終わりよければ・・・(放送終了)

4月23日~4月27日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、女優の岩下志麻さん

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4月23日(月)  「アイスクリーム売りの少女」
ご両親が新劇の俳優さん。伯母様が劇団「前進座」代表・河原崎長十郎さんの奥さまということで、子供の頃から演劇に触れる機会が多かった岩下志麻さん。当然、そんな環境が女優・岩下志麻の原点かと思いきや、当時の岩下志麻さんは舞台の上の役者さんの演技よりも魅力的な"あること"が楽しくてしょうがなかったそうです。
月曜日は、岩下志麻さんに御自身の少女時代を振り返っていただきました。

4月24日(火)  「初めての挫折」
高校時代は精神科医を目指して勉学に励んでいた岩下志麻さんでしたが、あまりにも頑張りすぎたためか、体調を崩して高校を留年。すると、精神科医になるという夢も急に馬鹿馬鹿しく感じ始め、目標を失った喪失感から、ボーっとした一日を過ごすことが多くなってしまったそうです。
そんな時、岩下志麻さんの事を心配したお父さまの紹介でNHKの生TVドラマ「バス通り裏」に出演することになり... 火曜日はそのドラマにおける爆笑面白エピソードをどうぞ!

4月25日(水)  「駆けずのお志麻(かけずのおしま)」
NHKの生TVドラマ「バス通り裏」への出演が好評で、松竹映画からお声がかかった岩下志麻さん。ほどなく松竹の看板女優として大変に忙しい日々を過ごすことになるのですが、そこに"女優としてのやり甲斐"のようなものは感じず、与えられた仕事をただこなしていくというだけの状態。
そんな岩下志麻さんを見て撮影スタッフがつけたあだ名が「駆けずのお志麻」。
「駆けずのお志麻」 ... 水曜日は、ちょっと聞いただけでは何のことか分からない岩下志麻さんのあだ名の謎に迫ってみたいと思います。

4月26日(木)  「映画『 秋刀魚(さんま)の味 』 と 『 極道の妻(おんな)たち』」
これまで数々の名作にご出演されている岩下志麻さん。木曜日はその中から小津安二郎監督の遺作である
「秋刀魚の味」、五社英雄監督の「極道の妻たち」についてお話を伺っています。
小津作品での演技の難しさ、また、撮影中は役に入り込んでしまタイプだという岩下志麻さんの極妻撮影中の姐(あね)さんぶりに注目です!もしかしたら、あの名台詞が聞けるかもしれません。

4月27日(金)  「岩下志麻という人生」
ご主人である篠田正浩監督にいきなり「私、監督さんと結婚しそうな気がする」と口にして絶句されたという
岩下志麻さん。それもそのはず、その時点でお二人はお付き合いすらしていなかったのですから...。
最終日は、これまでは話すのが嫌だったという岩下志麻さんのプライベートに斬りこんでいます。
ここまで雄弁に語ってくれるなんて...一体、どのような心境の変化があったのでしょうか?


<岩下志麻>
昭和16年、東京・銀座生まれ。本名、篠田志麻。両親は新劇俳優の野々村潔、山岸美代子。昭和33年、NHKドラマ「バス通り裏」でテレビデビュー。昭和35年、松竹入社。同年「乾いた湖」(篠田正浩監督)で映画デビュー。以降、松竹の看板女優として次々にヒットを飛ばす。昭和42年、篠田正浩監督と結婚し、独立プロ・表現社を設立。昭和51年、松竹を円満退社。主な出演作品に「雪国」「心中天網島」「はなれ瞽女おりん」「極道の妻たち」シリーズ「少年時代」などがあり、松竹時代の清純派から、結婚後は女性の心の闇や情念を演じる女優として日本映画界に時代を築く。