終わりよければ・・・(放送終了)

2月13日~2月17日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、女優の石田えりさん

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2月13日(月) 
 石田えりさんは、子供の頃はとても暗い性格だったのだそうですが、お父さんの知り合いのおかげで、コンサートを楽屋裏側から見たり、楽屋に遊びに行ったりしていたそうです。
 そんな石田さんは、華やかさにあこがれて歌手になりたいと思っていました。願いがかなって14歳の時に堺正章さんのコンサート会場でスカウトされたのですが、上京してからは何故か演歌のレッスンを受けていたりして、アイドルとしてのデビューのチャンスはなかなかやってきません。

2月14日(火) 
 なかなかデビューができなかった石田えりさんですが、映画「翼は心について」のオーディションでチャンスが訪れます。でもこの時も選考のやり直しがあったりしてすんなりとはいきませんでしたし、その後の仕事にも恵まれませんでした。しかし、次の作品「遠雷」では恥ずかしさをこらえたラブシーンなどの演技が評価され、女優の道を歩み始めます。
 私生活では結婚、そして離婚を経験されています。石田さんはこの時を振り返って、今から思えばよい経験だったと話しています。その頃石田さんは人間不信に陥っていましたが、なんとか努力してなんとかそこから抜け出そうとしていました。

2月15日(水) 
 映画「嵐が丘」で松田優作さんと共演した頃には、石田えりさんは変わっていました。演技というのは自分をすべてさらけ出すのだから、肉体をさらけだせないようでは精神をさらけ出すことはできないと考えたのです。こうして体当たりの演技をした石田さんに、優作さんは「きれいだったよ」と言ってくれたのだそうです。また、その頃「釣りバカ日誌」にも出演しますが、撮影に疲れた石田さんは途中でこの映画を降りてしまいます。
 その後、石田さんは海外でアルバイトをしながら生活をします。この時、もらった給金で飲んだビールの美味しさで、石田さんは働くことの素晴らしさを感じたのだそうです。
 
2月16日(木)
 1993年に石田えりさんは世界的な写真家、ヘルムート・ニュートンの撮影で写真集を撮影しました。SM調だったので、初めは"聞いてないよぉ"と思った石田さんでしたが、これも避けてはいけないと思い直して頑張ったのだそうです。まずは肉体を選んで生まれてきて、精神が必死にそれを追いかけている、それが私の人生だと石田さんは言います。
 だんだん歳をとっていく中で、石田さんは自分の歳で楽しめることをきっちり楽しむことにしているのだそうです。アンチエイジングはしないけれど、肉体の健康はきちんと考えていく、これが石田さんの生き方です。

2月17日(金)
石田えりさんは舞台を大切にしているそうです。同じ時間と空間を共有し、共演者の良いところも悪いところも感じられる舞台、これが好きなのだそうです。来週も公演があります。人間が神に近かった時代の自然な形の命をテーマにした舞台に石田さんは出演します。
千葉に移住し、農作業を楽しむ石田さんですが、まだ一番大切な人には出会っていないと石田さんは思っています。エネルギーのぐるぐる廻る、ブラックホールの様な人をずっと探しているのだそうです。

<石田えり>
1960年熊本県生まれ。78年、映画「翼は心につけて」でヒロインとしてデビュー。82年に「遠雷」で日本アカデミー賞優秀主演女優賞、新人俳優賞などを受賞。「嵐が丘」「飛ぶ夢をしばらく見ない」「愛の黙示録」などに出演し89、91年日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。テレビドラマは「金曜日の妻たちへ」「課長サンの厄年」「おみやさん 第7シリーズ」など。