋七さんが開会宣言をお務めになるイベント「東京ポッチャリコレクション」のお話。タイトルからも容易に
想像がつくように、おデブっこのためのファッションイベントです。番組でもお世話になった雑誌「Mr.Babe」の企画ですので、興味がある方は、是非!

<プロフィール>
1950年、広島県生まれ。主な出演作に映画『島田洋七の佐賀のがばいばあちゃん』、RKB毎日放送『豆ごはん』、KBC九州朝日放送『島田洋七の朝から言わせろ!』、本『佐賀のがばいばあちゃん』など、幅広く活動中。

8月15日~8月19日の「ラジオ サロン・de・くにまる」のゲストは伊藤かずえさん

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8月15日(月)「幻の演歌歌手時代」
かなり内気だったという子どもの頃、お母さまに児童劇団を勧められたことがキッカケでお芝居の世界に足を踏み入れたという伊藤かずえさん。
エキストラとしてロボコンやゴレンジャーなどの特撮モノに次々と出演しますが、一方オーディションではなかなか苦労したんだとか。理由は「顔が大人っぽかった」から。
初日の今日はデビューのキッカケ、さらにはあまり聞かれることがなかったという演歌歌手時代のエピソードも伺っています。

8月16日(火)「不良少女とよばれて」
1984年、大映ドラマ「不良少女とよばれて」で長沢真琴役を演じた伊藤かずえさん。
今日はその頃のエピソードを中心にお話を伺います。
大映ドラマの特徴といえば、まるでマンガのようなセリフの数々。
「お父さん、頭の中がスパゲティーになっちゃうよ」とはどういう意味なのでしょうか!?真意は放送でお確かめください!

8月17日(水)「愛車遍歴」
「不良少女とよばれて」をキッカケに、大映ドラマには欠かせない存在となった伊藤かずえさん。その後、伝説の大ヒットドラマ「スクール☆ウォーズ」にも出演。白馬にまたがり、手にレモンを持っている謎の少女とその母親の二役を演じました。当時の共演者とは今でも旅番組で一緒になることが多く、お酒を飲みながら昔話に花を咲かせるのだとか。
そして伊藤かずえさんといえば、忘れてはならないのが自動車のお話。3日目の今日は、シーマに至るまでの愛車遍歴を伺います!あの懐かしい名車の数々が飛び出しますよ!

8月18日(木)「あふれるシーマ愛」
最近はシーマの取材を受けることが多いという女優の伊藤かずえさん。
今日は、25年乗り続けているという愛車・初代日産シーマのお話を中心に伺います。
長年走っていると、付き物なのが車の故障。今までに直した箇所は、塗装・オーディオ・ナビ・エアコン・エンジン・ミッションなど数知れず...。
それでも「まだまだ長く乗っていたい」という、シーマ愛についてたっぷりと語っていただきます。

8月19日(金)「旅番組で叶えたい野望」
近頃はスイミングクラブのアクアビクスで体を動かすことにハマっているという伊藤かずえさん。最終日の今日は、多趣味なプライベートのお話を中心に伺います。
そして、旅番組で様々な場所を訪れている伊藤かずえさんですが、実はまだ叶っていない野望があるのだとか...?お酒好きな伊藤さんらしいエピソードです。

<プロフィール>
神奈川県出身。1978年デビュー。1984年、TBS『スクールウォーズ』のヒロイン役でブレイク。翌年放送のTBS『ポニーテールはふり向かない』で主人公を好演し、テレビドラマには欠かせない存在となる。その後、年齢を重ねるにつれ、大人の魅力あふれる演技で女優としての地位を確立。出産以降は主婦タレントとしても活躍。趣味は洋裁、インラインスケート、スキューバーダイビング、乗馬。主な出演作にNHK教育『趣味悠々 石飛博光のステップアップ現代書道』TBS『はなまるマーケット』『名もなき毒』
代表作品:フジテレビ『新・牡丹と薔薇』(2015) / 映画『媚空』(2015) / TBS『天皇の料理番』(2015)

