今週の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、小林幸子さん!
8月8日(月)「 もじけない子 」
1953年、新潟県でお肉屋さんを営むご両親のもとにお生まれになった小林幸子さん。子供のころは、お店を訪れる多くのお客さんに可愛がられ、「もじけない(人見知りしない)」性格にスクスクと育っていったそうです。
そして小学4年生の時、お父様に「幸子、東京見物に連れてってやる」と言われた小林幸子さん。東京タワーを楽しみにしていたのに着いた先は何故かテレビ局のスタジオでした。
月曜日は小林幸子さんが小学4年生にして重大な決断を迫られるというお話。
8月9日(火)「 もしかして ... 夕波(ゆうなみ)千鳥(ちどり)? 」
古賀政男さんに見出されて10歳の時に「ウソツキ鴎」でデビューした小林幸子さんですが、実は、古賀先生が事前に用意していた芸名は『夕波千鳥』だったそうです。これには当時のスタッフもビミョーな雰囲気。しかし、誰も大御所・古賀政男さんには意見ができず、危うくこの名前に決まりかけたとき...。
火曜日は、小林幸子さんのデビュー当時を振り返っております。
8月10日(水)「 大ヒット曲『おもいで酒』 」
デビュー曲がいきなり20万枚のヒットとなったものの、1年後には "大人の事情" で仕事が激減してしまった小林幸子さん。しばらくの間はレコードも出せずに、キャバレーやクラブのステージで歌って生活費を稼ぐ日々が続いたそうです。
それから15年後、『おもいで酒』が尼崎の有線放送で1位を獲ったという情報を耳にした小林幸子さんでしたが、素直にそれを受け入れることができずに"ある行動"にでました。その"ある行動"とは?
水曜日は、小林幸子さんの代表曲『おもいで酒』が大ヒットするまでの紆余曲折。
8月11日(木)
「 派手は美学 」大晦日のNHK紅白歌合戦における小林幸子さんの豪華絢爛なステージ衣装。これまで色々と揶揄されることもあったものの、ある人から言われた「派手は美学」という言葉を胸に、「見てくださっている方々に楽しんでもらえれば...」という想いで様々な衣装にチャレンジしてきたそうです。しかし、今年、東日本大震災の支援の為に被災地を訪れると、小林幸子さんの心の中にはこのパフォーマンスに対するさまざまな葛藤が...。
木曜日は、紅白歌合戦のこと、また、小林幸子さんが被災地を訪れて感じたことなどを語って頂きました。
8月12日(金)
「 母の言葉 」最後まで「お前(小林幸子さん)が芸能界にいることには反対だよ」と言って他界されたという小林幸子さんのお母様。しかし、それは当然、言葉通りの意味ではありませんでした。その言葉の本当の意味とは?
最終日は、私、野村邦丸も涙してしまった、小林幸子さんとお母様とのエピソードを中心に伺っています。
また、小林幸子さんの新曲・カラオケ大会・座長公演などのお得な情報も満載です。お聴き逃しなく!
<小林幸子>
1953年(昭和28年)、新潟市生まれ。63年、TBS「歌まね読本」でチャンピオンとなり、翌年デビュー。79年「おもいで酒」がヒット。レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞し紅白歌合戦初出場。83年5月に米ロサンゼルス、ブラジルで初の海外公演。ヒット曲「もしかして」「雪椿」「越後情話」など多数。映画は「男はつらいよ・拝啓車寅次郎様」(94年)などに出演。