10月31日(月)「 夢は映画評論家 」
5人兄弟の末っ子としてお生まれになり、お母様から「お前は(末っ子だから)好きなことをやりなさい」と言われて育ったという石橋凌さん。小学生の頃からギターを片手に歌を口ずさみ、将来は映画評論家になることを夢見る...そんな少年だったそうです。
月曜日は、石橋凌さんの少年時代のエピソードを伺うとともに、NHKの結髪さん(かつらなどを担当するスタッフ)に「珍しいかたちをしているね~」と言われたという"石橋さんの頭部"の謎に迫ってみました。
11月1日(火)「 お世話になったイタリアンレストラン 」
お兄様の影響で音楽を始め、高校生の頃から福岡の名門ライブハウス「昭和」に出演していたという石橋凌さん。高校卒業後は音楽活動をしながら、数々のアルバイトで生計をたてる、そんな毎日。
そんな時、アルバイト先のイタリアンレストランのマスターに石橋凌さんが言われた一言が、「うちの支店を任せたいんだが...」。この言葉に石橋凌さんの心は大きく傾いたそうです。
火曜日は、もしかしたら石橋凌さんは今頃、イタリアンのシェフとして腕を振るっていたかも...というお話。
11月2日(水)「 ARB結成。そして、ピンク映画で俳優デビュー 」
上京してロックバンド「ARB」を結成。レコード会社も決まって順風満帆と思われた石橋凌さんの音楽人生でしたが、スタッフとの方向性の違いで、ARBはアルバム一枚を出しただけで事務所を解雇されてしまいます。
仕事が無いためにカップラーメンで飢えを凌ぐという極貧の生活を続けていた石橋凌さんでしたが、宇崎竜童さんから「映画に出てみないか?」というオファーがあり...。
水曜日は、音楽活動に行き詰っていた石橋凌さんが始めてピンク映画に出演した時の爆笑エピソードなどを伺っています。
11月3日(木)「 石橋凌、松田優作を語る 」
武道館コンサートを成功させても、「俺たちの歌は茶の間まで届いていない」ということに物足りなさを感じ、思い悩んでいたという石橋凌さん。そんな石橋凌さんに的確なアドバイスをしてくれたのが松田優作さんでした。
そして、その後、映画「ア・ホーマンス」で共演するなど、松田優作さんから多くのことを学び、多くのことをその体に叩き込まれたそうです。
木曜日は、石橋凌さんだから語れる松田優作さんの思い出をたっぷり10分間。
11月4日(金)「 映画 『 ハラがコレなんで 』 」
最終日は、石橋凌さんもご出演なされている映画「ハラがコレなんで」の見どころなどを伺っています。この映画には福島で撮影されたシーンも登場します。実は、大震災前に既に撮影を終えていたとのことなのですが、だからこそこの映画を見ていただきたいという石橋凌さんの想いもあるようです。
また、奥様である原田美枝子さんの"ちょっとホラーなエピソード"も披露して下さっています。
<石橋凌>
1956年、福岡県出身。ロックバンド A.R.B のボーカリストとして熱狂的に支持される中、82年に宇崎竜童監督作『さらば相棒』で映画デビュー。その後松田優作と出会い、松田優作の監督・主演作『ア・ホーマンス』(86)に出演し注目を浴びる。その後、『ヤクザVSマフィア』(94)でヴィゴ・モーテンセンと共演、ショーン・ペン監督、ジャック・ニコルソン主演の『クロッシング・ガード』(96)でハリウッド進出し、アメリカの俳優ユニオン「スクリーン・アクターズ・ギルド」の会員証を取得。