8月8日~8月12日の「ラジオ サロン・de・くにまる」のゲストは湯原昌幸さん・荒木由美子さんご夫婦

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8月9日(火)「二人の芸能界入り、二人の出会い」
タレントスカウト番組に参加したことで芸能界に飛び込んだ湯原昌幸さん。「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」のオーディションに参加することで芸能界入りした荒木由美子さん。お茶の間の人気者になっていく湯原さん、アイドルとして活躍を始めた荒木さん。そんなお二人が初めて出会ったのは、博多でのイベントでした。お二人にその時の第一印象をお話いただきました。そして初めての出会いから結婚に至るまでの経緯を伺いました。

8月10日(水)「結婚、そして介護」
芸能界でバラエティーを中心に活躍していた湯原さん、そしてアイドルの荒木さん。お二人は13歳の年の差結婚をしました。結婚後は湯原さんのお母様と一緒に3人での生活がスタートすることになりました。結婚して2週間後に血栓でお母様は手術を受けることになり、家のことは荒木さんが全て取り仕切るように。その後徐々にお母様が認知症の症状がでるようになります。お二人の介護についての体験をお話いただきました。そして夫婦間のコミュニケーションを、どのようにとっていたのかもお話いただきました。

8月11日(木)「きっかけ」
とある日に湯原さんが家族をお寿司に誘いました。その頃は、貯金を切り崩しながらの苦しい生活をしていた時期でした。お二人に、その頃の心情を涙と共にお話いただきました。やっぱり歌を歌いたい、アルバムを作りたいという夢を追いかけた湯原さん。色々なことを乗り越えてきたお二人の考え方について伺いました。
現状を打破したかった湯原さんの覚悟、それを支える荒木さんの覚悟。夫婦で歩んできた過去を振り返っていただきました。

8月12日(金)「夫婦の今後」
苦しい時期に作ったアルバムをきっかけに、湯原さんは歌手としての人生を改めて送り始めます。そして荒木さんは子供も育ち、家庭が落ち着いていたものの、表舞台に立つことには消極的でした。姑さんの介護の体験を本にしないかという話も、半年間断り続けていました。その荒木さんを後押ししたのは湯原さん、そして息子さんでした。
荒木さんの講演会、そして湯原さんの歌。お二人が活動を一緒にすることが理想という湯原さん。湯原さんの最新シングル「マッチ」をご紹介しながら、お二人の今後を伺いました。

<プロフィール>
湯原昌幸
スウィング・ウエスト」(後に「ザ・スウィング・ウエスト」)のボーカルとして活動後、ソロでデビュー。その後、軽妙な語り口でテレビやラジオでお茶の間の人気者に。現在も歌手活動とタレント業を行う。

荒木由美子
第1回ホリプロスカウトキャラバンで審査員特別賞を受賞しデビュー。アイドルとして活躍し、歌手活動と共に司会や「燃えろアタック」などのドラマの主役をはじめ数々の番組に出演。23歳で湯原昌幸と結婚し引退。20年にわたって介護していた義母を見送り、芸能界復帰。現在はラジオやテレビのコメンテーター、介護や家族にまつわる講演で活躍中。

8月1日~8月4日の「ラジオ サロン・de・くにまる」のゲストは陣内孝則さん

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8月1日(月)「ロッカー 陣内孝則」
目立つことが大好きだった陣内孝則さんは、高校2年の時にザ・ロッカーズというバンドを結成します。博多のコンテストでグランプリ、東京へ進出と順調なスタートを切ったロッカーズでしたが、なんと数年で解散してしまいました。生活も一緒だったのでメンバーの間がギクシャクしてしまったのです。
ロッカーズは人気がありましたが、時には会場にお客さんがほとんど居ない事もありました。ロッカーズのメンバーはこれも「活動をやめた方がいいか」と受け取ってしまったようです。でも、ビックになる人ならばたぶんここで考えるんだろうなと、当時を思い出して話す陣内さんです。

8月2日(火)「俳優としての活動」
陣内孝則さんの最初は映画「爆裂都市」の主演。俳優経験が無くてどうして良いかわからない中、「あんまり芝居しなくていいから」と言われて更にわからなくなってしまった陣内さんでした。
そんな中、桑名正博さんに紹介されたのが、演出家の青井陽治さんの舞台です。暴走族でサディストな歯医者という役は滅茶苦茶でしたが、それが功を奏して陣内さんが舞台に出てくるだけでお客さんが笑って拍手をしてくれたのです。これで俳優という仕事が面白くなってしまった陣内さんです。
その後、陣内さんはドラマで人気が出ます。後の月9ドラマです。この頃のドラマは撮り方が滅茶苦茶だったと陣内さんは当時を振り返ります。
俳優として名前が売れてきた陣内さんが結婚したのは倉本總さんの後押しがあったから。倉本總さんらしいエピソードを陣内孝則さんは話してくれました。

8月3日(水)「プライベートについて」
休日は馬券を買いに行くと言う陣内さんですが、最近はまっているのは昔のギャング映画だそうです。紙芝居のような映画だけど今の映画に無い面白みがあると陣内さんは話します。ちなみに映画の友はアイスキャンディーのガリガリ君だそうです。
福岡会の話も伺ってみました。福岡出身の人たちが集まる(俳優、ミュージシャン等の)会ですが、凄い人が集まるようになってしまい逆に会は開きにくくなってしまいました。福岡出身者は郷土愛にあふれていると話す陣内さんです。
福岡出身者の俳優の数そのものも増えましたが、これには自分も少し関わっているのではないかと陣内さんは話してくれました。それは・・・。

8月4日(木)「新舞台の話・今後について」
この夏に、平将門に取り付かれた織田信長を陣内さんは演じます。極悪非道でありながら実は・・・と、落ちのある役どころです。プロジェクションマッピングを活用するので従来とは違うスケールの演劇になると陣内さんは話します。
これからどんな役をやってみたいかと伺ったところ、いろいろな役の中で悪役が一番面白かった、とことん悪い人を演じてみたいのだそうです。そして、百の演技力よりも一つの当たり役、そして脚本がおもしろいのが一番なのではないかとも話す陣内さんでした。

<プロフィール>
1958年生まれ、福岡県出身。博多"めんたいビート"を代表する伝説的ロック・バンド"ザ・ロッカーズ"のヴォーカリストとして80年にアルバム『フー・ザ・ロッカーズ』でメジャー・デビュー。バンド解散後はソロとして活動。82年に映画『爆裂都市 BURST CITY』に出演し、役者としての才能も開花。以後、個性派俳優として映画やTVドラマなどで幅広く出演。

7月25日~7月29日の「ラジオ サロン・de・くにまる」のゲストは鶴岡雅義さん

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7月25日(月) 「『小樽の人よ』でデビュー」
鶴岡雅義と東京ロマンチカのリーダー、鶴岡雅義さん。
デビュー曲「小樽の人よ」がいきなりヒットしましたが、鶴岡さんは、曲を出してレコード会社の所属になれればいい、と考えていたそうです。
もともと東京ロマンチカのメンバーのエピソードを基にした曲ですが、舞台は小樽ではなく、釧路でした。
行ったこともなかったという小樽には、その後何度も足を運び、観光大使にまでなりました。
デビュー曲『小樽の人よ』に関するお話です。

7月26日(火) 「レキントギターと二匹目のどじょう」
もともとクラシックギターを演奏していた鶴岡雅義さん。
このままではクラシックギター奏者で終わってしまう、歌謡界に入りたいと思っていた頃、トリオ・ロス・パンチョスのレキントギターを見て、「これだ」と思ったそうです。
そして、曲は「小樽の人よ」のヒットを受け、二匹目のどじょうを狙って作られた「旅路の人よ」はレコード大賞の歌唱賞を獲得。
しかし、さすがに三匹目はいなかったと鶴岡さんは笑って振り返ります。

7月27日(水) 「古賀メロディと『君は心の妻だから』」
1969年のヒット曲「君は心の妻だから」。
リリースした時は、「古賀メロディのマネ」「古すぎる」と酷評されたそうです。
しかし、鶴岡雅義さんは曲作りの段階で「古賀メロディ風にしよう」と考えていました。
曲が売れ始めた頃、古賀政夫さんにこの曲のことを報告すると、古賀さんの返事は「古賀メロディではない、鶴岡メロディだ」でした。
鶴岡さんは、その言葉の意味を深く考えていましたそうです。

7月28日(木) 「『夜のヒットスタジオ』でのコント」
人気番組「夜のヒットスタジオ」に出演していた鶴岡雅義さん。
ヒゲの芸者などでコントに挑戦すると、まごつく表情に注目が集まり、「アップに堪えられる顔」という肩書きまで生まれました。
やりたくなかったコントですが、コンサートに行けばその話題で大盛り上がりだったそうです。
おかけする曲は「北国の町」。
実は、「やっつけ仕事」でできた曲でした。
お話は、「夜のヒットスタジオ」でのコントについてです。

7月29日(金) 「東京ロマンチカのこれから」
82歳でも身体の悪いところがないという鶴岡雅義さん。
曲作りは、フレーズが浮かべば完成したようなものだとおっしゃいます。
それでも、レキントギターを演奏する指は動かなくなってきているそうです。
曲は2003年にリリースした「花かげのひと」。
今後の目標はとにかく、東京ロマンチカを続けていくこと。
そして、ギターを弾く機会を持ち続けることです。
東京ロマンチカのこれからのお話です。

<プロフィール>
古賀政男より作曲について学び、阿部保夫よりギターを学ぶ。昭和35年にラテングループ『トリオ・ロス・カバジェロス』を結成。昭和40年作曲家としてのデビュー曲「二人の世界」を発表。石原裕次郎が歌唱し大ヒット。昭和41年『鶴岡雅義と東京ロマンチカ』を結成。昭和42年からグループを基盤に「小樽のひとよ」「旅路のひとよ」「君は心の妻だから」を発表しいずれも大ヒットする。テレビでは「アップにも耐える顔」としてコントなどでも活躍。現在グループの活動と作曲家として活躍。

7月18日~7月22日の「ラジオ サロン・de・くにまる」のゲストは城戸真亜子さん

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7月18日(月)「不純な動機でモデルのお仕事」
子供の頃から絵を描くことが大好きで、大学も芸術大学に進んだ城戸真亜子さん。しかし、大学では、「周りの学生たちと比べて自分は知らないことが多すぎる。どうしよう...」と、不安を感じていたそうです。そんな時に飛び込んできたのが「モデルのお仕事」。城戸真亜子さんは、「この経験が少しでも絵を描くことにプラスになれば...」という、不純な動機でモデルの世界に足を踏み入れるのですが...。城戸真亜子さんが、モデルのお仕事を始めるまでを振り返ります。きっかけは、撮影よりも海水浴を優先した友達の存在でした。

7月19日(火)「脱力系キャンペーンガール」
1981年に『カネボウ化粧品・夏のキャンペーンガール』を務めた城戸真亜子さん。今日は、その撮影でのエピソードを中心にお話を伺います。
海辺で、リラックスした感じで胡坐をかく城戸真亜子さんのポスターを、当時、広告系の雑誌は「城戸真亜子のような脱力系がこれからのムーブメントだ!」などと評していたそうですが、実際は、「単に撮影に慣れていなくて、どうしてよいかわからなかっただけ」だそうです(笑)

7月20日(水)「どっち付かずが私の仕事」 
『芸能活動をしていても、自分の立ち位置は画家』という意識で活動していたつもりが、周りは『タレントが趣味で絵を描いている』としか見てくれないことが悔しくてしょうがなかったという城戸真亜子さん。美大生が大学卒業時に行うことが通例となっていた個展も開催するかどう悩んだそうです。今は、「どっち付かずが私の仕事」と思っているそうですが...。
自分の心を整理できていなかった20代の城戸真亜子さんスポットを当てます。

7月21日(木)「お義母さまの介護」
最近まで認知症のお義母さまの在宅介護をなさっていた城戸真亜子さん。
ご自身の体験から得られた、介護についてのアドバイスをお話していただきます。

7月22日(金)「城戸真亜子の食べ歩き」
今日は、TV番組で多くのグルメリポートを担当していた城戸真亜子さんに、「食・お酒」について語っていただきました。「その土地に行ったら"その土地のモノ"を食べたくなるタイプ」という城戸真亜子さんが印象に残っている料理は、砂漠でノマドの方々が自然を利用して作ってくれた○○だそうです。 ○○が何なのかは放送でご確認下さい!

<プロフィール>
在学中からモデルとして活動。1981年、カネボウのキャンペーンガールに選出される。女優、レポーター、執筆など、活躍の場は多岐にわたる。画家としての活動も積極的に行い、1981年に女流画家協会展に入選して以来毎年個展を開いている。展覧会に、『ムーンライトパーティー』『源氏物語』『城戸真亜子展』、テレビ出演に、TBS『ワイドウォッチャー』など。また学研・アートスクールの主宰。NEXCO中日本CSR懇談会委員、中部国際空港顧問、学研ホールディングス社外取締役を務める。

7月11日~7月15日の「ラジオ サロン・de・くにまる」のゲストは東儀秀樹さん

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7月11日(月)「ブルースギタリスト」
趣味が多くしかも深く追及している東儀さん。
最近はギターにはまっていて特にブルースをよく奏でているそうです。少年時代の東儀さんはどんな少年だったのでしょうか?
実は雅楽との接点がなく高校卒業まで来てしまったのです。でも、それまで雅楽に触れられなかったのは今となってはよかったと振り返ります。

7月12日(火)「宮内庁へ直談判」
商社マンの父の仕事の関係で外国での生活の経験もある東儀さん。
小さいころから日本人という意識は持っていたそうです。高校卒業後、宮内庁に雅楽師として入るのですが、国家公務員なので当然試験があります。そこで東儀さんは異例の直談判を行います。

7月13日(水)「ソロアーティストになってみて」
宮内庁を退庁してソロアーティストになった東儀さん。
周りの人たちの反応は様々でした。
古典を守る、伝統の楽器で新しい曲を演奏する、そのどちらも大切にしていきたいのだそうです。古いものを守ることが自信につながっているのだそうです。

7月14日(木)「趣味が多すぎて、深すぎて」
多趣味でしかもその度合いが本当に深い東儀さん。
ダイビングの機材などは自分の分だけでなく、同伴する友人の分までスタンバイしているそうです。なぜそこまではまってしまったのか、ライセンスを取るまでのお話です。多趣味なだけに、出かけるとき最初の目的を忘れて気づいたら違うことしていたということもざらにあるそうです。

7月15日(金)「子育てのコツは子ども扱いしないこと」
子育てに関しては「東儀家の子育て 才能があふれ出す35」の理由という本をされている東儀さん。
お子さんには「子供向け」のものをあえて聞かせたり、見せたりはしないのだそうです。大人である父親が好きなものを一緒に楽しむ。そうしているうちに大人顔負けの耳を持つようになってきたそうです。幼稚園児と本格的な音楽談義を気づいたらしていたことも。大きくなった時が今から楽しみなのだそうです。

<プロフィール>
1959年東京生まれ。奈良時代から1300年にわたり雅楽を世襲してきた東儀家に生まれる。幼少期を海外で過ごし、クラシック、ロック、ジャズなど幅広い音楽ジャンルに接する。帰国して高校を卒業後、宮内庁楽部に入り、宮中儀式や皇居での雅楽演奏会、海外での公演に参加。96年宮内庁を退職。同年『東儀秀樹』でアルバムデュー。古典の継承のかたわら、雅楽器と現代音楽を融合させた独自の音楽活動を展開する。2015年には心しみいる篳篥の音で"日本の情景"そして"日本人の心"を紡ぎ出す作品『日本の歌』をリリース。

7月4日~7月8日の「ラジオ サロン・de・くにまる」のゲストは田中律子さん

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7月4日(月) 「芸能界入りのきっかけ」
東京生まれで実家は商店街で美容院を営んでいるという田中律子さんは、どちらかというと引っ込み思案な女の子だったそうです。芸能界なんて別世界だと思っていましたが、中学入学前に東京・町田でスカウトされました。そしていろいろなオーディションを受けるうちにコツをつかんでやがてモデルの仕事をするようになり、高校生の時にある女性アーティストの妹分として筒美京平さんプロデュースでレコードデビューを果たします。

7月5日(火) 「幅広いジャンルでの活躍」
高校時代にレコードデビューした田中律子さんは歌はあまり得意でなかったということですが、当時は3か月ごとにニューシングルを出し続けるのは当たり前。嫌々レコーディングを続けるうちに胃かいようで病院に運ばれたことも。また多忙な毎日で、仕事をやめようと思ったことも何度かあったと言います。しかしそんな時に限って大きな仕事が舞い込み、ドラマ「愛しあってるかい!」で小泉今日子さんと、「101回目のプロポーズ」では浅野温子さんとの共演が決まります。今日は浅野温子さんの演技を間近で見てきた田中律子さんならではのエピソードの披露も・・・。

7月6日(水) 「バラエティーの仕事」
女優業を中心に活動していた田中律子さんでしたが、バラエティー番組「目撃!ドキュン」や「王様のブランチ」などの司会の仕事が入ってくるようになりました。人の話を聞き出すというのは商店街で育った気質が役立ったのかもしれないとのこと。当時アイドル冬の時代と言われバラドルとして活躍していくわけですが、現在はテレビ朝日系「路線バスで寄り道の旅」で、自由奔放な徳光和夫さんのお相手を。今日はその裏話もたっぷりとお届けします。

7月7日(木) 「田中律子さんとアウトドア」
17歳の頃に月刊誌「Outdoor」の表紙の仕事をきっかけに山でのキャンプを始め、これまたモデルの仕事で沖縄の海でダイビングを経験し、アウトドアライフでのストレス発散は性に合ってるという田中律子さん。現在は水上のサーフボードの上でヨガをする「サップヨガ」の協会を立ち上げ、サップヨガのインストラクターを養成しています。今日はアウトドアライフの魅力について伺います。

7月8日(金) 「これからの田中律子さん」
アウトドア好きでダイビングにもはまった田中律子さんは、沖縄の海でエルニーニョ現象によりサンゴが死んでしまう事態に遭遇しました。そんな時、たった一人でサンゴを養殖して海に移植する活動をしている方と出会い、共感し、活動を支援する団体を立ち上げました。
現在18歳の娘さんはイギリス留学中、そして沖縄にも自宅がある田中律子さんの今後の目標は、「80才になっても真っ赤なビキニを着てサーフィンをしていたい!」だそうです。

<プロフィール>
1984年にCMデビュー。以後、テレビドラマ、映画、CMなどで活躍。主な出演作品に、フジテレビ『愛しあってるかい!』フジテレビ『101回目のプロポーズ』フジテレビ『白鳥麗子でございます』、TBS『ナースステーション』、日本テレビ『ガラスの靴』、NHK『ルームシェアの女』、映画『7月7日、晴れ』映画『鷲と鷹』。CMも過去多数出演し、『アサヒ緑健青汁』『花王ウルトラアタックNeo』のインフォマーシャルにも出演する。NPO法人『アクアプラネット』の理事長でもある。また2014年「一般社団法人日本サップヨガ協会」を設立、会長となる。内閣府沖縄振興審議会委員や美ら島沖縄大使、久米島観光大使、石垣島サンゴ大使にも就任している。

6月27日~7月1日の「ラジオ サロン・de・くにまる」のゲストは鶴見辰吾さん

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6月27日(月)「芝居との出会い」
40歳から自転車、50歳からマラソンを始めた鶴見さん。アクティブなイメージがある鶴見さんですが、幼少期はヒーローものに憧れる内気な少年だったそうです。
当時鶴見さんのおば様が宝塚スターの追っかけをしており、劇場へ連れて行ってもらったのをきっかけに、芝居に興味を持ち出します。そして中学1年生の時に受けたテレビ番組のオーディションから、どのようにデビューへと繋がったのかをお話ししていただきました、

6月28日(火)「中学三年生が演じる中学三年生」
「3年B組金八先生」に出演することになった鶴見さん。衝撃的な役柄を演じることになります。最初は、そのような役だとは知らずに演じていた、当時思春期だった鶴見少年の心情を伺います。そして中学生が集まっていた、収録現場の裏側も明かしていただきました。ドラマ、映画と出演していた鶴見さんが、その時点で俳優としてどのようになっていくと考えていたのかお伺いしました。

6月29日(水)「俳優、鶴見辰吾」
3年B組金八先生、そして映画に出演と、周囲から見ると順風満帆に見える「俳優 鶴見辰吾」。しかし当時、中学生の鶴見少年が憧れていたのはちょっと不良。アイドル的活動に違和感を感じ、本人は限界を感じていたそうです。その当時、鶴見さんはどのように考えていたのかを、お伺いしました。
そして30歳で初めて悪役を演じ、その難しさに苦労されたそうです。監督にしぼられながら、どのように新境地を拓いていったのか?さらに先日亡くなられた、日本を代表する演出家「蜷川幸雄」さんとのエピソードも語っていただきました。

6月30日(木)「俳優として」
NHKで放送された「坂の上の雲」。どのように役を演じたのか、共演した高橋英樹さんとの話、ロケの大変さなど、ドラマの裏側を語っていただきました。
コミカルな演技から、悪役まで多彩な役を演じる鶴見さん。主演としてではなく、バイプレイヤーとしての俳優のやりがいを教えていただきました。
そして鶴見さんが挑戦している内の一つ、日本舞踊をなぜ始めることになったのかのエピソードを伺いました。

6月31日(金)「チャレンジ」
40歳を越えてから自転車、ギターなど数多くのことに挑戦する鶴見さんですが、新しいことにチャレンジすることになった、きっかけを伺います。そして今年3月に3時間9分27秒の好タイムで走ったマラソン。なぜマラソンにチャレンジしたのかを詳しくお話して頂きました。
最後に新しいことにチャレンジし続ける鶴見さんの、今後やってみたいことを教えていただきました。

<プロフィール>
1964年12月生まれ。東京都出身。1977年に『竹の子すくすく』でデビュー。TBS『3年B組金八先生』で注目を浴びて以降、テレビ、映画、舞台などで幅広く活躍している。近年はNHK大河ドラマ『黒田官兵衛』、映画『バンクーバーの朝日』、2015年5月公開の『Zアイランド』などに出演。6月には手塚治虫原作、栗山民也氏が演出する舞台『アドルフに告ぐ』で峠草平役を演じる。趣味の自転車では数々のレースで入賞するほどの実力を持ち、2007年に自転車活用推進研究会が任命する「二代目自転車名人」に就任。自転車の地位向上や自転車を取り巻く環境改善などに取り組み続けている。著書に『とことん自転車』(小学館新書)がある。

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